ドクター塚本  白衣を着ない医者のひとり言
No.44 徒然草が語る「老い」とは
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 「老」という漢字の意義や成り立ちは、「年寄りが腰を曲げてつえをついたさまを描いた象」だそうですから、やはり老化による人体のカタチの衰えを表現しています。もちろんローマよりずっと古い歴史をもつ中国にも、老年についての思想も文学もあるに違いありません。私は「三国志」や「水滸伝」とは随分長い付き合いで、武勇に秀で侠気に富む中国の英雄に親しんできましたが、やはり通俗的な小説に深遠な老年哲学を求めること自体が無理というものでしょう。

 そこで一気に時代は下って、中世以降の日本人の老いのお話をしてみましょう。と申しても、実は私の明治生命厚生事業団当時、「健康文化」の研究助成(このことについては、すでに「26話」で少しご紹介しております)で選考委員長をお引き受けいただき、大変お世話になった立川昭二先生の数多くの著作を参考にしてご披露することになります。立川先生はお名前のとおり昭和2年生まれの歴史学者で、北里大学名誉教授ですが、文化史・生活史の視座から病気・医療を追及して、独自の領域を開拓し続けておられることで有名です。とくに江戸時代から明治・大正・昭和にかけての「生病老死」の文化史について語っていただくにはこの方の右に出る人はいないと、私が心底尊敬してしている方です。昨年からシニア向けの月刊誌「日経マスターズ」に、歴史上の有名人を登場させながらの「午後のテラス」というエッセイを連載なさっています。購読している私も配達される毎号を楽しみにしている一人です。

 さて、老いについて、正面から論じた最初の日本人は吉田兼好(1283?〜1352?)であると喝破なさったのが立川先生のいのちの文化史論なのです(たくさんの著書の中から一冊だけというなら、「日本人の死生観」(筑摩書房 1998年)をあげておきます)。そうです、「つれづれなるままに、日くらし硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。(序段)」で始まるあの「徒然草」の作者、兼好法師です。どなたも国語の古典文学の時間に一度は勉強したはずで、中には今もこの文章を諳んじておられる国文学大好きの方もおられることでしょう。私は正直に言うと国語は苦手だったこともあって、立川先生から教わるまでは兼好の生病老死の思想など何も知りませんでした。

 兼好は老いの前に、「病」についても衣食住につづいて4番目の人生の大事として加え、病を自覚的に考えた最初の日本人でもあると言います。

 徒然草の本文から永積安明の訳文(「完訳 日本の古典 第37巻」小学館 1987年、以下も同じ)も交えながら引用すると次のとおりです。

 「・・・・人間の身として、やめようとしてやめられないで営むことは、第1に食ふ物、第2に着る物、第3に居る所である。人間の重要事は、この三つ以上に出ない。飢えず、寒くなく、風雨におかされないで、しずかに日を送るのが、人間の楽しみなのである。ただし、人間にはみな病気がある。病気にかかってしまうと、その苦悩は堪えがたい。だから病気治療のことを忘れてはならない。以上の三つに、治療のための薬を加えて、これら四つのことを手に入れえないのを貧乏だとする。・・・・この四つのことを、きりつめて生活するならば、誰が不足を感じることがあろうか。(第一二四段)」

 さらにすすんで、「若き人」と「病なく身強き人」を「友とするに悪き者」と決め付けることによって、若者より老人を、健康人より病者あるいは障害者を、価値ある者として位置づけようとする先端的な思想も打ち出しています。だから、つづいて兼好にとっての「よき友、三つあり。一つには、物くるる友。二つには医師。三つには知恵ある友。(第一一七段)」ということになります。

 老いについては、たんに無常観から老いを論じたのではなく、ライフサイクルという近代的なまなざしで、若さと老いを対比させています。本文ではこうです。

 「若いときは、血気が体内にあまり、心が物にふれて動揺し、情欲が多い。わが身を危くして破滅しやすいことは、ちょうど珠を強くころがすのに似ている。(例をあげて)このように、わが身をあやまるのは、若い時の行動である。」その一方で、「年とった人は、気力が衰え、心が淡白でなおざりであり、感情的に動くことがない。心がしぜん静かであるから、むだなことをしないで、わが身をかばって心配ごとがなく、他人の迷惑がないように考える。年とって、知恵が若い時よりまさっていることは、ちょうど年若いとき、容貌が年老いた者よりまさっているのと同様である。(第一七二段)」

 「かたち」のまさった若さよりも、「智」にまさった老いに価値を見出しています。日本人の兼好もまた、千年以上の後輩とはいえ、ローマ人、キケローが謳いあげた「老い」と共通する思想を披瀝しているとお感じにならないでしょうか。

 兼好はさらに,、老いにつづく死が、いかに劇的、飛躍的に、しかも予測を超えて来るものかを見事に表現しています。それは、四季の自然の移り変わりを精密、的確に観察して見せた後で、その自然と人間の動態を対比しているのですが、全編でもっとも衝撃的な言葉、「死期は序(ついで)を待たず。死は前よりしも来らず、かねて後に迫れり。」が出てくると立川先生は言います。

 「・・・・生・老・病・死のめぐってくることは、また四季のそれ以上に早い。四季の推移には、それでも、春・夏・秋・冬というきまった順序がある。死の時期は順序を待たない。死は前からばかりは来ないで、いつの間にか、後ろに肉薄しているものだ。人はみな、死のあることを知りながら、死を待つことが、それほど切迫していないうちに、思いがけずにやってくる。沖の干潟は遠く隔っているのに、海岸から潮が満ちてくるようなものである。(第一五五段)」

 このように、南北朝時代の変革期を生きた吉田兼好が「徒然草」のなかで展開した自然観、人間観は、一般には思想性に乏しいと批判されがちな日本の古典文学のなかにあって、その思想的な達成度においておそらく最も高い水準に達していたもの(永積安明)と評価されてよいでしょう。

 今回は、「国語の時間ではありませんよ」、と言われかねませんので、この辺りでお仕舞いにします。言うまでもなく、吉田兼好は徒然草のなかでいのちの思想だけを説いたのではないのです。政治論あり、趣味論あり、人物スケッチがあると思えば、思い出話に珍しい話、不思議な話、簡単な情報から四季折々の自然描写までありと、何でもござれです。 まさにそれまでの日本にはなかったジャンルの文学形式、「随筆」の第一号です。今日では原文はもちろん、さきにあげた「完訳」のほか、「すらすら読める徒然草」(中野孝次 講談社 2004年)や、「現代語訳 徒然草」(佐藤春夫訳 河出文庫 2004年)、変り種では「嵐山光三郎の徒然草 シリーズ古典2」(講談社 2001年)等々、図書館にはたくさんあって読むことができますので、人生の大先輩をぜひ訪れてみてください。

 ついでにもうひと言、「老」には老残、老廃、老醜など、老いについての否定的な熟語がある一方で、元老、老中、大老、家老、長老、宿老、碩老など、年寄りの知恵や経験を尊重し、敬っている肯定的表現の言葉もたくさんあります。

 次回は、現代よりずっと尊敬され大事にされていた江戸の老人、しかも老いの名人たちをご紹介することにいたしましょう。

                                           (2005年5月18日)

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