ドクター塚本  白衣を着ない医者のひとり言
No.73 「メタボリック症候群」(その2)「メタボリック」の意味
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カットの写真は吉田基義さんの作品です
 「メタボリック症候群」が流行語となって日本中を席巻しています。どのマスコミにも、毎日この言葉(「メタボリックシンドローム」、「内臓肥満症候群」とも言っていますが)の現れない日がないくらいです。「『メタボ狂想曲』に踊らされている」(日経メディカル06年7月号)という見出しすらありました。知的な好奇心が強くて健康志向の旺盛なのは結構だと言いたいのですが、同時に流行に敏で、すぐ大勢に靡いてしまうわが国の国民性の怖さもちょっとは感じています。

 このホームページの編集委員の鳥海省吾さんが「グッドタイミング」のテーマだと言ってくださったのは有難いのですが、このような情報洪水のなかでは、些か書き辛い思いもさせられます。そこで少し回り道してでもじっくりこのテーマに取り組むことにいたしましょう。

 まずは「症候群」から始めます。この言葉は医学用語のシンドローム syndrome の翻訳です。「エコノミークラス症候群」とか「シックハウス症候群」とかも耳にしますが、どこまでが医学用語か怪しい気もします。何時からか、医学だけではなく普通の日常会話にも頻繁に使われるようになりました。最近も「バレリーナ症候群」というのにお目にかかり、若者が自分の部屋の片付けができずに、散らかってつま先立ちでなければ歩けない生活ぶりのことだと知って苦笑いしました。

 冗談はさておき、シンドロームの語源はギリシャ語のsyntogether)+ dromosa running)で、「医学的には症状の集合のこと、病的経過にともなった徴候や症状の集合で、病状を構成しているもの」と手元のステッドマン医学辞典(第4版、1997年刊行)には書いてあります。広辞苑には、「一群の多彩な症候で形成されるまとまった病態。原因および発生機序が同一であれば独立した疾患単位であるが、原因が多岐にわたるものもある。転じて、病的傾向を意味する接尾語としても用いる」となっています。新明解国語辞典はもっと分かりやすく、「(病因が不明であったり単一でなかったりする時に)病名に代わるものとして名付けられる称。症候が複数であることを特徴とする」と書いてあります。上記の辞典には新顔のメタボリック症候群の記載はまだありませんが、その数はゆうに数百もあり、細かい活字で24ページ分(Aarkog-Scott s.からZollinger-Ellison s.まで)もあり、医学の進歩とともにその数はどんどん増えてゆくに違いありません。

 ではメタボリック症候群の「メタボリック metabolic 」というのは何でしょう。直訳すると「 metabolism 物質代謝の」ということになりますが、意訳すると「代謝異常の」ということです。これでもよく分かりません。もともと代謝とは、生物体が生存・活動に必要な物を体内に取り入れ、不必要な物を出す「生化学過程」を指す生物学用語です。ここではもっと狭く限定して、「糖と脂肪」の生体内化学変化のことを言っています。ちょっとだけ肥満に関係がありそうだと分かってきたでしょうか。

 エネルギーの摂取と消費の間に差があって使い切れずに残った場合、余分なエネルギー源が中性脂肪の形で肥満細胞の中に蓄積され、それが過剰になると(何をもって過剰とするかはさておき)「肥満」状態になります。全身につく脂肪は、昔からよく知られていた「皮下脂肪」と、ここ10年ほどで急に有名になった「内蔵脂肪」とに分けられるようになりました。生体は空腹時や運動時などエネルギーが必要なときには、内臓脂肪を脂肪酸に分解して血中に放出して使います。逆に血中に脂質が多すぎる場合には、再び回収して脂肪に変えて貯蔵します。このような出し入れ(代謝そのものです)を頻繁に繰り返しているのが内臓脂肪です。一方、皮下脂肪はいったん蓄積されるとあまり出し入れされず、非常時の飢餓状態に備える貯蔵専門の場所です。分かりやすい比喩で、「内臓脂肪は普通預金」、「皮下脂肪は定期預金」と言われるのはこのためです。

 長い人類の進化の歴史を振り返ると、狩猟生活時代に獲物が取れない時のために、皮下脂肪がエネルギーの蓄積場所として選ばれ、また毛皮を持たない人類の保温に皮下脂肪が有効に働いたからこそ、我々の祖先は生き残ったのだとも考えられます。

活動量が多くて、有り余る飽食を体験することの少なかった人類の祖先にとって、エネルギー源は常に不足状態で、とても内臓脂肪を蓄積するようなことはできなかったのでしょう。

このように内臓脂肪で、脂肪代謝が頻繁に起こっていることが明らかになるにつれて、脂肪細胞がエネルギーの単なる備蓄倉庫としての機能だけではなく、それに加えて多彩な「生理活性物質」を放出する内分泌細胞の機能も併せ持っていることが明らかになりました。前回ご紹介した松沢教授らが、大阪大学・細胞生体工学センターの松原謙一・所長(当時)らの指導のもとに行った研究成果でした。彼らは脂肪細胞の分泌する生理活性物質を総称して、「アディポサイトカイン」と命名したのでした(アディポは脂肪という意味)。

この一連の研究は内外からも注目され、松沢先生は2002年のベルツ賞を受賞されています。今秋オーストラリアで開催の国際肥満学会では、「サイトカインの基礎研究」がメインテーマの一つになっているくらいですから、現在国際的に見ても凌ぎを削る最先端の研究だと言うことが分ります。

ではどのような活性物質があるのでしょうか。これがまた単純ではないのです。でも専門家ではない強みで内臓肥満の視点から、「善玉、悪玉」と割り切ってご説明しますと次のとおりになります。どこかで聞いた名前だなと思っていただくだけで結構です。

「善玉」
@ アディポネクチン ア)動脈硬化を防ぐ(マクロファージの血管壁への付着を抑え、血管の平滑筋細胞の増殖を防ぐ)、イ)血圧を下げる、ウ)糖尿病を防ぐ(インスリンの感受性を高めて血糖値を下げる)
A レプチン(満腹中枢を刺激して、基礎代謝を上げ、食欲をコントロールする)
「悪玉」
@  PAI−1(パイワン)<プラスミノーゲン活性化因子インヒビター>(血小板を結合して血栓が作られやすくなる)
A   TNF−α<腫瘍壊死因子>(インスリン抵抗性を高めて血糖値を上げ、糖尿病を発症させる)
B アンジオテンシノーゲン(血管を収縮させ、血圧を上げる)

これらの活性物質の中で、アディポネクチンだけは内臓脂肪が蓄積すると、脂肪細胞からの分泌不全が起こって低アディポネクチン血症を招いて、インスリン抵抗性(肝臓、筋肉、脂肪細胞などの表面にあるインスリン受容体の異常のため十分働けなくなる状態のこと)が上がります。そのため耐糖能の低下、血圧の上昇、引いては動脈硬化の発症に直接影響を与えることになります。まさにアディポネクチンはメタボリック症候群のキープレイヤーの役割を果たしていると考えられています。また内臓脂肪の蓄積によって上記のその他の物質はいずれも過剰分泌を起こし、相互に影響を及ぼし合って動脈硬化の進展の強力な引き金になっているのです。換言すると、内臓脂肪の蓄積は、動脈硬化の発症に関係する多数の危険因子の上流に位置していることになります。

 要するに「メタボリック」が意味しているのは、内臓脂肪の「代謝異常の」ことだというわけです。

<参考文献>

 松沢佑次ほか:「肥満学会・肥満症治療ガイドライン2006」

                           (2006年8月2日)

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