ドクター塚本  白衣を着ない医者のひとり言
No.35 今年も「疫学」をよろしく
百寿の疫学者、「Mr.コレステロール」のこと

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 明けましておめでとうございます。
 明和会の皆さんも、お揃いで輝かしい2005年の新春をお迎えのこととお慶び申し上げます。

 「白衣を着ない医者のひとり言」も、連載を開始してから2度目のお正月を迎えました。お付き合いくださった方々に厚く御礼申し上げます。

 昨年「ひとり言」子は大病ではないものの、アキレス腱滑液包炎や内痔核などで体調をくずしました。そのため、完全リタイア後「新老人」(75歳)までの5年間は、毎年海外旅行を続けることをささやかな目標にしていたのに、早くも2年目にして昨年は1度も海外へ出かけることができず、残念な思いをいたしました。

 幸い、足首、膝の痛み、腰痛が残っているものの、まず日常生活に支障をきたすことなしに悠々自適の毎日を送っております。老化に伴う筋肉・腱の「縮み」を修正すべく、自己流のストレッチ、筋力トレーニングなどを試みてそれらを伸ばそうと努力したところ、逆効果で1週間もしないうちに腰痛はかえってひどくなる始末です。習い性となっている運動嫌いのせいと諦めているものの、慣れないことをするのは禁物と自戒しているところです。

 とにかく頑張らず、無理せず、をモットーに日常生活のなかで、買い物の往き帰りの歩行、部屋の掃除、自動車のワックス掛けなどで軽く汗をかく程度にとどめております。おかげで今年は何とか、2、3回の海外旅行を復活できたらと思っております。

 といった近況をご報告したうえで、今年もこのコラムを続けてまいりますので、よろしくお付き合いのほどお願いいたします。

 実は、皆さんのためというよりは、このコラムを月に2回執筆することが、小生にとっての唯一の「知的な」作業になっており、図書館に通ったりして少しは勉強しますし、健康問題がテーマになっている新聞記事やテレビもよく目を通すようになり、何より定期的で、かつ適度なストレスになっていることを大変感謝いたしております。これがないと、もっと「だらだら」した張り合いのない毎日になっていただろうと、この1年を振り返っております。

 すでにこれまでの連載をお読みいただいた読者は、先刻お気付きのことだろうと思いますが、毎回のコラムのなかで、「ひとり言」子が皆さんにお伝えしたい共通のテーマは、他ならぬ「疫学」という学問の持つ魅力のことです。したがって、時々同じような話が繰り返し出てくることになってもお許しください。

 まだまだ日本では疫学の歴史は浅いと言って過言ではありません。例えば、今月下旬滋賀県大津市で開催される「日本疫学会学術総会」(上島弘嗣会長)は、たかだか第15回目に過ぎません。かく申す私も、この学会の設立発起人の一人に名を連ねております。一方日本保険医学会・定時総会の方は、昨年10月で何と第101回を数えていることと比べてもおわかりでしょう。

 今回は百寿者だったアメリカの疫学者で、「Mr.コレステロール」というニックネームで有名なアンセル キース博士 A.Keys(1904−2004)のことをご紹介することにしましょう。

 キース博士は、カリフォルニア大学・バークレイ校で学び、最初は魚類の生理学者として研究生活を始めます。海水と淡水の両方で生存できるウナギの研究をコペンハーゲンで行った後、イギリスのケンブリッジ大学では2つ目の生物学博士の学位を取得していますが、1933年にハーヴァード大学の疲労研究所に戻り、ここで魚類から人類へ研究対象を変えることになります。ここでは、高地におけるヒト血液の酸素運搬能のパイオニア的研究も行っていますが、第二次大戦が彼の研究者としての進路を大きく変えてしまいます。1939年にミネソタ大学にいた彼に、政府(戦時省)から1通の電報が舞い込み、彼はパラシュート部隊の携帯食糧の研究を命じられ、ミネソタ大学に「生理衛生研究所」を設立(1940年)しますが、何と、大学附設のサッカー場の観客席の真下を改造して作られた粗末な施設(1970年のことですが、私はそこを訪問して実物を見てきました)でした。この研究成果を基にして出来たのが「K−ration」というアメリカ軍の携帯食糧なのです。もちろんKは、キース博士に因んだ命名であることは言うまでもありません。

 読者のなかで、終戦後の進駐軍が使っていた携帯食缶詰を目の当たりにした方もおられることと思います。飢餓寸前だった学童期のわれわれにとって、牛肉、チーズ、チョコレートバーから、キャンディ、珈琲・レモン・スープの素、それにタバコまで入っている大変贅沢な代物にはびっくりしたものでした。キースのアイデアで、食べ物のなかにはヴィタミンの必要量がちゃんと含まれていたのが特色だったのです。

