ドクター塚本  白衣を着ない医者のひとり言
No.69 切らずに治す「小線源療法」
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 一般論としてがん治療法の御三家が、外科的手術、放射線療法、化学療法の3つであることはよく知られています。なかでもわが国では、腫瘍の全摘出術とがん病巣近辺のリンパ節廓清術ががんの根本的治療におけるトップの座を長らく占めてきました。端的に言えば外科的手術が治療の主役で、後の2つは脇役的存在に甘んじてきたといってもよいし、がん治療の臨床現場では、術後の再発防止の補助的な役割や、手術が困難なほど進行したがんに対して使われる療法といった位置づけでした。

 このような考え方はまだまだ根強いと思いますが、こと前立腺がんに関しては大分事情が変りつつあります。つまり、放射線療法が治療のファースト・チョイスに昇格しようとしているちょうど過渡期にあるということです。

 ここで放射線療法の原理を簡単におさらいしておきましょう。もともと放射線は肉眼では見えない「電離放射線」のことを指しますが、物質の中を通過する際に、物質を構成している分子や原子の原子核と衝突することがあり、周囲を回転している電子をはね飛ばし、原子は電荷を失って「イオン化」します。このイオン化とも「電離」とも言われる現象を起こす性質をもっている粒子の流れや光のことです。がん細胞が放射線を浴びると死滅するのは、細胞の核内にあるDNAの二重鎖らせん構造が、放射線の通過中にDNAをイオン化することによって切断するからです。もちろんがん病巣周囲の正常細胞でも同様にDNAの二重鎖は切断されますが、がん細胞の方が増殖スピードがずっと速くて分裂期に入っている細胞が多く、DNAの二重鎖構造がほどけかけているために切断されやすい、つまり正常細胞よりも死滅する可能性が高いと言うわけです。

 放射線療法でもっとも重要なことは、当然のことながら放射線をできるだけがん病巣に限局して照射し、同時に膀胱、直腸など周囲の臓器や正常組織にはなるべく照射の影響を少なくするよう工夫することにあります。照射の方法には大別して、「外照射法」と「組織内照射法」の2つがあります。外照射法にも技術的にいろいろな工夫(「3次元照射療法」、「強度変調放射線療法」、「粒子線治療」など)がなされています。その詳細は割愛するとして、ここでは最近世界的にもっとも注目され、急速に普及している組織内照射法の「小線源療法(ブラキセラピー)」のことをご紹介します。

アメリカでは早くから口腔(舌)がん、子宮頚がんなどに使われていたのですが、前立腺がんへの適応はすでに1970年代から始まっており、1996年に前立腺に限局しているがん治療のうち、小線源療法を受ける患者の割合は4.2%に過ぎなかったのが、2005年には50%に迫っているそうです(高橋悟)。わが国では、かなり遅れて2003年7月になってようやく線源として使うアイソトープ・ヨード125の供給が開始され、小線源療法が本格化したのでした。国立病院機構東京医療センター(旧国立東京第二病院)泌尿器科・斉藤史郎医長がこの療法のわが国での草分け的存在です。

 この小線源療法の原語・ブラキセラピーの「ブラキ」とは、ギリシャ語の「短い」を意味する接頭語で、「短い距離を照射する療法」という意味になります。
 さて小線源療法が適している治療対象の患者の条件として、垣添忠生・国立がんセンター総長は、@前立腺の大きさが60グラム以下(つまりあまり大きくない)、A治療前のPSA値が10以下、Bグリーソン値が6以下、が望ましいとしています。それ以上の場合には、つまり中リスクの患者に対しては、小線源療法と外照射法とが併用されることが多いのです。

