ドクター塚本  白衣を着ない医者のひとり言
No.66 前立腺がんにかかった著名人
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 前立腺肥大症や前立腺がんの治療をするのはもちろん泌尿器科の専門医です。以前と比べると泌尿器科のイメージが随分明るくなっています。千葉大学付属病院長だった伊藤晴夫教授(泌尿器科学)も、「泌尿器科医になった」と聞いてがっかりされたお母さんに、もっと長生きして現況を見て欲しかったと述懐されているくらいです。泌尿器科を受診することに対する抵抗感やネガティブな感じが払拭されたように思うのは私だけではないでしょう。前立腺がん患者が増えてありふれた病気になったというだけが理由ではなさそうです。今回は前立腺がんにかかった実在の人物のことを話題にしてみました。統計数字などよりもよほど迫力のある解説ができるかも知れません。

 前回ご紹介した垣添忠生・国立がんセンター総長の著書「前立腺がんで死なないために」は、先生が治療に当たられた読売新聞グループ本社の渡邉恒雄会長から、「自分でこの病気のことを勉強しようとしてもしっかりした一般向けの書物がない」と言われたのがきかけで出来た(第一刷は平成10年)のでした。昨年出版された改訂版の帯広告で、「日本最初の分りやすい解説書であり、全ての男性にとっての必読書である」と推薦している渡邉会長は、見事に前立腺がんの治療を成功させて活躍中の生き証人でもあります。

 渡邉会長のほか、日本人で前立腺がんにかかった各界の著名人をあげますと、ノーベル物理学賞の日本人第一号受賞者である湯川秀樹、演歌歌手の三波春夫、朝日新聞社長・広岡和男、プロゴルファー・杉原輝雄、前総理大臣・森喜朗、映画監督・深沢欣二らの諸氏がおられます。

 海外では、映画俳優のロジャー・ムーア、ジェリー・ルイス、ロバート・デ・ニーロ、テリー・サバラス。政治家では、ミッテラン(元・フランス大統領)、ベルルスコーニ(元・イタリア首相)、ホメイニ師(イランの宗教指導者)、フセイン国王(ヨルダン)、シアヌーク殿下(カンボジャ)、ルドルフ・ジュリアーニ(前ニューヨーク市長)等々。

 米国の週刊誌「タイム」の前立腺がん特集(1996年4月8日号)の表紙を飾った湾岸戦争の英雄、ノーマン・シュワルツコフ将軍は、「私にとってそれは正に戦争だった。勝つためにまずなすべきは敵を知ることだった。」語っています(垣添総長)。伊藤教授に言わせると、「えっ、あの人もそうなの・・・」と意外に思われる方もいて、しかも現在も第一線で活躍中の方が多いのです。前立腺がんがタチのよいがんだということの証しにもなっていると思われませんか。

 しかし日本国民にとってもっとも有名である同時に関心をもって見守られている前立腺がん患者は、天皇・明仁陛下ではないでしょうか。2003(平成15)年1月に東大付属病院で手術を受けられたことは記憶に新しいでしょう。私は「がん告知」と「PSA検査」の普及に大きな功績があったものと、皇室のお考えはもとより宮内庁の広報姿勢を大変意義のあることだったと思っております。

 まず前立腺がんの告知と治療法のインフォームド・コンセント(十分な説明に基づく同意)が、われわれ庶民同様、陛下にも一般並みに行われたのでした。先の昭和天皇が、慢性膵炎という病名のもと、宮内庁病院で手術を受けられてから1年3ヵ月後の昭和64年1月に崩御されたときの模様と比べてみると雲泥の差を感じます。本当の死因が「十二指腸乳頭周囲腫瘍(腺がん)」(解剖学的な難しい病名になっていますが、平たく言うと膵臓がんです)だったこと(高木顕・侍医長)は、お亡くなりになって初めて公表されたのでした。わずか15年ほどの間に、がん告知に対する一般の理解が一段と進んだという社会的背景の違いがあることは当然とはいえ、やはり膵臓がんと前立腺がんというがんの性質の違いは無視できないかも知れません。つまり診断も治療もいまだに極めて難しいがんの代表である膵臓がんとは対照的に早期診断が可能であると同時に、「怖くないがん」の代表である前立腺がんだったということは、陛下ご自身はもちろん国民にとっても大変幸せなことだでした。

 覗き趣味的な興味からではなく、この病気の理解を容易にするためであることをお断りしておいて、陛下の前立腺がんの病歴、経過を振り返って見ることにしましょう(伊藤教授が公表された報道をもとに再現されています)。

 2002年の暮れ、天皇誕生日の直前の12月20日、新聞各紙は24日に一泊の検査入院をされることを報じました。陛下はここ何年か、宮内庁病院での血液検査の際、前立腺に異常があることを示す数値がやや高めに出ていたとのことでした。この血液検査がPSA検査(次回、詳細に説明します)のことであることは言うまでもありません。

 12月28日の記者会見で、宮内庁皇室医務主管・金沢一郎東大名誉教授(元東大付属病院長(神経内科学)、現・国立精神神経センター所長)は、「比較的タチのよい高分化型(がん細胞が正常な細胞に近いところまで分化している)の腫瘍で、転移はない」、「年明けの1月中旬に前立腺全的徐術を行う」と発表されました。

 以前からPSA値が通常より高かったのに、組織検査をするまでがんと判明しなかったのは、恐れ多くて玉体(こんな日本語を知っている人も少なくなりました)を、肛門からの指検査を含む触診を躊躇したのではと指摘する向きもあったのですが、医療関係者らは、以前にも触診は別の医師が行っているとして診断の遅れはなかったと否定しています(03年1月17日付毎日新聞)。

 実際の手術は翌03年1月18日に東大付属病院で行われたのですが、皇居外の病院で手術を受けるのは明治以降、歴代天皇のなかでは初めてのことでした。手術後、東大泌尿器科・北村唯一教授、国立がんセンター垣添総長らの執刀医団から、「手術は順調に進み想定したとおり成功裏に終わった。出血量も予定以下で事前に用意した「自己血」だけで十分間に合うものだった」(金沢医務主管)、「事前に前立腺と直腸ははがし難いのではないかと心配したが、スムースに終えることができた」(北村教授)との説明がなされました。術後の経過もきわめて良好で、予定よりも1週間も早く2月8日に退院の運びとなりました。

 陛下の前立腺がん手術が無事に成功して、ご健康を取り戻されたことは何よりと喜ばしいことですが、その後の経過でちょっと気になる報道もあります。手術をされた年の秋には、「最近、PSAの値が微増傾向にある」(03年10月)と発表されたのにつづき、04年には、5月以降の2ヶ月つづけてPSA値に明確な上昇がみられ、7月1日からは皇居内でホルモン療法を開始するというのです。金沢皇室主管によると、がんの再発や転移は見られないものの、取り除けなかったがん細胞が活性化した可能性があるので、北村、垣添両主治医から直接、天皇・皇后両陛下にホルモン療法についてのご説明がなされ、男性ホルモンを抑えてがん細胞の増殖を徹底的に押さえ込むため、4週間に一度の注射療法が開始されたのです。幸い多少の副作用はありますが、公務に支障がないことはご存知のとおりです。わが国最高の主治医団が誠心誠意取り組んでいる治療法が見事で確実な効果をあげるよう、明仁陛下の今後の経過を祈るような気持ちで見守ってまいりましょう。

<参考文献> 

伊藤晴夫:「前立腺がんの話」(悠飛社 2004年4月)

                         (2006年4月19日)

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