ドクター塚本  白衣を着ない医者のひとり言
No.84 2つの「医療難民」を考える(下)
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 今回は2つ目の「がん難民」を取り上げます。前回の「リハビリ難民」と比べると、こちらのほうがよほど先輩で人数もずっと多いのです。それもそのはず、がんの死亡数は一貫して右肩上りの増加中で、昭和56(1981)年からトップ死因の座を堅持している「国民病」なのですから。2005年のがん死亡者数は32万5944人で、全死亡者108万人中、3人に1人ががんで亡くなっている勘定になります。膵臓がんで亡くなられた昭和天皇につづき平成の天皇も前立腺がんの手術を受けられました。がん大国・日本の状況を象徴している([患者よ、がんと闘うな]の著者・近藤誠)ことになりました。この20年間ほどでがんに対する国民の意識も随分と変化しています。患者に対する「がん告知」が当たり前になったし、「がんイコール死」ではなくなり、根治するがん患者が増えていることも事実です。

 その一方で、「がん難民」と呼ばれる患者も増えてきたのです。医師との信頼関係が結べず、適切な治療が受けられずに医療機関をさまよい歩く患者たちです。治りたい一心で「がん情報」を求めたり、いろいろな情報洪水に溺れそうになり、しっかりした相談者のいないがん患者の弱みにつけ込んだ、詐欺まがいの悪徳商法の医師や業者の横行など目に余るものがあります。その数がどれくらいか以前から関心があったのですが、昨年末NPO法人「日本医療政策機構」から、がん難民が全国で68万人にも上るという推計が発表されました。全文102ページにもわたる調査報告の詳細は割愛せざるを得ませんので、12月8日の新聞各紙に掲載されたその要約をご紹介しましょう。

 東京大学が2005年1〜6月に、がん患者会などを対象に実施したアンケートから、患者1186人分の回答を抽出して、がんの種類などが偏らないよう補正して同機構が推計したものです。その結果、「納得できる治療方法を選択できなかった」か、「最初の治療説明が不満だった」と回答した「がん難民」が全がん患者の53%と半数以上を占め、これを2002年度のがん患者数約128万人に当てはめると、68万人になるというのです。
 がん難民とそれ以外の患者とを比較すると、ア)最初にがん診断を受けた際の説明時間は、がん難民が19分、それ以外が28分、 イ)受診した医療機関は、前者が3.02ヶ所、後者が1.95ヶ所、 ウ)治療方針を決める際、理解できるまで繰り返し医師に説明を求めた患者は、がん難民が24%、それ以外が65%、 エ)がん難民の保険診療費(自己負担分)は平均年間141万円で、それ以外の1.47倍、通院費などを含む総医療費は年間305万円で、同1.72倍でした。このようながん難民に関する調査はわが国で初めてのことです。

 数字だけではピンとこない向きには、週刊朝日2006年11月24日号に載った典型的ながん難民の一例、東北地方在住の乳がん患者Aさん(62歳の主婦)のことをご覧いただきましょう。彼女は地元の大学病院を受診、進行性の乳がん(V期)と診断され、治療方針(術前の化学療法でがん組織を縮小させた後、乳房の部分切除と腋下リンパ節の切除)の説明を受けましたが、その際医師から「このがんの根治は考えないでほしい」と言われたのです。ただでさえがん告知に動揺しているのに、「治らない」と追い討ちをかけられたので、どうせ助からないのに手術を受ける意味があるのかと悩み考え込んでしまったのです。折りしもAさんの夫は知人から「手術をせずにがんを治す評判の病院がある」と横浜市北部の某クリニックを紹介されたのでした。それは「血管内治療」や「HIFU(高密度焦点式超音波)治療」を看板にする「自由診療(全額自己負担)」(それぞれ1回約50万円、80万円)のクリニックでしたが、乳がんの「標準治療」から逸脱するものでした。夫婦はできるだけの情報を集めて、治療費が高額のものも最先端治療だから仕方がないと思い、一縷の望みをかけてここで治療を開始します。8ヶ月間に総額400万円もかけて行った治療の結果は、有効どころか無残にもがんは拡大して炎症性乳がんにまで悪化してしまったのです。
 地元の病院で言われた「治らない」という心ない医師の一言が、その後の治療に対する判断を大きく誤らせてしまった不幸な例証です。

 昨年5月25日に亡くなられた著名な同時通訳者で幾つもの文学賞を受賞しているエッセイストの米原万里さん(享年56歳)も、卵巣がんの手術を受けてから死の直前までの2年半、がんとの壮絶な闘いをされた一人です。彼女も別の意味でのがん難民だったと言えます。
 彼女の絶筆は、何と「癌治療本を我が身を以って検証」という週刊文春連載の書評日記だったのです(06年2月23日号、3月30日号、5月18日号)。旺盛な生に対する執念と、泣き言一つ言わずに淡々と書き続けられた精神力には感動せずにはおれません。
 手術、放射線、化学療法の3大療法以外の「療法本」を徹底的に検索して読みこなし、自分が魅力的と思った療法を次々に体験された結果報告でもあります。私の印象に残ったものだけを列記しますと、「活性化自己リンパ球療法」(1回約26万円)は、「がん細胞をリンパ球が非自己と認識して排除してくれることには、出発点から無理があり、詐欺のようなものだ」という近藤誠の痛烈な批判どおりだったと自ら確認しています。また彼の言う「一般に患者・家族は、いかがわしいものであればあるほど、大金を払わされている」は、至言だと素直な感想も述べています。
 また森下敬一の「血液が浄化されれば癌は自然に消滅する。血液の酸毒化を抑制するには、食餌療法が最適である」として、強化食品なるものと薬草茶を処方されますが、費用は10万円を軽くオーバーしたので、近藤誠の「至言」を思い出して購入したものをダンボールに詰めて返却してしまいます。
 さらに温熱療法(ハイパーサーミア)も千代田クリニックで試みたのですが、39℃で根を上げて部分麻酔が使えないだろうかと院長に尋ねたら、「もう来るな」と追い払われたり、刺洛療法(自律神経免疫療法)を実践したところリンパ球が激減して逆療法だったとも報告しています(「打ちのめされるようなすごい本」文芸春秋 06年10月刊)。まさに身を削ってまでの彼女の告発には迫力があり説得力に満ちています。

 お二人の例は、まさに68万人もいるがん難民の氷山の一角に過ぎません。

 がんという国民病に対して、厚生労働省も手を拱いているわけではないのです。がんがトップ死因になった3年後の1984年に「対がん10ヵ年総合戦略」、1994年に「がん克服新10ヵ年戦略」がそれぞれ策定されたのにつづき、2004年からの「第3次対がん10ヵ年総合戦略」では、@ がん研究の推進、A がん予防の推進、B がん医療の向上とそれを支える社会環境の整備に取り組んでがんの罹患率・死亡率の激減を目指しています。
 さらに昨年6月に、「がん対策基本法」が議員立法という形で全会一致の成立を見ましたが、いよいよこの4月から、この法律が施行される運びになっています。がん医療に新時代の幕開けだとか、わが国の医療変革の突破口になる年だとかとがん患者はもとより国民から大きな期待が持たれています。
 なかでも全国どこでもがんの標準的な専門医療を受けることができるように、医療技術の格差是正を図るという、がん医療水準の「均てん化」が重要な課題になっています。「がん難民」をなくすためには、がん患者の参加は当然のことですし、がん治療の本当の専門家や正しい情報の決定的な不足、不備を一日も早く解消するような施策がどのように具体化してゆくか見守ってまいりましょう。

                                          (2007年1月20日)


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