ドクター塚本 白衣を着ない医者のひとり言 | ||||||
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この本で近藤先生が主張されたのは、要点だけなら次の3点です。 @ 手術は無用 A 抗がん剤治療の90%は無意味 B がん検診は無駄。 内容がいずれも当時の「がん常識」を一変させるほど革命的でしたし、タイトルもまた挑発的でセンセーショナルでした。医学界にも衝撃が走り、大論争となりました。手術も抗がん剤もノーと言うのですから、医学界、医療産業のいわゆる「白い巨塔」から一斉に反発の声が上がったのは当然でした。彼は一時、患者をたぶらかす扇動家扱いされ、医学界の鬼っ子となり孤立したかに見えました。しかし、より多くの患者に支えられて、社会に向かって「がん情報」を、主として著書を次々と発刊する形で発信し続けたのです。その結果、次第に彼の考え方に共感する医者も増えて、今日のがん治療に変革をもたらすまで至っています。 もともと近藤先生は1948年生れ、73年慶応義塾大学卒業の放射線科医です。アメリカ留学から帰国して3年後の83年、臨床同期のトップを切って専任講師に昇任したエリートでした(同級生から一番先に教授になるだろうと囁かれていたそうです)。アメリカで最先端のがん治療の現場を目の当たりにしてきた彼は、欧米ではすでに一般的になっていた「乳房温存療法」の普及に精力的に取り組むことになったのです。当時のわが国では、乳頭、乳輪を温存し乳房についてもごく狭い範囲の部分切除を行ったのち、放射線を照射するこの治療法は全く知られていませんでした。後遺症が少なくて、女性にとって乳房を失うという美容上の難点のない、患者にとって大きな利点があるにもかかわらずです。それどころか、欧米ではすでに姿を消していた時代遅れのハルステッド手術(約100年前にWilliam S.Halsted(1852−1922)が開発した根治的乳房切除術で、乳房全体と大・小胸筋、腋の下リンパ節などを一括して切除する)が主流だったのです。たまたまこの時期、83年にご自分の姉の乳がんに対して同級生の外科医と一緒に温存療法を手がけて見事に成功させたというハプニングが起こります。温存療法が一気に普及すると思いきや、現実には84年に2人、85年に1人、86年に3人という程度でしかなかったのです。 彼も普及の遅れにいらだちを覚え、がん治療の主役だと思いこんでいる外科医を相手にしていてはだめで、患者や社会への情報公開を図らねば実効は上がらないという切羽つまった心境に陥ったのです。88年になって文藝春秋から温存療法についての執筆依頼がきたときには、こころが乱れたと言います。好機到来には違いないのですが、「同僚批判禁止のタブーを破るものとして、医師仲間からつまはじきにされるだろうことも目に見えていたからです。文藝春秋の申し出をうけるか否かは、出世コースをステップアウトして患者や社会のがわに立つか、医師のがわに立つかの踏み絵を迫るものだったのです(前掲書、あとがき)」。まさに「出世か患者か」という二律背反の悩みにぶっつかったのでした。 ここで近藤先生は、社会に広く情報を公開していくにはどちらがいいだろうかと考えて、「教授になれば社会的発言力は増すが、他科との関係など様々な制約を受けることになる。うーん、社会に発言していくには講師程度の身分がちょうどいいか」と発表に踏み切られたのでした。「乳ガンは切らずに治る」(文藝春秋 88年6月号)と言う一般向けの論文でした。ときに彼35歳、以後59歳の今日までほぼ4分の1世紀も慶応義塾大学病院の放射線科講師(いわゆる「万年講師」のまま、今も毎週水曜日の外来診察を続けておられます。首尾一貫、がん治療を医師の側から誘導するのではなく、患者の立場に立って患者と一緒になって考えていこうという、彼の患者本位主義にはもちろん、四面楚歌、医学界から孤立している彼を、講師のままとはいえポストにつけて「温存した」慶応義塾大学病院のフトコロの広さにも敬服します。 乳房温存療法が正しかったことは、彼の情報発信後、この療法がどのように普及していったかを見れば一目瞭然です。日本乳癌学会アンケート調査によるわが国の「乳がん手術術式の変遷」では、1980年当時、全体の50%を占めてトップだったハルステッド手術や、25%の拡大乳房切除術が急速に減少して、ともに2003年にはゼロ%になったのに対して、乳房温存術の方は、85年にゼロ%だったのが、急成長して03年に48、4%と、第2位の胸筋温存乳房切除術(45、3%)をわずかながら凌駕して首位となり、ますます増加しているのです(日本乳癌学会編「乳がん診療のガイドラインの解説 2006年版」金原出版 06年7月刊)。患者団体「イデアフォー」の全国調査でも、03年に乳房温存療法を受けた患者が52、9%と5割を超えています。因みに93年には23%、96年は36%でしたから着実な増加が見て取れます(05年4月8日付日経新聞)。 生物学者の池田清彦氏はすでに10年近く前から、「がんは手術をしない方がよいのかも知れない」という時代の雰囲気を作ったのは、まぎれもなく近藤氏の功績だと高く評価しています。その根拠として、近藤氏の論述はそのわかり易さ、データの豊富さ、科学的論述の的確さ、等々どれをとっても第一級のものだったからだとしています(新潮社文庫版「がんは切ればなおるのか」(1998年刊)の巻末解説)。 1988年以来、近藤先生は一人で他の専門家や根強い社会通念に立ち向かうために、どうしても理論武装を迫られた結果、意外なことにがんやがん治療に対する考え方を深めることができたとも言っておられます。その1つが「がんもどき理論」で、世界的にも彼のオリジナルだと自負されています。残念ながら私にはまだこの理論が正しいのかどうか疑問が残ったままです。またがん検診は無駄だという考え方にも全面的に賛成というわけではありません。小心者の私には、もし自覚症状によってがんが顕在化したとき、「手遅れです」と言われては困るという気持ちがどこかにあるからでしょうか。 少数意見であっても、いずれは正論になることが往々にしてあるという、実例として乳房温存療法のことを取り上げ、近藤先生の考え方の一端をご紹介しました。賢い患者になるために、つねに少数意見にも耳を傾けることの大事さを強調しておきます。 (2007年8月22日)
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