ドクター塚本  白衣を着ない医者のひとり言
No.55 高血圧治療ガイドラインを読み解く(その5)「基準値」を変えると患者が増える?
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 近藤誠先生の登場となると、高血圧ではなくてがん治療のお話ではないのですかと言われそうです。それもそのはず、彼は、慶応義塾大学・放射線科講師で、れっきとしたがん治療の現役専門家として、毎週1回の診療に従事しておられ、乳がん患者の乳房温存療法のパイオニア的存在です。1987年に「患者よ、がんと闘うな!」という過激なタイトルの評論を文芸春秋誌に発表して、文芸春秋読者賞を受賞、一躍有名になられた先生ですからご存知の方も多いと思います。

 しかし、間違いではなく彼は、今の高血圧治療ガイドライン「JHS2004」の一つ前にあたる、「JHS2000」が発表されて間もなく、文芸春秋2001年4月号に『高血圧症「3700万人」のからくり』を世に問うておられるのです。この後2002年7月まで同誌に連載された彼の一連の論文は、「成人病の真実」と題する単行本に纏められて出版されています(文芸春秋 2002年8月)。

 ご専門であるがん治療に関する多くの著作と共通して、この本のなかでも終始、現在の医学、医療界に根強く蔓延っている商業主義、患者本位ではなく論文重視の風潮に敢然と立ち向かって批判している彼の姿勢には、まったく揺らぎがありません。そのため彼にはつねに「孤独の影」がつきまとっています。自らの意志で「白い巨塔」に背を向け、孤独の道を選ばれたのでした。当然、臨床同期のトップを切って専任講師に昇任しながら、「万年講師」のまま57歳を迎えられましたが、社会に広く情報を公開していくには講師程度の身分の方がちょうどよいとも仰っています(米本和広 「AERA」2004年7月12日)。大学での世間的な出世よりも自らの信念を貫き通しておられます。

 まさに少数派を通り越した一匹狼的な彼の提言は、医学・医療界の主流派からはまったく無視された状況です。しかし一方で、彼の功績を高く評価する人も少なくありません。例えば、「氏の論述は、そのわかり易さ、データの豊富さ、科学的推論の的確さ、等々どれをとっても第一級のもの」とする池田清彦・早稲田大学教授(生物学)の解説があります。また乳がん治療の際に乳房温存療法を選択したものが1997年当時には36%に過ぎなかったのに、2003年には53%に増加しているという全国調査の結果は、患者はもとより医療界に対する近藤誠の影響力を如実に物語るものでしょう(乳がん患者団体「イデアフォー」 日本経済新聞 2005年4月8日)。

近藤講師のご紹介はこの辺にして、本題の「高血圧治療ガイドライン(JHS2000)」に対するの彼の批判を垣間見ることにしましょう。

文春2001年4月号における論文のサブタイトルは、『基準値を変えただけで大量の「病人」が出現した』となっています。よく知られているように、本態性高血圧という病気はそのほとんどが無症状で、患者自身は痛くも痒くもないのです。ですから医者に言われるまで自分が病気かどうか判断できないままだったという患者も大勢おられるはずです。医者が勝手に作り出した「基準」によって、病気に分類されたり、そうでなかったりすることになります。こういう考え方を「構成論」とか「構築論」とかいうのだそうです(斉藤清二『「健康によい」とはどういうことか』 晶文社 2005年10月)。

日本高血圧学会は「JHS2000」で、高血圧の基準値を旧基準の160/95mmHg以上から、140/90mmHg以上にひき下げました。近藤の計算では、これまで高血圧でなかった人たちも、これからは高血圧と診断され、「治療」されますが、その数は何と2100万人!。これまでのを合わせますと、3700万人もが高血圧ということになります。

因みに、発表されている最新の国民栄養調査(平成14年版)によると、60歳代で、人口の55.2%、70歳以上では56.8%もの人が高血圧ということになりますので、降圧剤の治療対象者の方がそうでない人よりずっと多いという、いかにも不自然な結果になります。

ガイドライン作成委員会のメンバーは全員が大学教授で、市中病院の医者は入っていないという構造的な問題があります(新「JHS2004」でも事情は同じ)。作成委員が大学教授というだけでは、基準を変えた理由にはなりません。何度も繰り返していますように、日本人を対象にした大規模試験の研究成果がないことは明らかなのに、飛躍した結論を叩き出したのには特定の意図があると指摘します。

それは、自分の専門分野の患者を増やしたいからで、猿は木から落ちても猿ですが、医者は患者がいなければ権威があってもただの人だと決め付けています。診療、研究、教育、医学界における地位や官庁との関係など、全ての面で患者数が力の源泉になるからです。

同時に、もともと学会の権威者たちと製薬会社の結びつきには強固なものがあり、このことは商業的医学雑誌に掲載される企業提供の広告ページを見ただけでも分かると言います。このページでは、作成委員会の権威が登場して高血圧治療や降圧剤の意義を説明した後ろに、必ずスポンサー会社の降圧剤の名前や効能を載せるという形式を取るのがつねです。開業医によく読まれている3つの医学雑誌の2年分を彼が検討した結果、12人の作成委員のうち11人までがいずれかの企業提供ページに名を連ねており、複数回登場している委員も7人いた(9回が一人、7回が二人)のですから、世間に向かって大宣伝をかけたことになると説明しています。

また彼は、東京都老人医療センター循環器科・桑島巌部長の「JHS2000」についての印象記を引用しながら、高血圧研究は大学研究室のものという考え方が根強いが、数百、数千の動物実験を行い理論を構築しても、たった一つの大規模くじ引き試験の結果、すべての理論仮説が覆されるという現実認識が必要なはずなのに、根拠らしい根拠もなしに基準を変更してしまった作成委員会を痛烈に批判します。

それに、降圧剤治療を受けてもほとんどの人は無症状なのですから、数値は下がっても「メリット」が分り難いのです。

一方、降圧剤の服用によって不利益を蒙る可能性は無視できません。

@意欲の減退、ふらふらするなど生活の質が低下したり、A脳卒中、心不全など重大な病気が増える可能性があったり、B高血圧というレッテルを貼られた心理的効果が生じたり、C通院の手間や診療費の負担という不利益は全員に生じます。

さらに大規模くじ引き試験のほとんどは、欧米で実施されたものなのに、その結果を日本にストレートに適用できるのか、という問題も避けて通れません。人種差や生活習慣の違いがあり、より決定的には日本人の虚血性心疾患の発症率や全死亡率が欧米と比べて違う(大幅に低い)という点を無視して、直接適用してよいとする根拠はないはずです。

要するに、がんと言わず高血圧といわず、日本の医学・医療は根本的な制度的欠陥を抱え込んでいるようです。医者も患者も多少の疑問や不満を感じながらも、ついつい大勢に順応している現状に対して、勇気を持って発言し、その原因にメスを入れようと孤軍奮闘しておられるのが近藤誠先生だと言ってもよいのではないでしょうか。

 とは言え、現に降圧剤は一生、服み続けなさいと指導されてきた患者さんの持つ不安には、どう対処したらよいのでしょう。このテーマとは次回も引き続きお付き合いください。

                                           (2005年11月2日)

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