ドクター塚本  白衣を着ない医者のひとり言
No.50 低下を続ける日本人の血圧値
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 今年は「戦後60年」の節目の年です。そうです。「ひとり言」をお読みいただいている皆さま方のほぼ全員が体験された60年です。そして、テレビ、新聞、雑誌、いずれのマスメディアもこぞって「戦後60年」特集を組んでいます。いろいろな思い出とともに考えさせることで一杯です。

 同じ60年でも「国民栄養調査」が60年を迎えていることはほとんど知られていません。私事ですが、戦争や空襲そのものを体験していない育ち盛りの私にとって、敗戦直後から始まった食糧難、食糧危機のことは一生忘れようにも忘れられません。1945(昭和20)年12月に当時のマッカーサー司令部(GHQ)の指令に基づき、東京都民を対象にして最初の「国民栄養調査」が行われています。それ以来、一時中断したこともありますが、綿々とこの調査は続いています。「継続は力なり」ですが、今や世界中どこの国も真似のできない、息の長い世界に冠たる大規模な「全国サンプル」のこの調査は、保健所という「官」の手で実施されてきました。「国民栄養調査」の内容や意義については、いずれちゃんとお話する機会もあろうかと思います。

 前回申したように、血圧医者だった私はこのところ続けて血圧のことを書いています。

 実は、今回のテーマ「日本人の血圧水準」についても、この調査があってこそ明らかになったものです。

 さて、わが国が世界一の長寿国になっていること(今月の初めに公表された「平成16年簡易生命表」をネット検索していただくと詳細な数字がわかります)、平均寿命というのはその年の年齢別死亡率と同じものだということを、読者の皆さんは先刻ご存知のはずです。

 もともとわが国は脳卒中多発国で、虚血性心疾患の少ない国でした。脳卒中死亡率は戦後すぐから上昇して、1965(昭和40)年に頂点に達し、それ以降急速に低下し始めます。また国際的に低いレベルにあった虚血性心疾患の死亡率も、おおよその予想に反して1970年以降低下傾向(いずれも年齢調整死亡率のことです)が続いています。このことが平均寿命の延長に大きく貢献していることも世界中から認められています。

 この間に日本人の血圧水準はどう動いたのでしょうか。国民栄養調査によって、男女別年齢別の血圧平均値の推移を見てみましょう。この調査で血圧測定は1956年から開始されていますが、当初は男女とも、いずれの年齢層でも「平均血圧」は上昇していました。それが1965年をピークに低下に転じます。ちょうど脳卒中死亡率が最高であったあの1965年と一致しています。偶然の産物ではありません。

 (もちろん、性別、年齢別の観察といっても国民の個々人が上がった、下がったというのではなく、集団としての血圧平均値のお話です。よく「統計はフィクションだ」と言われてきましたが、ここでは平均値を用いて、日本人全体の血圧レベルを代表させているいるのです)

 もう少し詳細に見ますと、男女とも60歳代、70歳代以上の高齢者層では、ほぼ同じような低下傾向を示していますが、50歳代以下では女性の方が明らかに血圧水準は低く、とくに40歳代では男性に比べて10mmHg程度低くなっています(2001年)。またこの年代では、男性の低下傾向は鈍化していて女性ほど明瞭ではありません。

 脳卒中死亡率、罹患率を男女別に比較すると、若い世代ほど女性が低いという男女格差がはっきりしていて、70歳代以上ではほとんど差がないのですが、このことと世代間の血圧水準の男女差の推移がちゃんと符合しているのは興味深いと言えます。

 いずれにせよ経済の高度成長期を挟んだ約40年間に、国民の血圧水準が、収縮期血圧で70歳代以上では25mmHg近く、60歳代では20mmHg近くも低下したことは特筆すべきことでした。

 高血圧者の頻度も血圧の平均値低下にともなって、当然のことながら大きく低下しています。分りやすく示しますと、収縮期血圧が180mmHg以上あった者の割合は、脳卒中死亡率のもっとも高かった1965年当時には、70歳代以上で男女ともほぼ35%もありましたし、60歳代では男性で25%、女性も21%でしたが、2001年現在では、3〜5%にまで低下しています。最多の割合だったときの約10%、つまり10分の1にまで減少しているのです。重症の高血圧患者が顕著に減少したことを物語っています。

