ドクター塚本  白衣を着ない医者のひとり言
No.62 前立腺肥大症はQOLの病気です(その2)
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 前立腺肥大症は男性高齢者にとってありふれた病気の代表です。場所からいって症状が早くから出現するのと、内腺組織の良性変化なので生命予後の良い、つまり生命に関わることはまれだというのが救いです。前回お話したとおり、この病気の症状によって日常生活にどの程度差し支えるのかを重視して、専門医、泌尿器科医に掛かることになります。QOLの病気だというわけです。

 もちろんQOLは個々人の主観に基づくものです。例えば、おしっこが近いから海外へのパックツアーを諦める人がいる一方で、少々の頻尿があっても足腰のしっかりしているうちに、未知の国々を観光してみたいという方もいて、まちまちなはずです。そこで、多数の泌尿器科の患者の症状を質問表形式で回答してもらい、統計処理によりQOLを「定量」的に評価して診療に役立てようとする試みがされてきました。WHOの肝煎りで1992年に発表されたのが「国際前立腺症状スコア」IPSSです。現在では、どこの泌尿器科を受診されてもこの質問表によって問診が開始されています。高橋悟先生は、IPSSが診療に持ち込まれたことは革新的な取り組みで、QOL重視の医療の先鞭を泌尿器科がつけたとまで仰っています。

  「症状スコア」の質問表は、次の7つです。
1 最近1か月間、排尿後に尿がまだ残っている感じがありましたか。
2 最近1か月間、排尿後2時間以内にもう1度いかねばならないことがありましたか。
3 最近1か月間、排尿途中に尿が途切れることがありましたか。
4 最近1か月間、排尿を我慢することがつらいことがありましたか。
5 最近1か月間、尿の勢いが弱いことがありましたか。
6 最近1か月間、排尿開始時にいきむ必要がありましたか。
7 最近1か月間、床に就いてから朝起きるまでに普通何回排尿に起きましたか。
前回(その1)の2大症状を参照していただくと3、5、6は閉塞症状を、1、2、4、7は膀胱刺激症状を聞いていることがおわかりになるでしょう。

 1〜6までの質問について、まったくなし0点、あまりない(5回に1回の割合未満)1点、時々ある(2回に1回の割合未満つまり3〜5回に1回)2点、2回に1回の割合3点、しばしば(2回に1回の割合以上)4点、ほとんどいつも5点がそれぞれ採点され、質問7は起きた回数がそのまま点数になります。これらの合計点は0点〜35点までになりますが、次の3分類に評価されます。

@    7点以下:正常または軽症(治療はせずに様子をみる)

A    8〜19点:中等度(薬を出す)

B    20点以上:重症(必要ならば手術を視野にいれる)

 「QOLスコア」の質問は、「現在の排尿の状態が、今後一生続くとしたらどう感じますか」だけで、大変満足=0点から大変不満=6点の7段階です。このスコアも考慮しながら、泌尿器科医は症状スコアの3分類ごとにおおよそ括弧内のような治療方針を出すことになるのです。受診なさる前にぜひご自分のIPSSスコアをつけるようお勧めします

 私自身のスコアを申しますと、5問目の「尿の勢いが弱い」はもう何年も前からずっと、ほとんどいつもあるので5点とすると、合計点は11点で中等度という評価になります。しかしこの質問自体、やや具体性に欠けていると思いますし、7問だけでは前立腺症状のすべてを網羅しておらず、頻度は詳細に聞いているわりに症状の程度については不十分だという欠点があります。

 QOLスコアの方は、一応海外旅行もできるし、3時間映画の鑑賞や長距離ドライブにも支障がないことから、3点くらいだと思っております。というわけで私の現状では泌尿器科を受診しないままでおります。

 診断と治療方針決定までの専門的な検査プロセスの説明は飛ばして、私自身のために治療法を勉強してみることにしましょう。(前回同様、高橋悟「よくわかる前立腺の病気」を参考にしました)

 最近の10年間で前立腺肥大症に対する研究の進歩は目覚しく、治療の選択肢(経過観察だけすることも含めて)が大幅に広がりました。なかでも内科的な薬物療法と、外科的な経尿道的前立腺切除術TURPは、それぞれ標準的な治療法となっています。

 まず薬物療法ですが、日本の研究者、製薬会社の貢献が大きく世界をリードしていることは注目に値します。もともと排尿の仕組みは複雑です。おしっこは我慢しようと思えばできますし、神経性頻尿といって精神的な緊張などメンタルな要素があることからもお分りでしょう。

 そこで思い切って単純化して、前立腺の周囲を取り巻いている平滑筋の交感神経支配に絞って説明することにします。自律神経である交感神経の末端から放出されたアドレナリンという神経伝達物質は、平滑筋に分布しているアドレナリンα受容体に受け渡されて神経作用が働きます。この働きを抑える薬、αブロッカーは、もともと降圧剤として研究開発されたのですが、河辺香月・日本泌尿器学会理事長(前東大教授)が排尿障害にも有効だということを約20年前に世界に先駆けて報告されました。つづいてα受容体の3つあるサブタイプのうち前立腺や尿道に多く分布しているα1a、α1d(血管に多いのはα1b)と親和性の強いブロッカーが開発・製品化されました(山之内製薬、現アステラス製薬の竹中登一)。塩酸タムロシン(商品名ハルナール)がそれで、血圧降下という副作用が少ないので一気に世界中に普及しました。なおハルナールは排尿をスムーズにするだけでなく、昼間・夜間の頻尿、尿意切迫感といった過活動膀胱の症状にも有効という好都合なこともあります。しかし肥大そのものは依然として残ったままだということにご注意ください。

 次に外科治療の標準的手術になっているTURPは、尿道から内視鏡を挿入し、テレビモニターに映し出された肥大した前立腺を内側から切除してゆきます。先端がループ状になっている細い電気メスに通電して熱を持たせ、組織を少しずつ削り取り、切除した切片は吸引器で外へ取り出します。ちょうど夏みかんの芯の部分から皮だけ残して中味をくり抜くように切除できます。尿道粘膜も前立腺部はすべて切除しますが、後に皮膜内側が再上皮化して完治します。

 手術そのものは2時間以内で終了ですが、麻酔が効いている膀胱へは特殊なバルーンカテーテルを挿入して、3日間くらいは灌流液を流しておきます。完治率も侵襲の大きい開腹摘徐術に劣らないし、切除が充分にできるとまず再発はないようです。80から100グラムくらいまでの肥大ならこの方法が充分適応できて、まさに標準的手術療法になっているわけです。

 しかし、まったくリスクがゼロというわけではありませんので、できるだけ多くの症例をこなしてきた経験豊富な泌尿器科医にお願いするに越したことはありません。

 この二つの標準的治療法のほかにも、身体への負担の度合いが小さい順に、高温度治療法、ステント留置、レーザーTURP、開腹摘徐術などがあります。やはり肥大が80グラムを超えるようなると、開腹摘徐術(それも膀胱の中へメスを入れる恥骨上式より、負担の小さい恥骨後式が主になっています)が適応ということになります。このような治療法の進歩によって、生命予後の良好な病気ということと相俟って、現在では、明るく付き合えるシニアの病気の代表になったと言ってもよいでしょう。私の今後もそれほど心配しなくてよいと言えそうです。 

                                           (2006年2月15日)

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