ドクター塚本  白衣を着ない医者のひとり言
No.7 疫学者が「青森りんご勲章」を受章
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 色鮮やかなりんごが所狭しと並んでいます。

 昭和一桁生まれの私にとって、最も古いりんごの思い出は、小学校までしょっちゅう風邪をひいて扁桃腺を腫らし、寝込んいる私の枕元に、母親が運んでくれたりんごジュースのことです。下ろし金で摺ってガーゼで漉して作ったもので、褐色に変色していますが高熱の身体に染込むように冷たくて甘酸っぱく、まさにおふくろの味でした。中学校では、戦後の荒廃した世相のなか、誰しも食うのが精一杯だった昭和21年、ラジオから流れた並木路子の「りんごの歌」が、どれほど皆の気持を明るくして希望を与えてくれたか、これまた懐かしい思い出です。カラオケがまったく苦手な私ですら「赤いりんごに唇よせて〜」は、いまも口遊むことができます。

 その頃のりんごは、りんご箱に籾殻かおがくずのなかに埋まっていた小ぶりで真っ赤な果肉の白い、酸っぱみの強い「紅玉」ではなかったでしょうか。探り出しては洋服の袖で擦ってピカピカに光ったやつに齧り付くと、じわっと北国の香りと味が口中に広がったものです。

 さて、何回かご登場いただいている「塩の先生」佐々木直亮先生は平成13年度の「青森りんご勲章」受章者でもあります。実は、戦後の流行歌史は彼女から始まったとされるあの並木路子も、この勲章の第一回受章者だったそうです。

 青森県知事からの「表彰状」には「あなたはりんごと健康に関する研究者としてりんごの高血圧予防効果を世界に先駆けて実証し国内外から高く評価されるなど、りんごの健康科学の基礎をつくり、青森りんごの発展に貢献した功績はまことに顕著なものがあります」と書かれていました。

 欧米の古い格言のなかに、「一日一個のりんごは医者を遠ざける」というのがあります。佐々木先生の恩師に当たるミネソタ大学のA キース教授が、りんごに含まれる多糖類ペクチンが血清コレステロールを下げる効果があると発表したことに触発されて、りんご研究を1954年から開始されます。

 先生は、まず、青森市近郊のりんご生産地の住民の血圧測定をした結果、血圧値が低い傾向にあることことから出発して、毎日食べるりんごの個数と血圧測定値、同時に調査した生活環境(冬季のストーブなど)の関係を検討して、りんごの摂取量の方が環境条件より大きい影響があることを明らかにされます(断面的研究)。次いで、りんごを毎日食べる人、酒を毎日飲む人についてそれぞれ15年もの長期間にわたって血圧値の推移を観察した縦断的研究においても、りんごの高血圧予防効果を確かめられたのです。


 また、「介入実験」を行い、米単作の秋田農村へりんご(国光)を貨車で運んで、りんごを食べた人と食べなかった人を毎日、同じ時間に訪問して血圧測定をし、一升瓶を預けて1日分の尿を蓄尿してもらい、そのサンプルを実験室に持ち帰りナトリウム、カリウム、クレアチニンを測定し、当初、両群間に差がなかった血圧値が、りんごを食べてもらった10日後には、りんご摂取群の血圧は有意に低下していることを明らかにされました。尿の分析結果から、Na/K比という見方でりんごの栄養素の一つであるカリウムがナトリウムに拮抗して、高血圧発症に抑制的に働くことを実証されたのです。

 先生は、1983年に当時NHKの名物アナウンサー鈴木健二の司会する「クイズ面白ゼミナール」という番組に出演してレクチャーをされますが、大学を定年退官されてから、「りんごと健康」(第一出版、1990年)という著書も刊行してりんごの健康科学を解説しておられます。

 この著書の内容を要約して、先生は次のとおり纏めておられます。

 りんごは、下痢の治療だけでなく、貧血によく、離乳食として最適なこと、ビタミンCも実際にはかなり含まれており、生理機能の基本に関わる抗壊血病因子たりうること、繊維もあり、便通も整えること。そしてりんごを食べていることは脳卒中や高血圧の予防になることを30年かかって証明してこられました。毎日りんごを食べることは健康につながる科学的根拠を持つ知恵であると思う。最近では、どの成分かは明らかでないが、がんの予防にも一役買っていると言われています。津軽平野に広がるりんご畑のなかを弘前を取り囲むように素晴らしいドライブコース(アップル・ロード)が走っているそうですが、先生は30数年も高血圧とりんご一筋の研究で走りぬけたと述懐されるのです。

 「青森のりんごとかけて、徒然草と解く」その心は、健康に奉仕(兼好法師)する」、とは落語の歌丸師匠の作だということを教えて下さったのも、佐々木先生です。

 先生は、随筆家としても有名で、医者の週刊誌といわれる日本医事新報の「炉辺閑話」と「緑陰随筆」の常連執筆者でもあります。1980年に最初の紀行・随筆集「衛生の旅」を発刊されてからは次々とPart2(1985年)からPart7(1999年)までを出版され、その都度私は恵贈いただいています。

 その後は現在まで、ペーパーレスに模様替えして、'naosuke'

http://hippo.med.hirosaki-u.ac.jp/~sasakin/naosuke.html

という自らのホームページで発表を続けておられます。まったく年齢を感じさせない先生の精神の若さには驚くと同時に敬服するしかありません。日本を代表する疫学者佐々木直亮先生の研究の詳細や生き様にご関心のある向きはぜひ一度、アクセスされることをお勧めいたします。

                                             (2003年11月3日)
 

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