ドクター塚本  白衣を着ない医者のひとり言
No.34 EBM(証拠に基づく医療)をご存じですか(その5)
限界と未来を考える
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 前回は、エビデンスの信頼性が最も高いRCTのことを解説しました。これ以外の聞き慣れない専門用語、「メタ分析」と「コホート研究」のことも少しお話しましょう。

 メタ分析とは、複数の臨床研究を統合して再解析した分析研究のことをいいます。別の表現をすると、それは「研究の研究」、つまり「研究結果の疫学研究」のことです。その目的は情報を確認し、過誤を見つけ、帰納法で新しい知見を探し、さらなる研究のアイデアを演繹法で見つけることだそうです。私流にいいますと、「他人の褌で相撲を取る」的なところはあるものの、まずはしっかりした研究論文があったうえで、そこからエビデンスのエキスを抽出するための手法だと考えればよいでしょう。専門家がよく使っている「コクラン共同計画」と呼ばれるシステムは、メタ分析の代表例の一つです。

 コホート研究の方は、以前「久山町研究」のことをご紹介したときにちょっと触れましたので、ご記憶の方もあるでしょう。もともとコホートというのは、古代ローマの戦闘軍団のことだったのですが、一定の特性を持った集団(コホート)を長期にわたって観察して、死亡率や疾病の発生率を研究することをこう呼んでいます。生命保険会社の欠陥別死亡率研究は、もっとも古いコホート研究の先輩格だったと自負しています。

 さて、エビデンスの信頼性に5段階あることはわかったことにして、世界的に流行しているEBMにも、限界や誤解、つまり弱点がないわけではありません。

 まず、信頼性の高い臨床研究の論文が急速に増えているとはいっても、目の前の患者に直ちに活用できる論文がたくさんあるとは限りません。いざ実践といって時間はかけたものの「適用できるエビデンスはない」ということを確認するだけに終わってしまうことも、往々にしてあり得ます。すでに見てきたように、信頼性の高い論文を完成させるには、研究デザインが非常に大事ですし、もちろん、人、金、時間がたっぷりないと出来ない相談なのです。

 つぎに、もともと技術的、倫理的にエビデンスを作成すること自体、不可能あるいは不要な臨床問題もあります。EBMの適用外領域として前回ご紹介した能登 洋先生は、次の5つを挙げています。

 @ すでに経験上または理論上、効果が確実な治療領域、A 倫理道徳上、臨床試験が不適切、不可能な領域(心肺蘇生など)、B 救急分野など救命のために迅速な治療を必要とする領域、C 非常にまれな疾患、D 患者の強い要望。

 このように、もともとEBMが使えない領域のあることも、きちんと認識しておくべきなのです。

 また、山勘や経験だけに頼らず、エビデンスに基づいた診療の重要性は理解していても、現実問題として、忙しい外来診療の現場で次から次に現れる患者を前にして、文献検索はおろか、その批判的吟味をしている時間的余裕などあるわけがないといって、日常臨床の場で、EBMの実践を諦めている臨床医が多いのではないかという指摘もあります。李 啓充先生は、このようなEBMの「食わず嫌い」の人に対して、最近では、「UpToDate」( www.uptodate.com)というコンピュータ・ソフトが登場してきたので、このソフトを利用すると、診察室で患者を目の前にしながら、簡便かつ信頼できる情報検索が可能になり、文字通りいつでもどこでもEBMが実践できるようになったことを紹介しておられます。さらにこのソフトでは、白黒のはっきりしたエビデンスが存在しない状況に対して、専門家からのリコメンデーションが提供されますので、患者を前にした医師が「どうしたらいいのか」と頭を抱えたままに終わることがないよう配慮もされているそうです。といっても残念ながら、今のところ英文で書かれたソフトしかないのが現状ですが、英語のお得意な方は、一度、この「UpToDate」にトライしてみてはいかがでしょうか。