 大戦の終結が見えてくると、キースは今度は飢餓の研究にテーマを変えさせられます。荒廃したヨーロッパの飢餓に苦しむ人口を救済するために、そのリハビリの基礎研究でした。ヴォランティアを募って実験対象者のグループを作り、人工的に作成した半飢餓の状態について生理学的な研究が行われました。彼は本格的な栄養学者に変身するのです。この研究から身体組成、つまり筋肉、脂肪組織、骨の構成比が明らかになります。いま盛んに測定されている「体脂肪率」の先駆け的な研究です。すでに古典となった彼の著書「人類の飢餓生物学」は、当然ヨーロッパをはじめ世界中の飢餓人口救済に大きな貢献をしたのです。

 第二次大戦後、直ちに彼は研究を当時のアメリカ人の新たな「疫病、冠動脈疾患」に切り替えました。1940年代半ばから冠動脈の閉塞が心臓発作の主要原因であることが一般に認識されるようになり、彼は当時の健康な経営者に年一回、彼の研究所で健康診断を受けてもらい、データの蓄積を始めます。重要なポイントは、必ずインターヴューを行って彼らのライフスタイルに関する調査を実施したのです。後年心疾患の「リスク・ファクター研究」にまで発展するシステムをスタートさせたのは、まさにキースその人だったのです。

 1951年になって研究所の陣容も整い、彼は夫人とともに2年間の研究者としての休暇(アメリカのサバティカル制度)をとってヨーロッパで暮らしますが、そこで地中海沿岸諸国のライフスタイル、なかんずく食生活と北欧のそれとが大きく異なっていて、同時に冠動脈疾患の死亡率にも大きな差異があることに気付きます。つまり飽和脂肪酸の多い食事が冠動脈疾患を増やす方向に、不飽和脂肪酸に富む食事がその逆であるという事実です。

 1958年からはキースを研究リーダーとする「7ヶ国研究」と呼ばれる研究が開始されます。地中海沿岸のイタリア、ギリシャ、ユ−ゴスラヴィアと北欧のオランダ、フィンランド、それに米国と日本の7カ国の40〜59歳の男性、16集団、約1万2千人を対象にして、国際チームが共通のルールに従って実施した疫学的追跡研究です。このとき日本から参加したのは久留米大学の故・木村登教授で、九州の牛深と田主丸という農村と漁村でした。

 最大の研究成果は、冠動脈疾患による死亡率が収縮期血圧とコレステロール濃度との間に強い正の相関関係が証明されたことです。この研究によって、キースは「タイム」の表紙を飾る「時の人」となり、「Mr.コレステロール」というニックネームをもらうことになったのでした。

 こうして彼の生理衛生研究所は、循環器疾患の疫学、栄養学研究のメッカとなり、世界中からトレーニングのための研究生を集めることになります。私が訪問した際、キースにはお目にかかれず(しばらくして1972年に引退)、彼の後継者に当たるブラックバーン教授(のちの所長に昇格) H.Blackburn,Jr.に所内を案内してもらいました。ここで、帰国後、名古屋大学教授になられ、現・旭厚生年金病院・院長の大野良之先生が勉強しておられ、先生とはそれ以来親交を深めて今も「メル友」の仲になっています。

 ブラックバーンは、当時、ミネソタ大学教授とセントポールの小さな生命保険会社(ステート・ミューチュアル)の非常勤医長とを兼務していて、新契約査定の見学もさせてもらったことを懐かしく思い出します。実は彼の恩師であるキースも、生命保険事業には並々ならぬ関心を持っていたと聞きました。

 なぜならキースは、生物学に数学を導入した先駆者だったとブラックバーンは言います。つまり数学的回帰式や予測方程式を使って、魚の身長と体重の回帰式とか、人間の体格と血圧の関係式を初めて作った方でしたから、新契約時の診査データから予想死亡指数を割り出す、数字査定法に興味を持ったのは当然でしょう。のちにフラミンガム・スタディの研究成果から、冠動脈疾患の死亡率予測値に関する研究が現れても不思議ではないはずです。

 またまた余談ですが、いまもご健在のキース夫人は、ご主人との共同作業ともいうべき地中海料理の著書を何冊か出版されて、冠動脈疾患に悩む多くのアメリカ人のベストセラーになっているほどです。

 もう少しで101歳になる手前で亡くなられたキース博士は、自ら百寿を全うされましたし、冠動脈疾患とコレステロールの関係を最初に明らかにした栄養学、疫学、予防医学の偉大なる先覚者であり、公衆衛生の革命家であったと言っても過言ではありません。「公衆衛生のパイオニア」、「Mr.コレステロール」が逝くという新聞記事の見出しそのものの大人物でした。

                                           (2005年1月5日)

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