ドクター塚本 白衣を着ない医者のひとり言 | ||||||||||||||||
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私自身は、幸か不幸か73歳の今日まで、一度も入院、手術を体験しておりません。でもこれからするとしたら、今、一番可能性の高いのは前立腺の病気ではないかと密かに不安がっているところです。 幼い頃、おねしょをして母親から叱られたほろ苦い記憶が残っているものの、ほぼ70年間、排尿については大きな悩みなしに過ごしてきました。 その私が、何時頃からかはっきりしないのですが、排尿を気にするようになって優に10年くらいにはなりましょうか。自分ひとりだけの時というより、バス旅行のおトイレ休憩で並んで小便する際に、お隣の若者と比べると尿の線が細く、勢いが弱いために、独特の便器に当たる心地よい音がしない上に、時間がかかるのに苛立ちを覚えました。そのとき、多少の医学知識のある私には、老化がいよいよ前立腺から始まったのかとぼんやりと感じたものでした。男性固有の病気であり、近年、大変ポピュラーな病気になった感のある病気、しかも私自身、いま一番気にしている病気についての「ひとり言」にしばらくお付き合いいただくことにしましょう。 男性なら物心ついたときから下腹部のペニス(陰茎、おチンチン)とホーデン(睾丸・陰嚢、キンタマ)のことは嫌でも目に付く大事な性器です。しかし、前立腺は目に見えませんし、青年・壮年時代にはまず意識することなしに過ごしてきたはずです。 まず、名前ですが、昔は例の「解体新書」の影響で「摂護腺」と呼ばれていました(抵抗なしにこの名前を覚えておられる方はかなりの年配者ということになります)が、現在の統一解剖学名「前立腺」はラテン語prostataを語源とする英語、ドイツ語からの翻訳です。文字とおり(膀胱の)前に立つ、前に位置するという原意で、決して「前を立たせる」という意味ではありません(本郷美則「前立腺がんを切らずに治した」文芸春秋、2003年刊)。男性の象徴を屹立させる機能がないとはいえ、前立腺が男性生殖器官の一部であり、性機能に不可欠な重要な臓器であることに変わりはないのです。 そして、この臓器の成長はもとより、前立腺肥大症や前立腺がんの発症、増大になくてはならないものが男性ホルモンです。分りやすい証拠として、17、8世紀のイタリアで盛行したというカストラート(男性去勢歌手)や、古代エジプト王朝、ローマ帝国あるいは清朝までの中国宮廷にいた宦官のように去勢によって中性化した男性には、前立腺肥大症も前立腺がんも発生のしようがないのです。 さて、前立腺は何処にあるかと言うと、下腹部の陰毛の生えた辺りを指で押すと、硬い恥骨を触れることができます。この恥骨の裏側の骨盤腔という窪みのなかに膀胱、精嚢、直腸などと一緒に収まっているのです。でも恥骨に邪魔されて、下腹部から触れることはできません。むしろ経験者もおられましょうが、肛門からの「指検査」により触診することができます。 前立腺は、膀胱の下部出口に接していて、ここから出る尿道を包み込む栗の実のような形をしています。その直径は約4センチ、厚さは約2、5センチで重さは15〜20グラムくらいです。形は栗の実といいましたが、それほど堅い感じのものではなくて、むしろ皮の部分が極端に厚い、極小の夏みかん(実際にこんな夏みかんはありませんが)を想像して見てください。 その内部構造も単純ではないのですが、尿道の周囲に位置する「内腺」(専門的には移行領域と中心領域です)と「外腺」(辺縁領域)とに分類するのが分りやすいと思います。主としてこの内腺の組織が「過形成」という良性の変化を起こすのが前立腺肥大症であるのに対して、外腺に発生する悪性腫瘍が前立腺がんです。 内腺に肥大が起こると直接尿道に物理的な圧力がかかることから、肥大症の自覚症状はわりに早くから出てきます。興味があるのは、肥大の大きさと排尿障害の程度とは平行しないのです。いずれにせよ、発生の頻度は、実際の年齢に%をつけると覚えやすいと言われています。つまり50歳なら50%、60歳なら60%、・・・・・80歳なら80%くらいの頻度です。したがって、高齢者ではほとんどの方が肥大していることになります。 少しややこしいのは、肥大があるだけでは前立腺肥大症という病気ではないということです。これから申し上げる自覚症状が出てきて、ご本人が不自由を訴え、日常生活に支障を感じるようになって初めて、病気が始まるということになります。つまり、前立腺肥大症は、「生活の満足度quality of life QOLの病気」なのです。症状の軽重よりも、患者の悩みが強ければ治療が必要ですし、ご本人が日常生活に満足しておられれば治療の必要なしということです。 東大・泌尿器外科の高橋悟助教授は前立腺肥大の症状を次のように整理されています。
ご覧になっておわかりのように、患者にとって日常生活に困難をきたす、つまりQOLにより大きな影響を与えるのは膀胱刺激症状の方です。高橋先生は、前立腺肥大がQOLの病気ですから、患者が困ったときが治療開始の時期だというだけでなく、同時に治療方針も患者の希望が優先することを強調なさっています。 (2006年2月1日) |
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