 何と言ってもこの療法の利点としては、切らずにすむので手術時の全身的な侵襲が極めて小さいこと、全摘出術や外照射法に比べて尿失禁や性機能不全(ED)など、後遺症を起こす可能性が極めて低いこと、グリーソン値が「7」を越えている場合でも、外照射を併用することによって効果が認められること、治療のための入院はもとより拘束期間が極端に短いこと(アメリカでは日帰り治療すら行われています)、が上げられます。さらにもっとも重要なことに、アメリカでの長期予後研究の結果ではありますが、前立腺がんの病期(ステージ)が、B(T2)の場合には(ステージについては前回 No.68 「前立腺がんには『慎重観察』も選択肢の一つです」をご参照ください)、術後の生存率が全摘出術と同じであったということです。

 小線源療法は一口で言うと「密封小線源(シード)の永久留置法」です。その治療の実際を要約しますと、第1段階として、超音波で経直腸的に走査して、コンピュータ解析により前立腺の3次元画像を作成します。これに基づき、放射線が尿道を除いた前立腺内に集中し、一方で周辺部位には極力照射しないように、シード(ヨード125を封入した長さ4.5ミリ、直径0.8ミリのチタン(身体に拒絶反応を起こさない金属)製カプセルです)の位置や数を算定し、精密な挿入留置計画を立てます。第2段階では、手術室で下半身麻酔をかけたうえで、専用の挿入機器(テンプレートという挿入照準盤やアプリケーターという挿入装置など)を用いて超音波画像を見ながら治療計画に沿ってシードを80〜100本、前立腺内に埋め込みます。処置のために要する時間は約1〜2時間です。第3段階は術後の経過観察で、ほとんどの患者が一時的な頻尿や切迫尿などの症状を経験します。なおヨード125の半減期は約60日、約300日で放射能は消失します。

 このように書いても、小線源療法の原理だけは一応理解できたところで、未経験の人には到底その実際処置が思い浮かぶはずもありません。ここで登場するのが前立腺がん患者の優れた「体験記」です。実は小線源療法の普及に大いに貢献しこと間違いなしと、私が高く評価している『前立腺がん 切らずに治した―最新「小線源療法ブラキセラピー」 体験記』が文芸春秋から出版されたのは、2003年7月のことです。筆者は1934(昭和9)年生れの本郷美則という朝日新聞社に在籍し、東京本社ニュースメディア本部副本部長、研修所長などを歴任され、退職後はフリーですがバリバリのジャーナリストです。彼は2002年の1月に、小便の出が悪くなったと罹りつけ医を受診した際の検査で、PSA値が16と言われたのから始まって、同年5月に国立病院機構東京医療センターの斉藤史郎医長から小線源療法(ヨード125の解禁前で、イリジウム192でしたが)を受けられるまで、自らの前立腺がん治療体験を克明に書いておられます。

ご自分の病気のこととはいえ、パソコンを駆使した精力的な資料検索によって小線源療法の存在を知り、斉藤医長はもとより多くの医療関係者の支援を得た熱心な勉強の成果を基に、専門家も顔負けの正確無比な筆致で前立腺がん患者にそのまま役に立つ、立派なノンフィクションの著作に仕上げられたのです。まさに本郷さんのジャーナリスト魂そのものがなせる業ではないかと心底敬服いたします。もしこれから小線源療法を受けようとなさる人にはぜひご一読をお勧めいたします。写真、解説図などふんだんに使って療法の実技まで具体的に説明されていますので、小線源療法の実際を理解するには最適な本と言えましょう。

なお小線源療法のことは、最近の朝日新聞にも「生活」の頁の「患者を生きる」というシリーズで連載されました(5月23日〜28日)。北里大学病院でこの療法を受けた人の体験を取材した記事ですが、2005年1月に泌尿器科外来で受付されてから、順番待ちのため実際の治療を受けたのは、7ヵ月後の同年9月だったそうです。垣添総長の本にも、もっとも早くから手がけている東京医療センターでは、1年の待機期間を要すると聞いている旨記載されています。いかにこの療法にかける期待が大きくて人気が高いかを如実に示していると同時に、すでにご存知のとおり、前立腺がんの増殖のスピードからみてこれくらいの待ち期間があっても治療に然したる支障はないということがわかります。

      (2006年6月7日)

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