ドクター塚本  白衣を着ない医者のひとり言
No.75 「メタボリック症候群」(その4)診断基準には疑問がいっぱい
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 世界中が肥満に悩んでいます。食べ盛りだった少年時代に、敗戦直後の食糧難を身をもって体験した私にとっては文字通り隔世の感です。今週初めからオーストラリアで開催された国際肥満学会での研究発表に世界の目が集まっているのも当然です。肥満の基礎科学として肥満細胞から分泌されるアディポサイトカイン(なかでもアディポネクチン)研究の進展が関心の的になっているようです。

 さて国会審議の場に医学用語のメタボリック症候群が登場したのをご存知でしょうか。それもそのはず、将来にわたって持続可能な国民皆保険を堅持するため、政府は「医療制度改革」の柱の一つに医療費抑制政策を掲げています。その目玉としてメタボリック症候群が取り上げられ、その該当者と予備軍を減少させようという作戦を立てて、20015年までに「25%減」という数値目標も設定しているのです。メタボリック症候群対策のキャッチフレーズはこうです。「1に運動、2に食事、しっかり禁煙、最後にクスリ」。一見、いかにももっともな政策とお感じになることでしょう。

 去る5月10、12日の衆議院社会労働委員会で、野党側委員(医師出身の岡本充功(民主党)、阿部知子(社民党)、ジャーナリスト出身の郡和子(民主党)の諸氏)から政府に対して質問がありました。その詳細は議事録をご覧いただくしかないのですが(http://www.mhlw.go.jp/shingi/2006/06/dl/s0613-8h.pdf)、要するにメタボリック症候群対策が医療費の抑制になると言うが、その根拠やいかに、科学的根拠(エビデンス)なしに決めた診断基準は杜撰なものであり、一例として、ウエスト周囲径がヨーロッパで男女それぞれ94cm、80cm、シンガポールと中国では90cm、80cmとしているのに、わが国だけが85cm、90cmと男女逆転(前回ご説明済みです)していて、権威ある糖尿病専門誌から批判されているのを検討したか、8つもの学会の面子を潰さないような形で一つ一つ取り寄せてモザイクのようにして出来た診断基準を政策化したことに矛盾があるのではないか。さらに、厳しい診断基準は患者を増やすことになり、製薬会社の利益に繋がる政策ではないか等々、政府を手厳しく追及したのでした。

 たしかに昨年4月に発表された診断基準は、寄せ集めの印象が拭いきれないし、何よりも大量長期の疫学的データなしに作成されていて、その完成度に疑問を残すものでした。また、メタボリック症候群の全体像を理解するのに便利な京都大学・内分泌内科伊藤裕助教授がまとめた「メタボリック・ドミノ」とい概念図があり、
これによると川の流れの上流に「内臓肥満」や「インスリン抵抗性」があって、これを放置しておくと下流にある食後高血糖、高血圧、高脂血症を起こし、さらに下流に行くと糖尿病、脳血管疾患、虚血性心疾患、最後には網膜症、脳卒中、心不全と様々な疾患へと流れて行くと言います。

 このとおりだとすると、下流に位置することになる糖尿病や高血圧の専門家にとっては、その原因が全て上流の内臓肥満で説明できるはずはないと、「心理的に」反発を覚えるとも言われているのです。

 現場の糖尿病専門医の間には、「なぜ必須項目がインスリン抵抗性ではなくて、ウエスト周囲径なのか」という疑問の声が多いそうです。これに対しては、インスリン抵抗性の測定には糖負荷試験が必要で、医療現場での使い勝手を考慮して、計測の簡便なウエスト周囲径が選択されたと作成委員会で説明しています。

 「空腹時血糖110mg/dl以上というのも高過ぎる」、「血糖の基準に比べて血圧の基準値(収縮期130mmHg以上、拡張期85mmHg以上)は低すぎる」という意見も聞かれます。これについても日本糖尿病学会で使ってきた110mg/dl以上という学会コンセンサスを崩すことは出来なかったと言います(筑波大学内分泌代謝糖尿病内科・山田信博教授)。

