ドクター塚本  白衣を着ない医者のひとり言
No.6 「ジョン・スノー」というパブをご存知ですか
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 ロンドンっ子にとってパブはなくてはならない存在です。日本の喫茶店と居酒屋を足して2で割ったような感じの店で、仲間と酒を酌み交わしながら気軽におしゃべりを楽しむことができます。当地を旅した人なら誰しも体験なさっていることでしょう。「ジョン・スノー」もその一つで、ロンドンの中心ピカデリー・サーカス近くの何のへんてつもない石畳の裏通り、ブロードウイック・ストリートの角にある店で、その外壁に次のように書かれた小さな銅板の記念碑が埋め込まれています。「赤い花崗岩の(歩道の)縁石がジョン・スノー博士の有名なブロード・ストリート・ポンプの跡地です」

 銅板そのものも見過ごしそうですが、縁石に至っては煉瓦大の石ですから普通の通行人はまず気付くことはありません。しかし、アメリカ留学からの帰途、立ち寄った佐々木直亮先生(例の塩の先生です)にロンドン大学の疫学の泰斗、G・ローズ教授が「ロンドンへ来てこれを見たらあとは何もない」とジョークを飛ばした場所なのです。先生も「私はこれを見るために、はるばる日本からやって来た」と通りかかりの老婆にその石を指して言ったところ、彼女はちょっとけげんな顔をしながら、コツコツと歩いていったとエッセイのなかに書いておられます。

 実は私もそのエッセイで19世紀中葉のブロード・ストリートは現在のブロードウイック・ストリート Broadwick Street だと教えられて、約10年前に訪れました。意外なことに(先生が行かれたときにはなかったはずです)その場所に表題のようなパブが建っていました。早速なかに入ってギネスの黒ビールを注文して店内を見回すと、ちゃんと観光客用にスノー博士の肖像入りTシャツ(購入しいまも大事にしています)もあり、訪問者のサイン帳も置いてありました。

日本語で署名した末尾に英語でepidemiologist(疫学者)と記入して帰ったのでした。私も疫学者の端くれだという証拠を残したかったのでしょう。

 ジョン・スノー John Snow(1813−58)とは、一体どんな人物なのでしょうか。彼は1836年からロンドンで開業医をしており、麻酔医としても草分け的存在で、麻酔器具も考案し1853年にヴィクトリア女王の侍医として王子出産の際にクロロホルム麻酔を行ったことでも有名な人なのです。

 1854年夏にロンドンのセント・ジェームズ教区で発生したコレラの爆発的流行に遭遇しますが、死亡者は700人以上、同教区の死亡率は人口10万対220(隣接教区のそれは9〜33)に達するという大事件でした。

 この流行の状況を詳細に調査したスノーは、まず死亡者の発生場所を地図上にプロットして行きます(「スポット・マップ」点記地図)。その結果、死亡者はブロード・ストリートを中心に発生しており、その大部分がこの街にある共同井戸の水を飲んでいたことが判明します。

 地図上でこの共同井戸と他の場所にある井戸との等距離線を描くと死亡者の大半が等距離線の内側に入ってしまったのです。また日にち別の死亡数は、8月末から9月初めにかけては爆発的に増えますが、9月10日以降になると著しい減少に転じて、9月8日に共同井戸を撤去したことと符合したのです。

 さらに、三方がコレラ死亡者の家屋で囲まれていた地区内の養育院では、市からの給水と院内の井戸水を使用したので、収容者からは535人中わずか5人の死亡者を出しただけでした。

 スノーは丹念なケース・スタディも行っています。コレラで死亡した弟の家へ来て共同井戸の水を飲んだ兄が、翌日の夕刻に発病した症例、コレラが発生していない地区に居住していたが、毎日ブロード・ストリートへ通っている荷車がこの井戸から水を補給する習慣になっていて、その水を飲んだ婦人とその家に遊びに来ていた姪が同じ水を飲んでともに発病した症例などです。また共同井戸の汚染の原因が住宅の便所のすぐそばを走っている排水管だということも立証して、今日の疫学者の眼からみてもほぼ完璧に近い疫学調査を行ったのです。

 「コレラの伝播様式について」(1855年)という著書のなかで、彼は、「病気は病人から健康者に、前者の体内で『ふえる何かのもの』によって引き起こされる」という卓見を、ロベルト・コッホによるコレラ菌の発見(1883年)にさきがけること約30年前に発表していたのです。

汚染された同じ水を飲んだ人々がすべてコレラを発症していないという事実を盾にとって根強く反論を展開した学者もいた時代でした。現在でも喫煙者が全員肺がんに罹患するのではないと頑張って喫煙を続けている人もいますし、確かにコレラの発症原因であるコレラ菌に匹敵するような単一の原因は特定されていませんが、どこか妙に似通った共通点があることをお感じになりませんか。

 彼のこの著書は復刻されて、アメリカの大学公衆衛生学部で学ぶ学生の必読の古典になっているそうです。細菌学という武器のなかった時代でも足と頭を使えばこれだけの研究ができるというお手本になっています。今の若い疫学者に対する絶好の教訓と言っても過言ではありません。

 すでにお気づきのとおり、現在でも細菌感染に限らず何か得体の知れない病気が発生した際には、スノーの行ったスポット・マップという手法は生きていて必ずといってよいほど使われています。「O157騒ぎ」のときも同様の調査が行われていたことを思い出してください。

 ジョン・スノーの研究は、病気の謎解きの学問だといわれる「疫学」の原点になっていて、まさに彼は人類の大恩人の名に恥じない人物です。

 ローズ教授が言ったという「あとは見るものなし」という言葉も、あながち単なるジョークだけではなくもっと含蓄に富むものだということがご理解いただけたでしょうか。

                                              (2003年10月17日)

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