ドクター塚本  白衣を着ない医者のひとり言
No.65 前立腺がんのリスク・ファクターを探る
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 前回は、統計数字の羅列でちょっと読み辛かったかもしれません。しかし前立腺がんがわが国では急増中のがん代表であること、国際的にみると大きな地域格差があって、欧米に比べ日本はまだまだ前立腺がん死亡率の低い国であることを明らかにしました。

 そこで今回は、前立腺がん発症の原因を「危険因子(リスク・ファクター)」という観点から解説してみましょう。この言葉はもともと疫学用語で、ここではがん発症の「確率」を高める特性や暴露状態のことです。したがって原因そのものというわけではありません。分かりやすい例で説明すると、喫煙は肺がんのリスク・ファクターとしてもっとも重要なものですが、喫煙者が全員肺がんに罹るわけでもないし、逆に喫煙をしない肺がん患者もいるのです。喫煙の有無によって発症確率が大きく異なることが明らかになっているだけです。

 さて、前立腺がんの二大リスク・ファクターが年齢と男性ホルモンであることは研究者の間で一致した見解となっています。

 年齢については、前立腺がんがいずれの国においても高齢者に多いことから誰しも異論がないのです。垣添忠生・国立がんセンター総長によると、日本人の前立腺がんの平均診断年齢は75歳ですし、その平均死亡年齢が78.6歳ということは前回お話したとおりです。つまり前立腺がんは代表的な高齢者がんなのです。「医療が進歩し、食事内容がよくなり、適度に運動し、タバコを控えればヒトはもっと長生きをするだろう。長生きすればするほど、前立腺がんになる危険性が高まり、早期診断・早期治療がなされなければ、もっと前立腺がんで亡くなる人が増えることになる。人生とは難しいものである」と泌尿器科の専門医である垣添総長は慨嘆しておられます。

 2つ目のリスク・ファクター、男性ホルモン(テストステロン)が前立腺がん発生と密接に関係していることは、40歳以前に去勢術を受けた男性、脳下垂体の機能不全に陥った男性からは前立腺がんが発症しない、という事実があることからも明らかです。また前立腺がんは、男性ホルモンがあると成長し、男性ホルモンを抑える治療によって退縮する、高い「男性ホルモン依存性」を持っています。前にご紹介した多田富雄先生にとって残された前立腺がん治療法が去勢術だったこともご記憶でしょう。

 これらに続いて B家族歴も重要です。多くの研究で、家族内、とくに父親や兄弟に前立腺がん患者がいると、明らかに前立腺がんの発症リスクが増大すると報告されています。一例として、米国ユタ州のモルモン教徒の家計調査によると、父親あるいは兄弟に前立腺がん患者が一人でもいる男性は、前立腺がんに罹る危険性が2倍、二人いる場合はその危険性が5倍に跳ね上がると言います。さらに、このような男性では50歳以前の若い年代から発症するという調査結果でした。他のがん同様、遺伝的要因は無視できないので、若いうちからぜひとも早期検診をお受けになるようお勧めします。

 環境因子のうち食事はきわめて重要です。C高脂肪、とくに動物性脂肪の摂取の多い食事、併せて低食物繊維の食事と前立腺がんを関連付ける疫学研究は多いのです。地域差が大きいことも食生活習慣の違いによるものと説明されていますが、ハワイ在住の日系二世・三世の前立腺がんの死亡率が日本人とアメリカ人の中間だという事実からも頷けましょう。これは、高脂肪・低食物繊維の食事だと、血中のテストステロン値が低下するというデータもあって、食事内容とテストステロン産生との間に緊密な関連があることをうかがわせます。

 なお欧米では、肥満や背の高い人は前立腺がんになりやすという説があるのですが、最近発表された厚生労働省・研究班(主任研究者・津金昌一郎国立がんセンター予防研究部長)の研究では、40〜69歳の男性約5万人のコホート調査で、体格指数(BMI)や身長でそれぞれ4群に分類して比較したところ、各グループ間でガン発生リスクに差がなかったそうです(3月13日付日本経済新聞 「ブリティッシュ・ジャーナル・オブ・キャンサー」の最新号)。

 国際比較では北欧諸国で高い前立腺がん死亡率を示しましたが、アメリカ各州の比較でも、地理的に北部に位置する州の方が南部の州よりも発生の頻度が高いという研究結果があります。いずれも北方の住民の方が、短い日照時間のために体内で DビタミンDの合成が少ないことが、前立腺がん発症に影響していると考えられています。同じアメリカ人でも、黒人は皮膚からの日光の吸収率が悪いためビタミンD合成が少なく、このためアフリカ系アメリカ人の方が、白人よりもはるかに高い発症率となっているのだとする考え方もあります。いわゆる「低ビタミンD原因説」です。

 生活習慣では、Eタバコや Fアルコールと前立腺がんとの関係は明瞭ではない、あるいは無関係とする研究結果が出ています。喫煙者やお酒好きには幸いなことと言ってよいでしょう。

 つぎに男性たるもの関心を持たざるを得ないのですが、男性ホルモンがリスク・ファクターだとすると、G性生活習慣との関係はどうでしょうか。これについては、渡辺泱・名誉教授の研究が有名です。またまた個人的な体験を持ち出すのですが、昭和62年の保険医学会総会で、当時現職の京都府立医大泌尿器科教授だった渡辺先生の特別講演「前立腺の予防医学―前立腺がん自然史モデルを中心に―」の座長を務めたというご縁もあって、今も強烈な印象が残っています。先生は「経直腸的超音波断層法」を実用化するのに大きな貢献をされ、国際的にも高い評価を受けておられる方です。

 彼は「症例対照研究」という疫学手法を使って前立腺がんの高度危険群を割り出したのです。それを要約すると、最初の性交年齢19歳以下、初婚年齢24歳以下、15歳〜20歳の性交回数月1回以上、61歳〜70歳の性交回数月1回未満、性活動停止年齢がより早い、などが高度危険群ということになります。そのほか、セックス・パートナーを多く持つ人、性感染症の既往歴のある人も、前立腺がんに罹る危険性が高いという研究もあります。しかしそれぞれ反論も多く、現在では青年期にテストステロン値が高くて性的活動も活発だったこと以外は、いずれも明確なリスク・ファクターではないというのが専門家の見解のようです。

 最後に、前立腺がんの特徴の一つに、「潜在がん」が多いことがあげられます。これは臨床的に前立腺がんがあると診断されていない人が、他の病気で亡くなり病理解剖して始めて見つかるがんのことです。しかも国際的にみて臨床的前立腺がんの発症に大きな地域差、人種差があるにもかかわらず、潜在がん ―病理学的には高分化のがん細胞(短絡して言うなら正常細胞の近くまで成熟している)で構成されているがんですが― の方は、どこでも20%前後とほぼ同じ頻度なのです。したがって、高分化型ではなく浸潤型の前立腺がん発症の差が、各国の臨床的前立腺がんの地域差となって表れると言ってもよいでしょう。

 いずれにせよ加齢は止められず、青春時代のやり直しもきかないとすれば、淡々と自然体で前立腺がんのリスクと付き合ってゆくしかない、というのがひとり言子の結論になります。

                                          (2006年4月5日)

<参考文献>

 垣添忠生:「改訂版 前立腺がんで死なないために」(読売新聞社2005年12月)


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