ドクター塚本  白衣を着ない医者のひとり言
No.68 前立腺がんには「慎重観察」も選択肢の一つです
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 前立腺がんは、ご本人が全く気がつかないまま他の死因で死亡すること(潜在がん)や、前立腺肥大症の手術後の病理検査で初めてがんを発見されること(偶発がん)も多く、スローがんの代表だということはすでにお話しました。とは言え、一口に前立腺がんと言ってもその病像は多彩で、ピンキリがあります。がん細胞の悪性度はもちろん、発生部位、大きさ、周囲臓器への浸潤、他の臓器への転移など、一様ではありません。ケースバイケースの前立腺がんに対応して、当然その治療法も違ってきますし、治療技術の開発や進歩によって選択肢も多岐にわたっています。度々ご紹介している国立がんセンター・垣添忠生総長の著書「改訂版前立腺がんで死なないために」も、サブタイトルは「治療の多選択肢時代を迎えて」となっているくらいです。

 しかし、垣添総長もご自身が泌尿器科の専門医のせいか、アグレッシブな治療については詳述しておられますが、「慎重観察」(watchful waitingの訳語です)という立派な選択肢があることには、消極的な姿勢をとっておられます。文字通り「注意深く経過観察をする」のですから、つまり外科的手術療法(根治的前立腺全的摘除術)はもとより、放射線療法(小線源療法が今、もっとも注目されています)やホルモン療法など積極的な治療を全く必要としないということです。がん患者に対してそれで大丈夫ですか、という疑問が出てくるのは当たり前です。しかしほぼ半世紀前の私の学生時代には、平均寿命を超えている高齢の前立腺がん患者には経過観察だけでよいと教わったものです。

 診断学の進歩と相俟って、生活の質QOL重視の社会的な風潮が強くなっている今日では、以前にも増して「慎重観察」という選択肢のもつ意味が大きくなっているように思います。

 慎重観察も考慮に入れて最適で最善の治療法について考えるには、前立腺がんの進展度や悪性度のことをまず理解しておかねばなりません。PSA検査の導入(わが国で普及し始めてまだ10年そこそこです)が、前立腺がんの早期発見に大きく貢献したことは言うまでもありませんが、この検査は感度こそよいものの特異度が低いので、スクリーニング検査でしかありません。がんと診断して進展度を確定するには、直腸指検査(直腸診)、超音波検査や、CT、MRI、さらに骨シンチグラムなどの画像診断を行ったうえで、最終的に前立腺生検(バイオプシー)を行って前立腺組織の病理診断(顕微鏡検査)が必要です。

まず臨床的病期診断(ステージング)は、PSA検査導入後に国際対がん連合UICCが作成した、がんの進行状況について世界的に共通の表記方法となっている「TNM」分類が主流です。それ以前にアメリカで行われていたウィットモア・ジュリエット分類(「ABCD」分類)と基本的な考え方は同じです。ここで、Tは腫瘍(原発巣)の進行度、Nはリンパ節転移の有無、Mは遠隔転移(主として骨への転移です)を表しています。

より具体的には次のとおりですがABCD分類との対応も示しておきます(2002年版)。

T1: 直腸診は正常で、偶然見つかったがん
(画像診断でも検出不能、前立腺肥大症の切除などで偶然見つかったもの)
a: 切除組織の5%以内にがんがあるもの (A1)
b: 切除組織の5%をこえてがんがあるもの (A2)
c: PSA値が高く、生検で確認されたがん
(集団検診の普及しているわが国では、このT1cの頻度が最も高いと思います)
T2: 前立腺内にとどまっているがん
a: 左葉か右葉のいずれかの1/2以下のがん (B1)
b: 左葉か右葉のいずれかの1/2をこえるがん (B1)
c: 左葉、右葉の両方にあるがん (B2)
T3: 被膜外に浸潤したがん
a: 片側および両側での被膜外浸潤 (C1)
b: 精嚢浸潤 (C1)
T4: 精嚢以外の隣接臓器(膀胱頚部、直腸など)への浸潤 (C2)
N1: 所属リンパ節への転移 (D1)
M1: 遠隔転移(a:所属リンパ節以外、b:骨,cその他) (D2)

つぎに前立腺がんの悪性度は、顕微鏡によるがん細胞の病理診断で判定するのですが、世界的に良く使われるのは「グリーソンGleason分類」です。割り切って説明しますと、がん細胞の顔つき(異型性)の違いを5段階に分類してG1からG5までのグレードをつけます。1つのがん病巣が均一の分化度(異型性が同じ)ということは少なく、悪性度の違うがん組織が混在しているのが普通です。そこでもっとも優位な(標本上最も広い面積を占める)組織像のGグレードと、2番目に優位な組織像のGグレードを合算して、この和を「グリーソン・スコア」とします。したがって総合スコアは2〜10点となり、このスコアが予後とよく相関することが明らかになりました。およそ2〜4は高分化がん、5〜7は中分化がん、8〜10は低分化がんに該当しています。

以上の臨床的病期とグリーソン・スコアを組み合わせることによって、個々の前立腺がん患者の治療方針が決まることになります。主治医と患者との良好な人間関係があってこそ、最適、最善の治療を受けることができるのですから、これから前立腺がんの治療を開始しようとする患者は、ぜひとも臨床的病期とグリーソン・スコアをキチンと理解してから治療に臨むことが必須ということになります。泌尿器科固有の治療法の詳細は説明できません(力不足ですみません)が、選択肢の一つである慎重観察の条件についてお話することにしましょう。

まず、その条件とは、次のとおりです。

@   平均余命が短い人、つまり高齢者であって、日常生活に支障を来たすような自覚症状がほとんどない人
A      前立腺がんの他に重大な病気をもっている人
B       前立腺がんの腫瘍が小さく、グリーソン・スコアが小さい、PSA値が低いこと
C       定期的に、まずは半年に1度のPSA検査や直腸診を受けること


 平均余命については、何年以上なら長くて何年未満なら短いのかは、個々人の人生観によって決まるので一概に申せませんが、厚生労働省発表の「平成16年簡易生命表」が参考になると思います。
http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/life/life04/m.html

アメリカでの研究ですが、低スコアの前立腺がん患者の95% までが15年間生存したという報告があります。1つの目安として平均余命が15年を切っている70歳以上の人ということでいかがでしょう。

 すでに心臓疾患、糖尿病で治療中の方や、難病と闘っている患者に積極的な前立腺がん治療はお勧めできません。

 垣添総長が主任研究員となって行われた厚生省・がん研究班の研究では、臨床病期「ABCD」4分類とグリーソン・スコアによる分化度、「高・中・低」3分類を組み合わせて、病期Aで高分化の危険度を1.0とした生命予後の相対危険は、Dで低分化の12番目の組み合わせ群が9.1と、実に9倍もの違いが認められました。一方病期A、Bで中分化までなら危険度は、1.0〜1.1とほぼ同じでした。

 私のような性格の人間は、痛いのは嫌だし、失禁やEDなどの副作用も怖い、その上優柔不断ときていますので、もしPSA値だけが高く直腸診がオーケーで、グリーソン・スコアが4点までと診断されたなら、迷わず慎重観察を選択するに違いありません。いずれにせよ、「早期発見、早期治療」だけを信奉していたり、主体性のない「すべてお任せ」ということでは、前立腺がんと正しく向き合っているとは言えないのです。

                        (2006年5月17日)

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