ドクター塚本  白衣を着ない医者のひとり言
No.56 高血圧治療ガイドラインを読み解く(その6)降圧剤治療の舞台裏
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 高血圧が「サイレントキラー(静かなる殺し屋)」と怖れられるのは、脳、心臓、腎臓など重要な臓器に致命的な障害を起こす血管病、動脈硬化の最大の危険因子だからです。今ではこれに異議を唱える人はいません。この事実を初めて明らかにしたのが、アメリカの生命保険会社の統計疫学的な研究だったことは、以前にもお話しました。

しかし、殺し屋だといっても、高血圧があると必ず血管病を発症するというほど短絡した関係ではないのです。つまり、「必殺」の殺し屋というわけではありません。高血圧をお持ちのまま長寿をまっとうされる方や他の病気のがんや難病で亡くなられる方も身近に体験しておられることでしょう。

 この辺が高血圧治療の難しさだと言ってもよいように思います。血圧が高いと血管病になる可能性(危険)が高いからといって、何が何でも血圧を下げようと、すぐ降圧剤に頼るという短絡した考え方にはちょっと賛成しかねるのです。

 血圧が簡単に測定されるようになったのは、ちょうど百年前のコロトコフのおかげでした。いっぽう、有効な降圧剤が世に登場してからはたかだか50年にしかなりません。ルーズベルト大統領の悪性高血圧治療に間に合わなかったのは言うまでもありません。

 高血圧治療の先駆者であると同時に、降圧剤の治療効果を科学的に証明する研究手法「大規模臨床試験」の開発の主役を演じたのは、今年の2月、92歳で亡くなられたエドワード D フリース博士 Edward D.Freis(1912〜2005)です。この功績に対し、彼は1971年にアルバート ラスカー賞を受賞しています。

 フリースの悪性高血圧に対する内科治療の出発点は、指導者だったチェスター
キーファー・ボストン大学教授経由で入手したペンタキンの大量投与でした(1946年)。これにより患者の血圧は低下し、肺水腫、脳浮腫も改善していったんは退院できるまで回復したのでしたが、腎臓障害は治らず数ヶ月で死に至ります。治療薬はまさに天恵の賜物でしたが、彼は、同時に毒性の少ない副作用のない薬を探すことが肝心だと気がついたのでした。

 その後、彼が移ったワシントンDCの復員軍人医療センターで、大手製薬会社メルクが開発した新薬(今では利尿降圧剤と呼ばれている)のクロロサイアザイドを研究目的に使ったのでした。この薬は腎臓の血液濾過作用を変化させ、ナトリウムの大部分を元の循環器系に戻さないという働きをします。そこで血中のナトリウム不足を補うためにナトリウム濃度を高めようとして尿量を増やし、結果として体液の総量が減るので血圧が低下するとフリースは信じたのです。この画期的な治療法の発見は、タッチの差でボストン大学での上司の研究者に先を越され、偉大な発見者としての栄誉を逃すことになります。1954年のことでした。

 生命の危険に脅かされている悪性高血圧患者の治療成功に力を得た彼は、この新薬がより軽度の患者にも有効かも知れないとして、次なる挑戦を開始します。
今日、無作為臨床試験と呼ばれている単純な治療試験を企画します。すなわち、高血圧患者集団を無作為に治療グループと対象グループに分けて、どの患者が利尿降圧剤を投与され、どの患者が害のないプラシーボ(偽薬)を服用しているか知っているのは、実験の安全管理委員会だけ(患者はもちろん、治療医も知らされないことから二重盲検法と呼ばれます。)で、実験終了時に、両グループの血圧レベル、脳卒中、心臓発作、死亡の発生状況を比較します。

 考え方そのものは至って単純だと言えますが、いざ実施となると簡単には行きません。フリースは、1966年、全国14ヶ所の復員軍人(VA)病院の研究者の協力を得て、実験計画を現実のものにしてスタートさせます。最低血圧115mmHg以上の患者では、実験開始後半年の経過観察で、プラシーボ群からは脳卒中、心臓発作が多発したのに対して、利尿降圧剤服用群の血圧は低下したのです。倫理的にプラシーボ群への実験が中止されたのは言うまでもありません。

 彼は4年後の1970年には、最低血圧が90mmHgから114mmHgまでの患者を対象にした臨床実験の第2段階も終了させますが、第1段階の重症患者の時ほど目覚しい結果は得られず、確実な効果が証明されたのは104mmHg以上の少数の患者群だけだったのでした。
 その後も、各種の降圧剤の無作為臨床実験が行われますが、フリースの第1段階の結果ほど見事に成功した例はほとんどなく、復員軍人の大半がアフリカ系アメリカ人だったからプラシーボ服用の対照グループも容易に作れたのだと酷評する専門家もいるくらいです。

 それにもかかわらず、1970年代初頭から、アメリカのテレビで「高血圧のあなたは、からだの中に時限爆弾を抱えているようなものです。」という公共広告が大々的に流されるようになります。このような健康増進キャンペーンは一見、良さそうなのですが、テレビの制作費は降圧剤メーカーが出しているので、「薬を飲み続けないと、死ぬぞ!」と製薬会社にとって旨味のあるコマーシャルを放送してもらっていることにもなります。熱心な医療界と金儲けに汲々としている製薬業界が手を組んで、本当に有効な重症の一握りの高血圧患者から、さほど治療効果が認められないどころか、人によっては副作用によって生活の質を落としてしまうことになりかねない、はるかに大勢の軽症高血圧者にまで治療対象を広げてしまったのです。アメリカでは、こうして「軍産複合体制」につづき「医産複合体制」が構築されたのだと、痛烈に批判しているのが医学ジャーナリストのトーマス ムーア Thomas J Mooreです。(中原裕子訳「寿命の不思議」徳間書店、1995年刊)

 何でもアメリカの後追いをしている、とは言いたくないのですが、近藤誠、浜六郎両氏が指摘する「対象患者の拡大」という医療界、製薬業界の常套戦略は、明らかに両国に共通しています。

 今わが国は人口の高齢化に伴い、生活習慣病(かつては成人病と呼ばれていました)が増えています。高血圧もその一つで、血圧値のレベルは下がっているものの、高齢者の増加ととも絶対数は増加しています。これに対する治療の効果は一見明瞭ではありません。それは、大規模臨床試験(もともとわが国では極めて少ないという問題がありますが)の成績が出ても、「統計上の結果」であって、目の前の患者にとっての効果は不明です。また臨床試験のスポンサーにとって有効であって欲しいという願いや思惑が、結果報告に影響を与えずにはおかないのです。

 高血圧治療の専門家である、都立老人医療センターの桑島巌・副院長は、自社製品に有利な結果が出なかった場合に、製薬会社が取る方策の例を次のように挙げています。(「EBMジャーナル」2005年3月号、中山書店)
@ 結果を発表しない(いわゆる握り潰し)。
A 経済的支援を途中で打ち切り、試験の中止に追い込む。
B 一次エンドポイントで有意差が出ないと、別のエンドポイントで有利なところを探し出し、その点だけを強調する。
C 後付け解析で、さまざまな補正を行って有利な結果を導き出す。
D 商業雑誌への正当性を欠く広告記事(監視役の専門家抜きの)を掲載する。

 桑島副院長は、大規模臨床試験の成績を一般医に伝える専門医の責任を強調されて、@結果と方法論の公正な評価と解釈、A商業主義からの独立の2つの要素が不可欠であると総括しておられます。

 では、素人の患者はどうしたらいいのでしょうか。これからもご一緒に考えてゆくことにいたしましょう。

                                           (2005年11月16日)

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