 高脂血症についても、「LDLコレステロール(総コレステロールの大半を占めている)は無視してよいのか」という疑問を呈する医師もいます。たまたまこの「ひとり言」の読者からも同じ質問が来ています。

 これに対して、金沢大学脂質研究講座・馬渕宏教授は、「LDLコレステロールを無視してよいということではなく、高トリグリセライド(TG)血症やHDLコレステロールは複数の異常値が集積して初めてリスクになるから取り上げた」と説明しています。しかしいかにも歯切れの悪い説明だと感じられ、どうやら本音は、閉経期以後の女性も含めた性別、年齢を問わない診断基準では、これまで使ってきた、総コレステロール220mg/dl以上、を採用すると厳しすぎるという世論に配慮したのではと勘ぐりたくなります。

 いずれにせよ、上流にいる内臓肥満やインスリン抵抗性のうちに改善しておくと、ドミノ倒しに起こる重大な心臓血管疾患を食い止めることができるという考え方は、分かりやすいと思います。しかし一方で、科学的根拠に乏しい診断基準で、しかも厳し過ぎると不必要に患者を増やす恐れもあります。

 厚生労働省は「内臓脂肪を減らすには、運動と食生活の改善が基本である」ことを強調しながらも、同時に「薬剤を使った治療が必要なケースもある」として、薬剤の使用を認めています。メタボリック症候群の該当者には降圧剤、血糖降下薬、高脂血症治療薬などを同時に使用することもできるので、製薬会社にとってはこれほど有難い病気はないのです。厚生労働省の発表で予備軍も含めて2千万人もの該当者がいるということは、新たなマーケットが出現したと同じで、大変美味しいお話ということになり、製薬各社間で激しい販売競争が展開されるのは必至です。

 同じ事情は医療機関にもあります。毎日の激務をこなしながら、通り一遍の生活習慣指導だけで体重を落としてお腹ぽっこりを凹ましたり、血圧などを下げることは簡単ではありません。患者の要望に沿った形で医療側も安易に投薬に踏み切る場合も考えられます。私の同級生のなかにも、専門家や役所に厳しい基準を設けてもらうと「医者を食わせるため」に役立つ面もあるね、と正直に言う人もいます。こうなると、肝心の医療費抑制効果どころか、逆に医療費が膨張する恐れもなきにしもあらずなのです。

どうやら、メタボリック症候群の診断基準が不完全なまま一人歩きし出して、厳しい基準が設定されればされるほど、健康な人まで病人に仕立て上げることになります。

 ではどうすればよいのでしょうか。まずメタボリック症候群は、運動不足の解消や食生活の見直しといった生活習慣の改善の「目安」でしかないという認識が大事です。直ちに病気ではないので、安易なクスリの使用を避けます。少なくとも大規模な「無作為対照試験」によって薬剤の有効性が確認されるまで、つまりエビデンスが出るまではメタボリック症候群に対して薬物療法は行わない、という態度を堅持して欲しいと思います。

 皮下脂肪と違って腸間膜の周囲に蓄積している内臓脂肪は、脂肪細胞から放出される遊離脂肪酸、サイトカインなどが門脈を介して直接肝臓へ運ばれるので、皮下脂肪に比べて出し入れが容易です。つまり運動によって減らしやすいということになります。何はともあれ、メタボリック症候群と言われたら軽い運動からというのが正解のようです。

<参考文献>

「特集 打倒!メタボリックシンドローム 動脈硬化はこう防げ」
                              (日経メディカル2005年7月号)

「メタボリックシンドロームのでたらめ」(週刊朝日2006年5月26日号)

「内臓脂肪症候群 診断基準は妥当?」(2006年5月22日付 読売新聞)

                          (2006年9月6日)

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