ドクター塚本  白衣を着ない医者のひとり言
No.32 EBM(証拠に基づく医療)をご存じですか(その3)
−EBMの実践手順とは−
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 いま日本で一番元気に輝いている明治生まれ代表は、聖路加国際病院・理事長日野原重明先生(93)でしょう。先生はもともと循環器内科の専門医ですが、第二次大戦後、40歳直前になってからアメリカのエモリー大学に留学され、帰国後その体験を基に、医学・看護教育はもとより一般の人々に対する健康教育など広い分野にわたって多くの実践・提言をしてこられました。今年は、先生の講演をたまたま2回もお聴きする機会に恵まれました。いずれも先生は演壇に立ちっぱなし、朗々と張りのある声でユーモアを交えながら1時間以上も聴衆を引き付ける巧みな話術には感心したものでした。掛値なしに日本一のお元気さです。

 先生は、臨床疫学にも20年前から関心をお持ちになっていて、EBMの日本への紹介者のお一人でもあります。

 EBMより以前からあった「臨床疫学」は、患者を研究対象にして、通常は臨床家によって臨床の場で行われる疫学研究のことを指しています。最も簡潔には、「臨床医学の場で出合った問題に対する疫学の原理と方法の適応」と定義(「疫学事典」)されています。すなわち、古典的な疫学が原因を追究して疾患のリスクを測定しようと努力するのに対して、臨床疫学は個々の患者に対する検査法、診断法、治療法などの色々な診療行為の有効性や効率を評価する臨床医の意思決定を援助するために、疫学的な情報を活用しようとするものです。イェニセック M.jenicekという学者は、臨床疫学の本質的な特徴は「推論の導き方」にあるとも言っています。したがって、臨床疫学とEBMとはほとんど変らないと考えている人もいます。

 しかし、これまでの臨床疫学にはなかった何か新しいパンチ力のある視点があったからこそ、こんなにも短期間のうちに世界中に普及し定着したに相違ありません。

 EBMは次のような4つのステップを踏んだ具体的な手順によって実践することになります。

 ステップ1 目の前の患者から臨床的問題点を抽出し、定式化(キーワード)する。

 ステップ2 キーワードにより文献を検索する。

 ステップ3 文献の結論の信頼性を評価・検証する。

 ステップ4 文献の結論を実際の患者に適用してよいかどうかの判断をする。

 この手順からすぐにお分かりのように、EBMの実践は「患者にはじまり患者に帰着する」という一連の行動様式です。最初に目の前の患者から問題を引き出すには優れた臨床能力が必要です(ステップ1)し、最後に、臨床医として自らの経験を生かして文献の結論(とりもなおさずエビデンスのことです)を個々の患者に還元しなくてはなりません。このステップ4が主治医としてもっとも力量を問われるところですし、患者にとっても「よい医療」が受けられるかどうかが決まる分かれ目でもあります。

 実はEBMの手順の最終段階であるこの「適用性の判断」について、正しく理解されないために、臨床医の間で少なからぬ誤解を受けてきた感があるのです。文献の検索、信頼性の吟味というステップ2、ステップ3があまりに強調されたがため、EBMはあたかもエビデンス探しの手法で、信頼性の高いエビデンスを見つけることが目的になってしまい、いったん見つかったら、どんな患者にもそれを適用すればよいと主張しているかのように受け取られたのです。一部には医師の自由裁量権を侵すもの、医師の専門性をおとしめるものとして拒否反応すら起こす臨床家もあったほどです。

 たしかに、当初、厚生省(当時)の医療技術評価推進検討会が、「EBMの概念を広めるため、国が音頭をとって治療ガイドラインを策定する」という方針を発表したので(1999年2月)、EBMとは治療ガイドラインに基づく医療をすること、というEBMに対する本末転倒の誤解をキャンペーンすることになってしまう不幸な一幕もありました。

 結論的に言うなら、EBMの実践にはコンピュータや他の職種では取って代わることの出来ない作業が必要不可欠であって、臨床技能と臨床経験のある専門医しかできないということが大前提になっています。「白衣を着ない医者」である「ひとり言」子には、このようにEBMについての解説や論評はできても、残念ながらEBMを実践することができないのです。

 同じような誤解の一つに、EBMは専門家が作成したガイドラインを画一的に患者に適用するいわゆるマニュアル化医療であるとか、クックブック(料理本)医療である、という批判が跡を絶ちません。日本の場合、厚生省が「EBM=ガイドライン」という間違ったキャンペーンの推進者だったのですが、アメリカではマネージドケアを運営する保険会社が、それぞれ独自のガイドラインを用意して、そのガイドラインに記載されていない診療行為については、「エビデンスなし」という理由で、保険給付を認めようとはせず、経営のコストを抑制する道具に使ってきたという患者にとって有難くない実績があります。

 前にも述べたように、EBMとは、「個々の患者」に対して医学的に利用可能な最善のエビデンスを活用しようとする医療のことです。患者の臨床像の多様性・複雑性を考慮するからこそ、一人ひとりの患者の問題点について、最適のエビデンスを探す努力が必要なのです。それぞれの文献のエビデンスが目の前の患者に適用できるかどうかを検討する際にもっとも重要なのは、文献で対象とされた患者群はどのような基準で選ばれたのか、逆に、除外された患者はどういった条件を有していたか、という研究デザインやデータ処理の情報です。

 言い換えますと、目の前の患者に当てはめ可能かという視点から、文献のエビデンスを繰り返し検討する作業がEBMなのです。EBMを別名オーダーメイド医療というように、個々の患者に最適な医療を「特注」しようと努力する医療のことです。

 医療を衣料にたとえていうなら、個々の顧客の体型や好みに合わせて、一番着心地のよい服を作ることをめざす努力がEBMで、ガイドラインに基づく医療とは、それとは反対に大量生産で用意した既製服を、できるだけ多くの顧客に着せようとする努力であると言えるのです(李啓充「市場原理が医療を亡ぼす アメリカの失敗」医学書院 2004年10月刊)。

 前回ご紹介した福井次矢先生は、エビデンスの適用を厳密に判断する(ステップ4)際の具体的な検討条件として次の8項目を挙げています。

 @ 病態生理に違いはないか。目の前の患者の病状と文献で扱われている病態に相違はないか。

 A 人種差、個人差はないか。

 B 患者のコンプライアンス(指示どおりに服薬してくれるかどうかなど、患者の治療への協力度)に違いはないか。

 C 医療施設や医師の能力に違いはないか。

 D 診断・治療の有効性やリスクに影響を与える合併症はないか。

 E ベースライン・リスク(治療開始前のもともとのリスク)の程度に違いはないか。

 F 患者と家族の意向・価値観はどうか。検査や治療は患者にとって何らかの負担になっています。生活の質QOLはもちろん、患者の社会的な立場、家族内での役割などの考慮が必要です。

 G 倫理的な問題はないか。

 EBMの普及によって、皆さんが望む「よい病院」、「よいお医者さん」が増えるのではないかという予感や期待は少しは膨らんだかも知れません。しかしいざ実践となると、その大変さだけは理解できる一方で、実際に自分の主治医がそうしておられるのだろうかと、かえって疑問を持つことになった方も多いのではないでしょうか。

 次回は、EBMでいう「エビデンス」の中身をもう少し精密に吟味することにいたしましょう。

                                           (2004年12月1日)

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