ドクター塚本 白衣を着ない医者のひとり言 | ||||||
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そして、知る人ぞ知る視聴率を稼ぐためにはナリ振り構わぬテレビ局の体質や自社製品の売込みに躍起なスポンサーの姿勢、下請け業者に圧力をかける広告業界の裏面など、このような騒ぎの温床が随分と根深いことが明るみに出てきました。一般社会が一致して、制作したテレビ局に厳しい批判の声を上げたのは当然のことで、お定まりの陳謝だけで済むものではありません。 その一方で、「あの程度の捏造を非難されたら今やテレビ番組を作る事が出来ないだろう。あの手のテレビ番組に真実を期待するほうが間違っているのだ」というのが最近のテレビの常識だと前置きして、「だまされた人たちが悪いのだ」と決め付けているジャーナリストもいるのです(坪内祐三、文藝春秋2007年3月号)。 そういえば、今度の納豆ダイエットだけではありません。これまでにも紅茶きのこ(1975年ころ)、酢大豆(1988年ころ)、ココア(1996年)につづいて、天然塩、シナモン、レタス等々枚挙に暇のないほどマスメディアの流す健康情報に惑わされてきたのではないでしょうか。 このような風潮に対して、アメリカの栄養学者が提唱した「フードファディズム food faddism」という概念を紹介して、早くから警鐘を鳴らし続けている栄養教育学者がおられます。群馬大学教育学部の高橋久仁子教授です。彼女が ”Nutrition and Behavior”(1991)という本のなかで初めてフードファディズムという言葉に出会ったのを契機に、この本を翻訳して「栄養と行動:新たなる展望」を出版されたのは1994年のことでした。それ以来ずっと、雑多な食情報に混乱させられている人たちのために、この概念の普及と食生活の場にもたらされる「新情報」の妥当性の検証に努力されています。 まず「フードファディズム」とは、特定の食品が病気の予防・治療に効果がある、あるいは健康に著しい効果があると思い込んだり、特定の食品が健康を害すると考え、排除しようとする栄養行為のこと、を言います。要するに食べ物(サプリメントも含む)に関する健康・栄養情報の「過大評価と過信」のことです。因みにfadには「一時的流行(熱狂)」という意味があります。こうした栄養行為の実践者がフードファディストで、坪内祐三のいうだまされやすい人ということになります。 高橋教授は社会的背景として次の4つの条件が揃うとフードファディズムが生まれ、はびこるようになると指摘しています(フードファディズムの温床)。 @ これはよい、あれはだめ、と選ぶことができるほど十分な食料が供給されている(飽食の時代だからこそです)。 A 食料の生産や製造に対してある種の不安や不信が漂っている(BSEや原産地の偽装表示など)。 B 強い「健康志向」がある(何がなんでも健康になりたいと願う脅迫観念)。 C 論理的かつ多面的に物事を考えることを面倒くさがる(楽して健康を手にいれる)。
いずれも思い当るこれらの社会的背景があるからこそ、テレビ局が健康情報番組の演出効果を狙うには、3つのツボ(ベテランディレクターの言)を押さえておけばよいのだと言います(「あるある」捏造の温床、2月10日付 日本経済新聞)。 もともと食べ物に「それを食べさえすれば健康が保証される」とか、「それを食べると病気になる」と期待したり心配したりすること自体ナンセンスです。フードファディズムも現代の「神話」のひとつの形にすぎないと高橋教授は説明しています。いろいろわかってきたとはいえ、食と健康との関連は簡単に結論の出ないままなのに、その中で話題性の高いものだけが突出してマスメディアを介して広まってしまうことも「神話」の成立に関与するのだとも言います。 そうです。納豆だけ食べていたら痩せられる、にだまされた今度の「納豆騒ぎ」で少しは懲りたはずです。 ではフードファディズムに陥らないためにはどうすればよいのでしょうか。 「そこそこの健康」と「ほどほどの食生活」を高橋教授は勧めています。つまり、食生活の基本は、必要な栄養素を過不足なく摂取することです。「米飯に汁、肉か魚の主菜一皿、そして野菜などの食材を適宜使用した副菜一皿」があれば、見た目にも栄養的にも一食の体裁をなしています。「絶対の健康」など保証しようがありませんが、これだけで「そこそこの健康」は実現できるというのです。私がたびたび申し上げる「中庸の徳」と通底する考え方ではありませんか。 しかしこれでは余りに当たり前過ぎて、面白くもなんともなくて「バラエティ番組」として視聴率は稼げません、というテレビ局スタッフの悲鳴も聞こえてきそうです。わが国で真面目な科学番組が大手をふって登場するにはまだまだ時間が必要ということでしょうか。健全な科学ジャーナリズムが育つことを長い目で見守って行くしかありません。 <参考文献>
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