ドクター塚本  白衣を着ない医者のひとり言
No.92 昭和ヒトケタ短命説」は本当でした
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 この5月は異常な猛暑や台風並みの強風はあったものの、新緑の爽やかなお天気がつづきますと、やはり四季のある日本に生れた幸せを実感せずにはおられません。秋もまた素晴らしいでしょうが、11月に満75歳の誕生日を迎える私は、いよいよ「新老人」の仲間入りです。腺病質などと言われて病弱だった幼少期にはとても考えられないくらい長持ちしていることになります。

 さて、またまた「寿命」をテーマにすることにします。しかし寿命となると一抹の不安を感じながら書いたり話したりするのが普通です。それは当人が長寿の体験者になれなかったらどうしようと思うからです。とは申せ、人間は必ず死ぬのですが、個々人の死期と死因だけは誰にも分かりません。だからこそ生命保険の必要性があるというのが私の持論なのです。

 さて表題の「昭和ヒトケタ短命説」のことはどこかでお聞きになったことがあるはずです。実はすでに27年も前の1980年に、当時日大医学部教授(公衆衛生学)だった大久保正一先生が発表した仮説なのです(「中年死亡の増加現象」厚生の指標:27巻2号)。まだ今日のようにパソコンが使えなかった時代に、衛生統計学の専門家ならではの、まさに「紙(グラフ用紙)と鉛筆」から生れたと言ってもよい研究だったのです。

 大久保教授らは、厚生省(当時)の人口動態統計のデータを基にして、観察年別に、年齢別に死亡率をプロットしたグラフを作成してみて、男性だけに見られる特異な現象を発見したのです。ご存知のとおり、現在の日本人が世界の最長寿国を実現したのは、年齢別の死亡率が時代とともに着実に低下したからです。当然のことながら、観察年別の年齢別死亡率曲線も年を追って平行線を描いて下がって行きます。ところが、大久保教授のグラフでは、当時40歳代から50歳前半の昭和ヒトケタ世代の死亡率だけは小さい隆起を描いて順調に下っていなかったのです。誤解なきよう申しますと、昭和ヒトケタ世代も死亡率は低下、つまり寿命の延長を実現しています。しかし、他の世代と比べて相対的に低下、改善が停滞しているために平行線にならないという現象です。

 統計的な事実を否定しようもありません。その原因について大久保教授は、この年代層には肝硬変、くも膜下出血、脳出血、虚血性心疾患、胃潰瘍など出血死に関連する死因が多いことから、「第二次成長期に入り身長が急増する発育盛りの敗戦後の食糧難に直面して、栄養不足に陥り血管構造に弱点をもったまま中年期を迎えた」、という「血管脆弱説」を唱えられました。一方、同じ現象を報告しながら、私と同門の逢坂隆子(現・四天王寺国際仏教大学教授)らは、その原因を「地域の社会経済状態との関連が深い」と結論しました(日本公衆衛生雑誌、1980年)。

 また、従来日本人では中年層に少なかった自殺が、この頃から増え始めていることに着目した浜松医大・大原健士郎教授(精神医学)は、「心の成長期である10代に、それまでの価値観が全面否定され、一度に目標を失ってしまった。その傷跡が自殺の深因としてある」とコメントしています。さらに東京都精神医学総合研究所の分析では、この年代はまじめで遊び下手が多く、結果として心身ともに孤独になり自殺にいたるという見方をして、その背景として、「飢餓」「いじめられた」「疎開」という戦時体験が現在の精神的な健康状態に尾を引いている、としています(昭和61年2月17日付朝日新聞)。

 ついでながら「大久保論文」は、国内はもとより海外でも反響を呼び、米国の人口学誌「POPLINE」(82年)やWHOのリポート(84年)にも紹介されたそうです(同上)。

 まさに昭和ヒトケタ世代そのものの私も、この仮説のことをほとんど忘れかけていた昨秋、岡本悦司・国立保健医療科学院経営管理室長が、久保喜子・日大医学部社会医学講座助手(先の「大久保論文」の共著者でした)とご一緒に、その後20数年の死亡統計データを追加し、新たな手法を導入・駆使した研究結果を発表されました(「昭和ヒトケタ男性の寿命―世代生命表による生存分析―」厚生の指標33巻13号、2006年11月)。

 ここで使用した「世代生命表」というのは、特定の1年間の年齢別人口と人口動態統計から計算された年齢別死亡率がほぼ100年間変らないものと仮定して作成された「スナップショット」生命表(ふつう生命表と呼ばれているのはこちらですが)とは異なり、ある年に出生した同一世代について、出生から死亡に至るまで連続した各年齢別死亡率を連結して作成した「コホート」生命表のことです。したがって日本人では、1900(明治33)年頃までに生れたごく限られた世代でしか完全なものは作成できません。また当然のことながら、いまだ存命中の昭和ヒトケタについては途中までしか計算できません。そこで、1920(大正9)年〜1949(昭和24)年生まれの男性コホートについて、出生年別に戦争の影響を直接受けていない30歳〜55歳の年齢別生存率を算出して推移を観察しました。この研究では死因別の分析は行っていないことを断っておきます。

 計算方法の詳細は専門的過ぎますので割愛することにして、結論だけをご紹介しますと、つぎのとおりです。

@ 寿命への影響がピークだったのは1932年コホート(終戦時13歳)であり、30→65歳生存率が1.87%押下げられた。

A  寿命への影響は終戦時13歳をピークに7歳から20歳くらいまでみられ、これら世代全体では30→65歳生存率が1.1%押下げられた。しかし終戦時7歳未満ではほとんど影響はなかった。

B  終戦時2〜3歳だった世代についても中高年期の生存率の抑圧がみられた。ただしその程度は終戦時7歳以上の世代に比べてはるかに小さかった。

C     中年期に初めて観察された生存率低下は、年齢が上がるほど戦後世代との格差が拡大している。したがって中年期の現象は当時の社会情勢による一時的なものではなく、生涯ついてまわる世代効果であった。
 

 学術研究論文からそのままの引用で、分かりづらかったかもしれませんが、著者ら
は、若年期の戦争体験が中高年期の生存率の足を引っ張っていて、その影響の度合いが終戦時の年齢によっても大きく異なっていることは、発育学的にみても重要な発見だとしています。さらに、戦争が子ども達にとって心身とも大きな傷跡を残すことは人類の歴史を通じて繰り返されてきましたが、わが国だけのではなく外国においても同様の現象があるのかどうか、今後研究の余地があるとも述べています。

 岡本先生らは、戦争は子どもの生命を直接奪うだけでなく、生き残った子が成人した後までも、その生命を蝕みつづけることを実証できたと、この論文を結んでいます。

 ちょうど昭和7年生れの私にとっては他人ごとではありません。長生きだけが幸せだとは思いませんが、戦争体験による押下げ圧力を受けながらも、何とかこれまで生存してきたいのちの尊さを今、噛みしめています。

     (2007年5月22日)


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