ドクター塚本  白衣を着ない医者のひとり言
No.43 「老い」を謳いあげた最古!の著作
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 前回は、外観的な老人の醜さ汚らしさを見事に描写してみせた横井也有の狂歌7首をご紹介しました。「ひとり言」子にとっても思い当たる節が多々あります。ここにあげられていなかったものもいくつかありますのでご披露しますと、立ちあがる際に「どっこいしょ」と言うのが常となった、人の顔を思い出しても名前が出てこない、僅かな段差や階段の一段目でつまずく、等々です。
 93歳の現在でも現役の病院経営者として「白衣を着る医者」をしながら、講演のため全国、いや海外まで飛び回っておられるあの有名な日野原重明先生ですら、最近の著書のなかで、「老い」を自覚したのは70歳になったある日、自分が書いた原稿用紙を手にしていて、気がつかないまま床に落としてしまった時だったと語っておられます。歳をとると指の感覚が鈍くなり、紙を滑らせてしまうことがよく起こるのです。先生はとっさに「桐一葉落ちて天下の秋を知る」という言葉が浮かび、自分にも晩秋が来たのではないかと思ったと述懐しておられます(「私が人生の旅で学んだこと」 集英社 2005年3月)。
 
 さて、ふつう「老い」は暗いもの、惨めなものと考えがちなのに、そうではなく、逆に、いち早く老いを謳い上げた人類の大先輩がいたことを皆さんに知ってもらおうと思います。先輩といっても半端な先輩ではありません。今を遡ること2千年以上昔のローマ人、キケローM.T.Cicero(前106頃〜前43)その人です(「キケロー」ではなく「キケロ」という呼び方に親しんでおられるかと思いますが)。
 キケローは彼よりももっと有名人、つまり塩野七生が人類5千年の歴史上最高の英傑と賞賛して止まない、かのカエサルG.J.Caesar(前101頃〜前44)と同時代人で有名な政治家の一人でした。カエサルもシーザーという方が馴染みがあるはずです。また皇帝を指すカイザー(独)や、ツァーリ(露)の語源にもなっている大人物です。

 一説によると、弁舌ではカエサルもキケローには敵わなかったほどの雄弁家で、政治家であると同時に哲学者としても知られていたキケローは、多くの著作(その大半はカエサルにつくかポンペイウスにつくかで迷った末、両派のいずれからも信頼を失って隠遁した後、63歳で殺害されるまでの、2、3年の間に書かれたものだそうです)を残しています。

 今回は彼の著作の一つ、「老年について」(中村哲郎訳 ワイド版岩波文庫 2005年1月)のさわりだけをご紹介しましょう。
 キケローより前のギリシャ文学には青春を謳歌する作品が多く見られるのに反して、老いの惨めさを嘆くものが目立つと言われます。一例として、中村哲郎があげているギリシャの代表的詩人ミムネルモス(前7世紀後半)の一節(「エレゲイア詩集」)はこうです。

  「見苦しくねじけた年寄りになったら、
   碌でもない物思いに、心をすり減らされるばかり。
   お天道様を見ても心楽しまず、
   子供には嫌われ、女には侮られる。
   老年のいたましさはjかくばかりに、神はしたまうた」

 早くから文字(ギリシャ語、ラテン語)を駆使できた民族の強みといってよいでしょうか、キケローの「老年について」は、政治家としての再起に絶望し、家庭的にも不遇だった彼の最晩年に、老年はこうした暗いもの、惨めなものとはみないで、堂々と老年を謳いあげた最初の、つまりは人類最古の著作と見做されるものを書き上げたのでした。しかもこれは、キケローが直接話法により老いを語るというのではなく、彼より百年以上前に生まれた古代ローマの将軍・政治家で、かつ、文人(「ラテン語散文の祖」とも称されます)だったカトーM.P.Cato(前234〜前149 大カトーと通称されます)が、文武に秀でた若者を自宅に招いて、自らの到達した境地から老いを語るという設定で書かれた対話形式の作品なのです。

