ドクター塚本  白衣を着ない医者のひとり言
No.61 前立腺肥大症はQOLの病気です(その1)
Google検索にキーワードを入力すると関連するページを見ることができます。
Google
WWW を検索 ドクター塚本ページを検索
 
写真は吉田基義さんの作品です
 年末の師走寒波以来、今年は年明け早々から記録的な厳しい「寒い冬」に見舞われました。身体が冷えるとおしっこが近くなるのは老人だけではありませんが、ここ数年の暖冬に慣れていた老いの身にとっては、かなり堪えます。年賀状を交換している同年代の方のなかには、前立腺のご病気、療養中あるいは手術の体験をなさったという近況のご報告も数通ありました。また、前立腺の病気のために海外旅行を諦めたという話を聞いたことも一再ではありません。

 私自身は、幸か不幸か73歳の今日まで、一度も入院、手術を体験しておりません。でもこれからするとしたら、今、一番可能性の高いのは前立腺の病気ではないかと密かに不安がっているところです。

 幼い頃、おねしょをして母親から叱られたほろ苦い記憶が残っているものの、ほぼ70年間、排尿については大きな悩みなしに過ごしてきました。

 その私が、何時頃からかはっきりしないのですが、排尿を気にするようになって優に10年くらいにはなりましょうか。自分ひとりだけの時というより、バス旅行のおトイレ休憩で並んで小便する際に、お隣の若者と比べると尿の線が細く、勢いが弱いために、独特の便器に当たる心地よい音がしない上に、時間がかかるのに苛立ちを覚えました。そのとき、多少の医学知識のある私には、老化がいよいよ前立腺から始まったのかとぼんやりと感じたものでした。男性固有の病気であり、近年、大変ポピュラーな病気になった感のある病気、しかも私自身、いま一番気にしている病気についての「ひとり言」にしばらくお付き合いいただくことにしましょう。

 男性なら物心ついたときから下腹部のペニス(陰茎、おチンチン)とホーデン(睾丸・陰嚢、キンタマ)のことは嫌でも目に付く大事な性器です。しかし、前立腺は目に見えませんし、青年・壮年時代にはまず意識することなしに過ごしてきたはずです。

 まず、名前ですが、昔は例の「解体新書」の影響で「摂護腺」と呼ばれていました(抵抗なしにこの名前を覚えておられる方はかなりの年配者ということになります)が、現在の統一解剖学名「前立腺」はラテン語prostataを語源とする英語、ドイツ語からの翻訳です。文字とおり(膀胱の)前に立つ、前に位置するという原意で、決して「前を立たせる」という意味ではありません(本郷美則「前立腺がんを切らずに治した」文芸春秋、2003年刊)。男性の象徴を屹立させる機能がないとはいえ、前立腺が男性生殖器官の一部であり、性機能に不可欠な重要な臓器であることに変わりはないのです。

 そして、この臓器の成長はもとより、前立腺肥大症や前立腺がんの発症、増大になくてはならないものが男性ホルモンです。分りやすい証拠として、17、8世紀のイタリアで盛行したというカストラート(男性去勢歌手)や、古代エジプト王朝、ローマ帝国あるいは清朝までの中国宮廷にいた宦官のように去勢によって中性化した男性には、前立腺肥大症も前立腺がんも発生のしようがないのです。

 さて、前立腺は何処にあるかと言うと、下腹部の陰毛の生えた辺りを指で押すと、硬い恥骨を触れることができます。この恥骨の裏側の骨盤腔という窪みのなかに膀胱、精嚢、直腸などと一緒に収まっているのです。でも恥骨に邪魔されて、下腹部から触れることはできません。むしろ経験者もおられましょうが、肛門からの「指検査」により触診することができます。

 前立腺は、膀胱の下部出口に接していて、ここから出る尿道を包み込む栗の実のような形をしています。その直径は約4センチ、厚さは約2、5センチで重さは15〜20グラムくらいです。形は栗の実といいましたが、それほど堅い感じのものではなくて、むしろ皮の部分が極端に厚い、極小の夏みかん(実際にこんな夏みかんはありませんが)を想像して見てください。
 その内部構造も単純ではないのですが、尿道の周囲に位置する「内腺」(専門的には移行領域と中心領域です)と「外腺」(辺縁領域)とに分類するのが分りやすいと思います。主としてこの内腺の組織が「過形成」という良性の変化を起こすのが前立腺肥大症であるのに対して、外腺に発生する悪性腫瘍が前立腺がんです。

 内腺に肥大が起こると直接尿道に物理的な圧力がかかることから、肥大症の自覚症状はわりに早くから出てきます。興味があるのは、肥大の大きさと排尿障害の程度とは平行しないのです。いずれにせよ、発生の頻度は、実際の年齢に%をつけると覚えやすいと言われています。つまり50歳なら50%、60歳なら60%、・・・・・80歳なら80%くらいの頻度です。したがって、高齢者ではほとんどの方が肥大していることになります。

 少しややこしいのは、肥大があるだけでは前立腺肥大症という病気ではないということです。これから申し上げる自覚症状が出てきて、ご本人が不自由を訴え、日常生活に支障を感じるようになって初めて、病気が始まるということになります。つまり、前立腺肥大症は、「生活の満足度quality of life QOLの病気」なのです。症状の軽重よりも、患者の悩みが強ければ治療が必要ですし、ご本人が日常生活に満足しておられれば治療の必要なしということです。

 東大・泌尿器外科の高橋悟助教授は前立腺肥大の症状を次のように整理されています。
 閉塞症状または排出症状(尿道を圧迫して口径を狭めることによる)
@尿線細小、A尿勢低下、B尿流散逸(尿線が曲がったり、散ったりして便器から外れる)、C開始遅延(その気になってもなかなか出ない)、D排尿遅延、E尿線途絶(腹圧をかけていきまないと出ない)F終末滴下(排尿のおわりの切れが悪い)、G溢流性尿失禁(夜間などに尿があふれ出て少しづつ漏れる)、H尿閉(膀胱がふくれあがり、尿をしたいのに出ない)
 膀胱刺激症状(膀胱の前立腺に近い頚部に圧迫を受けることによる)
I頻尿(1日に8回以上トイレへ行く)、J夜間頻尿(一晩に2回以上トイレに起きる)、K残尿感、L尿意切迫(尿をしたいという強い切迫感があり我慢できない)、M切迫性尿失禁(トイレが間に合わず、尿を漏らす)

 ご覧になっておわかりのように、患者にとって日常生活に困難をきたす、つまりQOLにより大きな影響を与えるのは膀胱刺激症状の方です。高橋先生は、前立腺肥大がQOLの病気ですから、患者が困ったときが治療開始の時期だというだけでなく、同時に治療方針も患者の希望が優先することを強調なさっています。 

 さすがに、先年、前立腺がんの告知を公表されて東大病院で治療を受けられた天皇陛下の治療医師団の一員だけのことはあって、傾聴に値する卓見だと感じ入っています。
 ところで、泌尿器科を受診される際には、ご自分の症状とQOLを整理しておくことがお勧めです。そのために便利で客観性のある「国際前立腺症状スコア」(I−PSS)がありますが、私自身のスコアのことからさらにその先の前立腺肥大症の治療までのことなどは次回にお話することにいたしましょう。

<参考文献>
 高橋 悟:「よくわかる前立腺の病気」 岩波アクティブ新書 2004年3月
 

                                           (2006年2月1日)

ドクター塚本への連絡はここをクリックください。