ドクター塚本  白衣を着ない医者のひとり言
No.37 ウィレット教授らの「ハーヴァード・リポート」
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 前回は本田賞の受賞者、ウィレット教授の「栄養疫学」研究のことをご紹介しました。もともと彼が指導しているFFQを用いた大規模コホート研究の発端となった「ナース・ヘルス研究」そのものが、女性のための避妊薬、いわゆるピルと乳がんの関連性を追及することを目的に始まったくらいですから、彼らハーヴァード大学グループのメインテーマは、一貫してがんに焦点を当てた研究でした。

 そのようなわけで、ウィレット教授らの「ハーヴァードがん予防センター」からは、次々に出てきた研究成果をアメリカ国民のために「がんに関するハーヴァード・リポート」に纏めて、1996年の第T巻からすでに5巻(U- 96年、V- 99年、W- 2000年、X- 2002年)が出版されています。

 とてもその全貌を紹介することはできませんので、今回はそのさわりの部分だけ取り上げてみましょう。

 まず第T巻で、米国のがんに対する個々の危険要因の寄与割合の大きさを推計して、次表のとおり発表したことは大変有名です。

危険要因 寄与割合(%)
たばこ 30
成人期の食事と肥満 30
運動不足
職業性の要因
がん家族歴
ウイルス等感染
周産期・成長期の要因

 以下、生殖関連要因、アルコール、社会経済的要因がそれぞれ3%、ついで環境汚染と放射線が2%、薬物・医療行為と塩分・食品添加・農業等汚染が1%です。

 つまり喫煙と肥満が、がん全体の原因のそれぞれ30%づつを占めていて、両者だけで6割、それ以外の危険要因はがくんと低くなります。トップの2つと運動不足、職業要因、家族歴、ウイルス感染の4つ、併せて6要因で、全体の8割までを占めることになります。少し乱暴ですが、アメリカの社会では喫煙者で肥満していたら、まず組織の指導的ポストに着けないと言われるようになっています。そのような考え方を国民全体に普及させたリーダーの一人が、ウィレット教授だったといっても過言ではないでしょう。また数字好きの国民性を考慮にいれてのことでしょう、このような寄与割合を算出してみせたのですが、ご覧のとおりのラウンド数字で分かりやすく作成されているものの、正直いって厳密な計算方法は私にもよく理解できていないのです。

 つぎの第U巻では、がん予防のアクションを起こすに当たっては、がんの部位別(胃がんとか肺がんというように)にではなく、危険要因への暴露状況がどうなっているかに着目すべきだと強調されています。

 第V巻では、米国における大腸がんの予防についての提言をしています。その特徴は肉類摂取の減少や野菜類摂取の増加といった食品群についてのアドバイスにとどまらず、葉酸を含有するビタミン類の服用を勧奨していることです。

 さらに第W巻では、生活習慣に関する簡単な質問から、各種のがんに罹患するリスクを推計する方法を開発して(彼らは「ハーヴァード・がんリスク・インデックス」と呼んでいます)発表しました。その成果を活用して一般市民向け(といってもアメリカ人の)に、「がんリスク推計プログラム」がインターネット上で公開されています。

 それほど英語が得意でなくとも、「Your Cancer Risk」と書き込んでネット検索をかけてみてください。簡単な質問にイエス、ノーでつぎつぎに回答を入力されますと、がんの部位別にご自分のリスクの程度が7段階の色付で表示されます。まさにゲーム感覚でできますのでお勧めします。たとえば、私自身の肺がん、前立腺がんに罹患するリスクを試してみますと、平均以下で7段階中の下から2番目です。ちょっと安心してもよい結果でした。

 ただしアメリカ人向けのプログラムですし、あくまで質問に答えたリスク要因を持つ集団のがん発生危険度を評価したというだけのことで、私が肺がんや前立腺がんにならないという保証をしてくれた訳ではありません。この辺が疫学の限界であり、また誤解されやすい原因を作っていることにもなります。

 最後の第X巻(2002年4月)では、アメリカ国民の健康政策を論じています。今やアメリカにおけるがん予防研究は岐路に差し掛かっているとして、集積された膨大な疫学データを活用すべき時であり、次の5つの生活習慣の行動変容を訴えています。

 つまり、@喫煙、A運動不足、B肥満、C食事、Dアルコール摂取の5つです。

 これまた何でもアメリカの後追いをしているわが国でも、とっくに一般常識になっている生活習慣病対策そのものです。ハーヴァード学派、恐るべしと言いたいくらいです。

 しかもウィレット教授らは、これまで証拠付けがなされていなかったがんにとどまらず、循環器疾患を初めとする多くの慢性疾患の発症に果たす食事の役割を科学的に明らかにして、栄養疫学を一躍大きく発展させたのでした。

 ここまでのお話でウィレット教授が本田賞受賞に値する優れた研究者だと納得なさったでしょうか。

 その彼が、21世紀を迎えるにあたって、栄養疫学の過去20年を振り返り、さらに新世紀をどのように展望しているのか、「疫学レヴュー」誌に掲載された彼の論文(2000年)の要約を、弟子である坪野教授のホームページから抜粋してみましょう。

 過去に達成した研究成果としては、もちろん、彼自らが開発した食物摂取頻度調査票FFQを洗練し妥当性評価の方法論を確立したこと、世界中で30もの大規模コホート研究が開始されたことなどを上げています。その他にも、飽食の時代を迎えた西欧先進国では、栄養過剰が主な問題でしたが、最近10年の研究で妊娠初期の葉酸欠乏が胎児の神経管欠損の原因になることや、食物繊維の不足が心筋梗塞のリスクを高めることなど、「新たな栄養素欠乏症」の存在が明らかになったことを指摘して、教授はこうした「過剰症」から「新たな欠乏症」への医学的関心の変化を、大きなパラダイムシフトと位置づけています。

 栄養疫学のこれからの方向性についてもウィレット教授は多くの提言をなさっています。なかでも、これまでの研究のように単一の栄養素や食物に焦点をあてるだけではなく、たとえば、「肉食中心の西欧型食生活」、「野菜や穀類中心の健康志向の食生活」といった全体のパターンを抽出して、そのパターンと疾病の関係を追及してゆくという研究に向かうだろうと言っています。このようなアプローチには方法論的にいくつもの課題は残されているという留保はつけておられますが。

 またこれまでの大規模コホート研究は、2、3の日本における研究を例外として、全てが北米とヨーロッパに偏っているので、今後は世界の人口の大半を占めるアジア、アフリカ、ラテンアメリカ地域で、同様の研究が推進されるべきだとも提言しておられます。やはり世界をリードする栄養疫学の指導者でなければ言えない重みをもった発言ではないでしょうか。

 <補足>

 「食物摂取頻度調査票」FFQは、ウィレット教授の研究業績の重要部分であることだけは分かったつもりですが、具体的にどんな質問票なのか、イマイチ、イメージが浮かばないという方がおられます。お話しながら、私も舌足らずで難しいのではないかと危惧しています。そこで、アメリカ人用のはご覧になってもますます混乱させるだけですから、坪野教授が日本人向けに作成されたFFQなら、その見本(坪野吉孝、久道茂著 「栄養疫学」 南江堂 2001年刊)を見ることはできます。でも、この本を買うほど熱心ではありませんと言われそうですがいかがでしょうか。

                                           (2005年2月2日)

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