ドクター塚本  白衣を着ない医者のひとり言
No.70 集団検診にPSA検査は必要ですか
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 昭和の歌謡界を代表した大歌手、三波春夫が前立腺がんで亡くなって早くも5年になります。享年77歳でした。長くマネージャーを務めた長女の八島美夕紀さんが、父の死を無駄にしないようにと、PSA検査の普及活動のためにご自身が代表になって「三波春夫PSAネットワーク」を立ち上げたのは、翌2002年12月のことでした。

 父親思いの長女が一念発起して立ち上げたこのネットワークの活動に拍手を送りたくなるではありませんか。しかしこの組織は僅か3年しか続かず、2005年末には突然活動を中止してしまいます。なぜ止めたのか本当の原因は発表されていませんが、どうやら、がん検診の有効性の分り難さが根っこにあるのではないかと私は勘ぐっています。その辺の事情を解説してみましょう。

 がん疫学の専門家、大島清・大阪府立成人病センター・前調査部長はこう言っています。もともとがん検診の目的はあくまで「がん死亡の減少」であって、早期発見はそのための手段です。この目的をかなえているか否かによって検診の有効性を判定すべきです。わが国では、現在でもなお早期発見ががん予防の唯一の決め手だという考え方は根強く残っています。一方、国際的には1980年代からがん検診は見直されていて、国際対がん連合では、「がん検診によるがん死亡減少の効果が、適正に設計された調査研究により示されない限り、公衆衛生の施策として取り入れることは勧告できない」という原則を打ち出しています。むしろ「がん検診がもたらす害」を充分知った上で、利益と損失を比較してからでないと一律にがん検診を実施すべきではないと言うのです。がん検診に害があるなんて初耳だと言わないでください。大島先生は次のように整理しています。

@    偽陽性(がんでないのにがんと診断):要らざる心配、精検の費用と危険

A    偽陰性(がんなのに非がんと診断):誤った安心による治療の遅れ

B    病悩期間の延長:病気に悩まされる期間が長くなる

C    過剰診断:検診を受けなければがんとは知らないまま他の病気で死ぬ可能性が大きいものを発見される害

D    本来行うべきがんの一次予防から目をそらすことになる(例えばタバコ規制対策をサボる口実になる)

E    有限で貴重な医療資源の無駄遣い

 がん検診の総論はここまでにして、問題のPSA検査に話を戻します。今年(2006年)4月に福岡市で開催された第94回日本泌尿器科学会総会で、「日本における前立腺癌検診の現状と展望」と題するパネルディスカッションが行われました。もとより非会員の私が出席しているわけもないのですが、プログラムと抄録を覗いてみますと、5人のパネリストのなかには、無症状の健常人に対する積極的なPSA検診推進論者は一人もいませんでした。むしろ、検診によるメリット・デメリットの情報提供を行って、それを基に個人が自分の受けるべきスクリーニング検査を取捨選択できるような時代が来るであろうから、受診「希望者」に対して精度の高い検診システムの体制作りが必要だと言う点で見解が一致していました。

 なかでも、「PSA検査で前立腺がんの予防はできない」という立場をもっとも鮮明に打ち出されたのは、総合せき損センター(福岡県飯塚市)の木元康介・泌尿器科部長でした。彼の論点を私なりに整理してご紹介する(日本人データや研究論文に基づくものでないことは残念ですが)と次のようになります。

 1)PSA検診は、死亡率を下げていないとする証拠があります。

 A)アメリカとイギリスの前立腺がん罹患率と死亡率を時系列的に比較した研究(柴田ら、1998年)によると、PSA検査の普及が進んだアメリカの1990年代初頭には罹患率は急上昇する一方、普及しなかったイギリスの罹患率は横ばいのままでしたが、何と両者の死亡率には殆ど差がなかったのです。

 B)アメリカ国内で、PSA検査に熱心なシアトルと不熱心なコネチカット州との比較研究(黒人の人口比率に差がないことを確認して)では、PSA検査率で5倍もの差があったにもかかわらず、両者の死亡率は変りなしでした(2002年)。

 2)PSA検査が前立腺がんの死亡率低下に有効であったとする2つの研究も、アメリカの学会におけるディベートの結果、@ケベック研究は、疫学研究で行ってはならないセレクション・バイアスによる偏りのあるお粗末なものでしたし、Aチロル研究も、研究の指導者がこの地方における前立腺がんのホルモン療法を一変させていたのでそのまま信頼できないないということが分りました。

 3)前立腺がん研究で有名なスタンフォード大学のステイミー教授Stamey TAは、デトロイトの路上で死亡していた男性の解剖所見から年齢とともに前立腺がんの保有割合は増加していて、70歳代では80%までが前立腺がんの保有者であって、白人と黒人との間で差が認められないという研究成績を引用しながら、「多くの男性は前立腺がんで死ぬのではなく、前立腺がんを持ったまま他の病気で死ぬ」のだと結論付ける論説を発表しています(2004年)。何とその論文のタイトルは「PSAを前立腺がんのマーカーとする時代は、アメリカで終わった」という大変衝撃的なものでした。

 4)PSA検査推進派にとって、とどめを刺されるような論文が、アメリカ医師会雑誌に掲載されました(2005年)。テキサス大学のトンプソン教授Thompson IMの研究がそれですが、分りやすく医学雑誌のインタービューに答えた彼の結論だけを披露しますと、「PSAにカットオフ値(ある程度の感度と特異度を保てる値を定めて、その値よりも大きいか小さいかで陽性、陰性と判定します。現在世界中で用いられているのはPSA値4.1で、それ以上は前立腺がん陽性、4.0以下なら陰性としています)など存在しないということを患者も医者も再教育されないといけない」、「多くの前立腺がん(悪性度の高いものも含めて)はPSA値が低い時期に見逃されている。これが15年以上も熱心にPSA検査を行っても前立腺がん死亡率を下げることが出来なかった理由なのだ」というものでした。

 このような考え方は木元先生だけではありません。無症状の健常人に対して積極的にPSA検査を勧めるわが国の風潮は明らかに行きすぎだと以前から指摘していたのは、埼玉県上尾市の内科医・前田賢司先生で、アメリカ内科学会では、無差別に全員にPSA検診を行うのではなく、診断と治療の利害得失をよく説明した上で患者の心配事に耳を傾けて、個別に検査をするかどうか決定すべきとしているそうですし、アジア人では前立腺がんの発生率が10分の1程度なので、シンガポール健康省は現時点でPSA検診を勧めてはいないのだとも言い切っておれます(2003年4月30日付読売新聞)。

 いかがでしょうか。熟年層の集団検診にPSA検査を義務付けること、つまり特異度が劣るというPSAの泣き所があるために前立腺がんの早期発見にPSA検査を絶対視すべきではないことを教えています。また馬鹿の一つ覚えのような「早期発見、早期治療」というワン・パラダイムだけでは前立腺がん制圧に立ち向かえないことだけはご理解いただけたでしょうか。

<参考文献>

 大島 明:がん検診は予防になるか、薬のチェックは命のチェック、bP7
      2005年1月
 木本康介:前立腺がん検診で予防はできない、薬のチェックは命のチェック、bQ0
      2005年10月

  (2006年6月21日)

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