 そのほかにも、EBMでは患者の特性・価値観・意向を無視する、EBMは画一的なマニュアル化医療である、EBMは医療費削減が目的である、EBMは文献評論をするだけで、机上の空論である、等々の「誤解」や「誤用」もみられます。しかし繰り返しお話してきたように、EBMはあくまで目の前の患者の臨床的な問題解決の手段であって、「患者に始まり患者に帰着する」患者本位のものだということをしっかり理解している人にとっては、これらが謂れなき誤解であることは自明のことでしょう。

 それでは、今後ますます普及すると予想されるEBMの実践によって、未来の医療に何がもたらされるでしょうか。「ひとり言」子なりに考えてみましょう。

 まず第1に、医療の場における「権威主義」は影を潜めるでしょう。特定の名医と言われるような権威者がいなくなり、どこの病院へ行っても同じようなレベルの「良い医療」を受けることが可能になることが夢ではなくなります。

 第2に、賢い患者がますます増えることが期待されます。素人が専門医に注文をつけるなど、おこがましいことだという一方的な考え方はなくなると同時に、患者からも積極的に意見を言って担当医に協力することになるでしょう。

 第3に、医者の方も、「俺に任せておきなさい」式の家父長的な診療態度や姿勢(パターナリズム)が変って、患者に対して、ご存知の「インフォームド コンセント」(「説明と納得」とほん約されています)をキチンと行うことがますます定着してゆくでしょう。

 第4に、正しい医者・患者関係が成立しやすくなり、お互いの信頼関係が深まって協力体制が作りやすくなり、その結果として、「実地の臨床研究」、それもRCTといった公平で信頼性の高い研究がどんどん増えるのではないでしょうか。少し楽観的な見方かも知れませんが、国民にとって望ましい真の医療体制を実現させるために、このようにEBMが大きな影響を及ぼすのではないかと期待できそうです。

 臨床研究について付言しますと、黒川 清・学術会議議長(元東大第一内科教授、元東海大学総合医学研究所長)も、これまでは、国民の医療に直結する臨床医学として一番重要なはずの臨床研究が、ほとんど見向きもされなかったことを指摘したうえで、いま手始めとして、「糖尿病」と「うつ」を対象にした、「戦略的臨床研究アウトカム研究計画」が推進中であることを、「日本の生命科学はどこへゆくのか」というインタービューのなかで発言しておられます(「世界」 2005年1月号)。優れた研究成果から、日本人に固有の新たなエビデンスがつぎつぎに生み出されることに大きな期待を寄せているのは私だけではないでしょう。

 さらに、昔取った杵柄の保険医学についてもひと言。

 もともと保険医学の真髄は、長期、大量のコホート研究であるというのが私の持論です。実際の日常業務としての新契約査定には、過去に蓄積された欠陥研究という立派なエビデンスに基づいて行ってきたはずですから、我田引水のそしりも覚悟で申すなら、保険医学こそEBMの先駆者であったと言いたいくらいです。

 今秋の保険医学会総会で、小林三代世治先生(第一生命)が会員に向かって「EBU」(根拠に基づく契約査定Underwritingという意味)を提唱されています(会長講演)が、その趣旨に私も諸手を挙げて賛同いたします。厳しい環境下にある現役の社医の皆さんのご努力で、情報化時代における真のEBMによる契約査定業務が円滑に行えるよう期待し見守りつづけたいと思っています。

 EBMのお話はこれでお仕舞いにしますが、EBM実践の難しさと同時にEBMの普及によって明るい未来の医療に対する展望が少しでも開けたとしたら、私のEBM紹介もある程度の成功を収めたことになるのではないでしょうか。

 今年1年間、少し理屈っぽくて拙い「白衣を着ない医者のひとり言」の連載とお付き合いくださった明和会の皆さん、本当に有難うございました。

 また、「明和会HP」の作成担当者の方々には、毎回お世話になりました。心からのお礼を申し上げます。

 来年もひきつづき、月に2回のペースでお届けしますので、ご支援、ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。

 では、皆さん、お揃いで輝かしい新年をお迎えくださるよう心からお祈り申し上げます。

                                           (2004年12月26日)

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