 では高血圧者(140/90mmHg以上または降圧薬服用者と定義して)の実数はどうでしょうか。ここでは、厚生労働省の第3次から第5次「循環器疾患基礎調査」(と言っても血圧測定は国民栄養調査で実施したものと同じです)の結果から、宮崎大学・第一内科の加藤丈司らの推定によると次のように増加しています。一見矛盾しているようですが、年齢別にみて平均血圧値は低下していても、人口の高齢化によって高血圧者の実数は逆に増えているのです。

 1980年: 男性  1500万人  女性  1300万人  計 2800万人

 1990年: 男性  1600万人  女性  1800万人  計 3400万人

 2000年: 男性  1850万人  女性  1650万人  計 3500万人

 これら高血圧者のうち未治療者(降圧薬を服用していない者)の割合はどうか、を同じ調査で見ますと、30歳代では男女ともに90%前後と、この20年間ほとんど変化がないのに対して、70歳代以上では、1980年に男女とも約60%であったものが、20年後には男女それぞれ、46%、37%までに減少しています。60歳代でも、同じく20年間に男性は約68%から58%に、女性は63%から54%にどちらも10%ほど減少しています。「まじめに」降圧剤を服用している人は、女性の方が少しだけ多いというわけです。

 また1998年の厚生労働省「国民生活調査」によると、高血圧により治療を受けている通院患者数は、男性340万人、女性460万人と推定されています。この数字を先ほどの推計による高血圧者の実数で割り算すると、治療している高血圧者は全体の23%に過ぎないということが分ります。若い年齢層の未治療者が圧倒的に多いからです。

 このような数字から、日本人の高血圧管理は不十分で憂慮すべきことだと短絡的に決め付けてよいものでしょうか。

 血圧に関連するいろいろな要因のうち、よく知られている食塩摂取、肥満、飲酒量の3要因の推移も見てみましょう。

 まず食塩ですが、国民栄養調査によると、1日当たりの食塩摂取量は1975・6年(13.7g/日)以降減少傾向にありましたが、1987年(11.7g/日)から反転して増加に転じ、1995年(13.2g/日)をピークに再び減少しています。現在は11.6g/日ですが、体重1kg当りの食塩摂取量は、いまだに英国、米国の2倍近いというレベルにあって、かなり高いと言われています。

 また肥満については、循環器疾患基礎調査によると、1980年からの20年間で、男性は30歳代から70歳代以上までの、いずれの年齢層でも肥満の程度(BMI<体重(kg)を身長(m)の二乗で割った値)>を尺度にします)は着実に増加しているのに対して、女性は60歳代と70歳代以上は増加しますが、30歳、40歳代は逆に減少傾向にあります。

 さらに成人一人当たりの飲酒量は、高度経済成長期には急速に増加したものの、近年その伸びは頭打ちになっています。

 一昔前までは、降圧剤の持続投与による重症高血圧患者の減少がもっとも大きく貢献して、平均血圧の低下をもたらしたと言う説が有力でした。しかしいろいろな要因が複雑に絡み合っていて、国民のライフスタイルの変化や家庭血圧計の急速な普及といった社会・経済的な要因も見逃すわけには行きません。日本人全体の血圧水準が、1965年以降着実に低下し続けているという紛れもない事実を明快に説明する決定的な要因や、これから日本人の血圧レベルがどのように推移するのか、依然として未解決のままと言ってよいでしょう。

 むしろわが国が世界に誇るべき国民栄養調査(循環器疾患基礎調査も)が、被検者となる側の国民にとって、個人情報の漏洩などを危惧するために協力度の低下を起こして、調査結果の精度を懸念する向きすらあります(滋賀医大・上島弘嗣教授)。

<参考文献>

 上島弘嗣:「血圧」第12巻第4号、421〜26、2005年

 加藤丈司ほか:「循環器科」第56巻第5号、472〜78、2004年

                                           (2005年8月17日)

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