ドクター塚本  白衣を着ない医者のひとり言
No.53 高血圧治療ガイドラインを読み解く(その3)降圧剤の有効性とは?
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 今でこそほとんど忘れ去られていますが、私が生命保険会社に入社した1960年代には、血圧と寿命の関係を明らかにする研究は保険医学の独壇場でした。「体格と血圧の医学」は生命保険の研究から始まったと、多くの専門家から評価されていた時代だったのです。

 歴史と伝統を誇る大規模データの長期観察を特徴とする「メディコ・アクチュアリアル研究」がその代表です。アメリカ・カナダの生保26社の共同研究「体格・血圧研究1959年」が燦然と光り輝いていました。当時の世界的な高血圧学者、オックスフォード大学のジョージ・ピッカリング卿 Sir George W.Pickeringをして、「アメリカの生保会社の膨大で詳細なデータによると、血圧の上昇にともない死亡率が右上がりに増加していて、この傾向は連続的かつ定量的です。本態性高血圧 essential hypertensionは、新しい形の疾患であり、『量的な』疾患です」と言わしめたのです。

 極言すると、血圧値が1mmHgでも高い人は、その分だけ病的だという考え方です。

 当時からこれを信奉していた我々保険医学会員は、契約者の死亡危険の危険評価に際して、測定が簡便なうえ数値として(数字査定法)処理できる血圧値を最重要視して、日常の診査、査定業務に当っておりました。ですから循環器疫学のシカゴ学派のボスと称されたスタムラー J.Stamlerが言った、「アメリカの生保会社は聴診器と血圧計とによって、いち早く巨大な経済帝国を築いてしまった」という言葉は、現在でも正しかったと私は胸を張って言うことができます。

 さて昔話はともかく、日本高血圧学会の「高血圧治療ガイドライン2004」の概略をご覧いただいて、高血圧の定義が随分と厳しくなっているとお感じになったことだろうと思います。何しろ、家庭血圧で135/85mmHg以上が高血圧だと言うのですから。しかし私もピッカリングの「高血圧=量的疾患説」からみて、定義を厳しくすることに基本的に賛成です。

 とは言え、薬剤を使って何が何でも血圧を下げる方が良いという短絡した考え方には直ちに賛成できない事情があります。大変ややこしい問題ですから誤解を招かずに説明することができるかどうか自信がありませんが、お話してみましょう。

 まず、ほとんどの高血圧は「本態性」です。この病名の付け方自体もっともらしいのですが、原因不明と同義語であることにご注目ください。原因の判明している高血圧はごく僅かしかありませんが、「二次性高血圧」と呼ばれていて、原因に対する「根本治療」がなされます。

 高血圧の薬物療法の歴史を振り返りますと、1950年以前には有効な降圧剤は得られなかったと言います。ルーズベルト大統領のことはすでにお話しましたが、彼にとって、血圧についての健康管理が不十分だったうえに、当時有効な降圧剤がなかったことは大変不幸なことでした。

 1949年に報告されたインド蛇木のアルカロイド成分、ラウオルフィア・セルペンチーナ以降、次々と新薬が開発されて、今日では「JHS2004ガイドライン」が第一次薬として推奨する6剤(@カルシウム拮抗薬、AアンジオテンシンU受容体拮抗薬(ARB)、BACE阻害剤、C利尿薬、Dベータ遮断剤、Eアルファー遮断剤)に至るまで、降圧剤の進歩開発には目を見はるものがあります。

 では高血圧の薬物療法が本当に有効かどうか、どのように判断したらよいのでしょうか。道場信孝先生によると、この議論は日常の診療現場では十分に行われていないと言います。何故なら、気安くこのような質問ができる雰囲気の診察室ではないので、主治医に対してきちんと質問する勇気ある患者が少ないということがまず上げられます。しかしより決定的なことは、降圧剤の有効性を真に実証する研究がわが国にはほとんどないということが最大の理由になっています。(「高血圧を知る」NHK出版協会 2002年2月)

 同様の意見を言う専門家は多いのです。たとえば平盛勝彦・前岩手医科大学第二内科教授は、わが国には「ないよりましな診療ガイドライン」はあっても、真の「guideline」はないとまで極言しています。言わんとするところは、海外では数多くの「大規模臨床試験」−そのために巨額の研究費と参加する患者の犠牲なくしてはできませんが− の成績に基づいているのに対して、日本のガイドラインは極めて中途半端だということです。(「白衣を脱いだらみな奇人」日本評論社 2005年6月)

 ここで言う大規模臨床試験のことを簡単に説明しますと次のとおりです。

 薬剤の有効性を検証するもっとも適切な方法のことですが、それを臨床試験として行うには下記の4条件が必須です。

@    一定の人数を

A   無作為に公平に2群に分けて

B    一方の群には有効性を確かめたい降圧剤を使用して血圧を下げるなどの介入を行い、もう一方の群にはプラシーボ(偽薬)を飲んでもらう

C    一定期間経過を観察して、その間に起きた不都合な病気や死亡(エンドポイントと言います)の割合を比較する

 降圧剤の有効性については、単に血圧が降下しただけで良しとしてはならないのです。高血圧の根本原因が未解決のまま血圧が下げるというのはまさに方便であり、対症療法に過ぎないことを銘記すべきです。薬物療法の目的は、それによって寿命が延長されなければなりません。動脈硬化の進展を抑えることによって、心臓、脳、腎臓など主要な循環器系の臓器障害を引き起こさないことが寿命延長をもたらしますので、患者の納得が得られるでしょう。またたとえ循環器系の臓器障害を抑えることに成功したとしても、他の疾患、たとえばがん発症危険を増大させるようでは、この薬物療法は失敗したことになります。

 大規模臨床試験のターゲットとしては、いずれの疾患でも最後は死に至りますので、死亡をエンドポイントにして研究計画を立てるのが望ましいことは言うまでもありません。しかし繰り返しますが、降圧剤の薬物療法が有効であるとするデータは、これまでのところ全て欧米の大規模研究しかなく、わが国独自の根拠となる十分な研究はありません。

 では死亡をエンドポイントとする降圧剤の有効性に関する研究がわが国にないからといって、高血圧に悩んでいる目の前の患者に何もしないで放置しているのは、医者として倫理的に許されることではないと考えて、ガイドラインに依拠して実地診療に当っているというのが、今日のわが国における一般内科開業医、多数派の実情でしょう。

 一方少数派ではありますが、これに真っ向から反対して、「下げたら、あかん! コレステロールと血圧」とか、「高血圧は薬でさげるな!」と主張しているのが、浜六郎・医薬ビジランスセンター理事長です。 もう一人、ご専門はがんの放射線治療医である近藤誠・慶応義塾大学講師も、早くから安易な高血圧の薬物療法に反対し続けています。「患者よ、がんと闘うな」で有名な先生ですからご存知の方も多いでしょう。

 次回は、このお二人の主張をご紹介することにします。

                                           (2005年10月5日)

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