ドクター塚本  白衣を着ない医者のひとり言
No.93 「栄養疫学者」の新任東大教授
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 「栄養と料理」(女子栄養大学出版部)という月刊雑誌があります。私はこの雑誌の愛読者の一人です。と言っても、美味しいものは大好きながら不器用なものぐさ人間でもあり、「君子は庖厨を遠ざく」(孟子)派を通していますので、料理の献立、レシピ、調理法などに関心を持っているのではありません。

健康に直結する生活習慣のなかで、食生活、つまりは栄養が重要な位置を占めていることはご存知のとおりです。昔から「血圧医者」で、小太りが長命という立場から「長生き体重表」を発表しましたので、この雑誌の編集長インタービューにも応じて、「日本人の“ちょっと太め”は若死ににはつながらない ― 日米の肥満と死亡率比較 ― 第7回肥満学会で発表した塚本 宏さんを訪ねて・・・」が掲載されたというご縁があります(1987年1月号)。要するに、料理するよりも「栄養学」を勉強するために、毎月必ず図書館へ行ってこの雑誌に目を通すことにしているのです。

今回は「栄養と料理」の2007年1月号から連載中の「世界てくてく『食』の解体新書」を取り上げてみます。筆者は、今春東京大学大学院医学系研究科に新設された「公共保健医学専攻」(School of Public Healthという英語表記の方が分かりやすいでしょう)の疫学保健学講座教授(社会予防疫学)に就任されたばかりの佐々木敏先生です。彼は京都大学卒業後に大阪大学医学部に学士入学され、卒後は大学院(公衆衛生学)を経てベルギー・ブリュッセル大学大学院で「栄養疫学」を専攻したという変り種、私とは同窓・同門で同じように白衣を着ない医者の一人です。後輩に当たるとは言え、学識はもちろん年齢も随分違って、せいぜい面識がある程度という仲です。

佐々木教授は、国際派で世界39か国をめぐった経験を基に、数々の体験とユニークな視点から世界の食と健康との関係を語る読み物を「栄養と料理」誌に連載中というわけです。今月号までのタイトルだけをご紹介しますとつぎの通りです。

1月号 「アメリカ 悩める肥満大国」

2月号 「ブラジル カーニバルと塩漬けタラ」

3月号 「ドイツ 『ビア樽腹』は本当か?」

4月号 「東アフリカとメキシコ とうもろこしの光と影」

5月号 「イタリア 地方料理と健康格差」

6月号 「モンゴル 赤い食べ物と白い食べ物」

7月号 「イギリス BSE問題と健康リスク」

いかがですか。面白いテーマが並んでいるでしょう。アメリカの肥満、ドイツのビア樽、イギリスのBSEなどはご存知でも、他の国のこと(塩漬けタラ、とうもろこし、など)まで知っている方はざらにはいないと思います。それぞれご紹介するにはとてもページが足らないうえに、まだまだ各国の食文化、食事情を語る連載は続くので、いずれ単行本として上梓された際、興味のある方はぜひご覧いただくことにしましょう。

以前このHPで、「根拠に基づく医療」EBM(evidence-based medicineのお話をしました(第30〜34話)。

ちょっと復習しますと、@疑問を明確にする。 A今までの報告を系統的に収集する。 Bそれぞれの結果の妥当性と有効性を客観的に評価する。 C提出した疑問に最も役立つと思われる回答を引き出す。というプロセスを踏んで意思決定を行おうとする医療のことでした。栄養学の分野でも同じ考え方に立って、しかも栄養学独自の定義や活用法が存在するはずだからと、新たに「根拠にもつづく栄養学」EBN(evidence-based nutrition)を提唱されたのが、佐々木先生(当時、国立がんセンター臨床疫学部・疫学室長)でした。等々力英美・琉球大学助教授(当時)と共同編著者となって、「EBN入門 生活習慣病を理解するために」(第一出版、平成12年刊)を出版して、EBNの普及に尽力されたのです。

さらに国立健康・栄養研究所に移られてから、佐々木先生は当時の田中平三理事長のもと、新たな厚生労働省策定「日本人の食事摂取基準(2005年版)」の作成に参画され、その中心的な役割を担われたのでした。

『食事摂取基準』と言っても馴染みがないかも知れません。従来から使われてきた「日本人の『栄養所要量』」が、内容も考え方も刷新され、大幅に改定されて発表された(2005年4月)ので、名称も食事摂取基準と変更されたのです。この基準は以後2010年3月までの5年間使用されます。

改定の中心になっている総論、考え方は次の3つのキーワードです。

 「系統的レビュー」という方法を利用して策定されました。世界中の信頼性の高い情報をもれなく収集し、統合して決定します。このために国内の栄養関連の研究者約100人が協力し、2年以上の歳月が費やされたのでした。
 「摂取範囲」という考え方が導入されました。現代社会では、不足だけでなく過剰摂取による健康障害からの回避も考慮する必要があります。生活習慣病の予防を重視するには、下の値だけでなく上の値も必要で、「摂取範囲」内なら危険性は少ないということです。「所要量」には、欠乏しないためにこれ以上食べておこうという意味がありますので、時代に合わなくなっています。
 「確率論」的な考え方が全面的に採用されています。エネルギー及び栄養素の「真の」望ましい摂取量は個人によって異なり、また個人内でも変動します。したがって、「真の」望ましい摂取量は測定することも算定することもできず、確率で示すことになったのです。

 また、「食事摂取基準」で設定されている指標は5つあります。

 A 不足の有無や過剰摂取について、範囲を示すうえで設定された指標 

@    推定平均必要量:特定の集団のうち、50%の人が必要量を満たしていると推定される1日の摂取量

A    推奨量:特定の集団のうち、殆ど(97〜98%)の人が1日の必要量を満たすと推定される1日の摂取量

B    目安量:@とAが設定できない栄養素もありますが、特定の集団に属する人が、良好な栄養状態を維持するのに十分な量

 (なお、AとBは「第6次改定日本人の栄養所要量」ではともに所要量と呼ばれていた指標です)

C    上限量:特定の集団のうち、殆どすべての人が過剰摂取による健康障害を起こすことのない最大限の摂取量

 B 生活習慣病の予防を目的に設定された指標

D    目標量:生活習慣病の一次予防のために、現在の日本人が当面の目標をすべき摂取量

 実際の「基準」をご覧に入れずに説明しましたが、性別、年齢階級別、身体活動レベル(3段階)別に、これらの指標がそれぞれ表示されていて、大変複雑です。管理栄養士や栄養士でもこれを使いこなすことは容易ではないと、そのご苦労が思いやられるのは私だけではないはずです。一方で、栄養学も随分進歩したものだというのが私の実感です。新任教授・佐々木敏先生のますますのご活躍をお祈りしています。

<参考文献>

佐々木敏:食事摂取基準の基本的な考え方、体育の科学、55巻4号268〜272、
2005年

香川芳子監修、川端輝江・山中由紀子:「食事摂取基準早わかり」女子栄養大学出版部、2006年9月刊

     (2007年6月13日)


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