 その構成は、まず「序章」で首題が提示された後で、「首題の分類」として老人が惨めだとみなされる4つの理由が列挙されます。最後にその4点を逐一反論してゆく形で「結論」を述べています。キケローはギリシャ哲学をローマに伝える努力をした人と言われ、優れた思想は適切な構想の下に美しく表現されるべきだと考えていたからでしょう、この著作でも哲学と修辞学の統合が見事に実践されていたのです。

 カトーの語りによって、自らの理解するところ、老年が惨めなものと思われる理由としては次の4つが見出されるといいます。
 第1に、老年は公の活動から遠ざけるから。
 第2に、老年は肉体を弱くするから。
 第3に、老年はほとんど全ての快楽を奪い去るから。
 第4に、老年は死から遠く離れていないから。

 そして、ひとつ一つがどの程度、またどのような意味で正当かを、克明に事例をあげながら検討して、立派に反論してゆくのです。

 1 まず、老年が公の活動に与っていない、というのは譬えて言うなら、ちょうど舟を動かすにあたって、マストに登り、甲板を駈け回り、淦を汲みだしている者たちに対して、船尾で舵をにぎりじっと坐っている舵取りは何もしていないと言うようなものです。若者のように肉体の力とか速さ、機敏さではなく、老人は思慮・権威・見識で大事業をなしとげることができます。老人(セネース)にこれらが備わっていないなら我らの先祖も国の最高機関を元老院(セネートス)と呼んだりはしなかったでしょう。
 また、賢者は老人になっても稟性豊な青年に楽しみを見出すし、青年も老人の教訓を喜ぶものです。二人の聞き手に対して、自分がお前たちを喜ぶのに劣らず、自分もお前たちに喜ばれていると理解していると(カトーの口から)語ります。

 2 肉体の衰えについては、カトーはこう言います。現在84歳になる自分に対して元老院は体力を求めているのではありません。慎重に時間をかけて考えた提案をしているのであって、肉体の力ではなく心の力で職務を全うしているのです。雄牛を担いで歩いたオリュンピアの勇姿の肉体の力か、ピュータゴラースの知性の力か、どちらを授かりたいと思いますか、と二人に問いかけて、要するにお前たちの言う善きものを有る間は使えばよいが、無い時には求めないことです、と結論づけます。

 3 老人が快楽をそれほど欲しがらないというのは、非難するというよりは最高の誉め言葉なのです。老人は山盛りの食卓や盃攻めとは無縁ですが、そのため酩酊や消化不良や不眠とも無縁です。自分は節度ある饗宴の喜びを計るに際しては肉体的な快楽よりも友との交わりや会話を基準にしています。会話の楽しみがあればこそ自分は長丁場の饗宴でも楽しくなります。
 また、色事の方はしているかと尋ねられたのに対して、「粗野な主人から逃れるように、まさにそれから逃れて喜んでいるところだ」と老衰期のソポクレースは名回答を出しました。飽きるほど満ち足りた人には、味わうより無い方が快いし、望まぬ者には欠如もないのだから欲しいと思わぬこと、これこそが快いと言うのです。
 心が自足していて、心が自分自身と共に生きていることこそ価値があって、まことに、研究や学問という糧のようなものがあれば、老年ほど喜ばしいものはありません。

 4 最後の死の接近について、青年が死ぬのは熾んな炎が多量な水で鎮められるようなものであるのに、一方老人が死ぬのは、燃え尽きた火が何の力を加えずともひとりでに消えてゆくようなものと、自分には思えます。よく熟れた果物が自ら落ちるように命もまた老人からは成熟の結果として取り去られるのです。自分には成熟こそ喜ばしく、死に近づけば近づくほど、陸地を認めて長い航海の果てに港に入ろうとしているかのように嬉しく思われます。

 下手な要約は反ってキケローの名声を汚すことになりかねません。「ワイド版」の大きな活字の文庫本ですし、ローマ古代史とギリシャ文物に関するキケローの学識が惜しみなく傾注されているのですから、老境にさしかかっている皆さんにも、ぜひご一読をお勧めいたします。

                                           (2005年5月4日)

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