ドクター塚本  白衣を着ない医者のひとり言
No.31 EBM(証拠に基づく医療)をご存じですか(その2)
EBMの発祥地はどこか
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 どこの世界にも流行があります。医学・医療の分野でも例外ではなく、EBM、つまり'Evidence-based Medicine'(証拠に基づく医療)が流行語になって急速に普及しています。今では、EB(看護、ともう一つ栄養学)、EB(歯科学)、それにEBPB(公衆衛生学)など、各専門領域で「根拠に基づく」という考え方がどんどん広がっています。また診療現場でも、個々の病気ごとに「EBMによる診断、EBMによる治療」というような使われ方(臨床の専門学会が発表している「○○病ガイドライン」というのがそれです)がされていて、まさにブームになった感じすらあります。

 それなら、EBMという考え方のなかったこれまでは、「根拠なし」に医療が行われていたのではないかという疑問が沸いてくるのも当然のことでしょう。そんなことは断じてありません。「根拠」がEBMでいうエビデンスと違っていただけのことです。

 一般に、医師が目の前の患者に対して診療を行うときに、多くの検査法や治療法の中からどれか一つを選ばなければならない場合に、次の4つの「拠りどころ」があると考えられています(福井次矢・聖路加国際病院副院長「EBM正しい治療がわかる本」法研 2003年10月刊)。

 @いわゆる教科書で学んだ医学知識、A過去の経験や症例研究報告に基づいた判断・決断、B患者個人の価値観(分かり易い例としては、末期がんの患者が濃厚な根本的治療か、ホスピスか、どちらを選ぶかはその方の価値観によるのです)、C社会的な規範・条件(倫理的な道徳、経済・法律的な条件)

 EBMでいう根拠に基づくというのは、4つのうちの2番目の過去の経験や研究報告に当たりますが、違っているのは、「それまでに世界中で発表された医学の研究論文を余すところなく検索する」ことによって、より科学的で確実性のあるデータを知っておくという点です。EBMを「科学的根拠」に基づくと丁寧に言っている人もあるのはこう言うわけです。

 ではこの流行語、EBMという言葉を世界中に普及させた生みの親は誰だったのでしょうか。カナダのオンタリオ州にあるマクマスター大学の内科医・臨床疫学者のガイアット G.Guyattがその人で、1991年に発行されたアメリカ内科学会ACPの抄録レヴュー雑誌に掲載された医学論文の中で、世界で始めてEBMという言葉を使ったのです。

 彼はこの論文(わが国の臨床疫学の草分け的存在である福井次矢先生によると、たった1頁だったそうです)で、貧血症が疑われる患者の診断を行う際に、これまで経験的に行っていた複数の検査を、とりあえずやってみてから結論(診断)を出すという「行き当たりばったり」の診断の進め方と、過去のデータに基づく診断の進め方とを比較した結果、後者の方がこれからの医療のあり方として適切ではないかというEBMの考え方を提案をします。魅力的な言葉の力もあってあっという間に世界中に普及するきっかけとなったのです。

 もともとEBMの考え方は、彼の論文より20年も前からアメリカに「臨床疫学」として存在していました。マクマスター大学には、臨床疫学教室の設立者で指導力のあるサケットD.L.Sackett教授(現・オックスフォード大学教授)がこのような考え方を推進していたので、言葉として世に出したのはガイアットでしたが、その土台は十分にできていたと言えます。現在この大学はEBMの発祥地として、毎年夏期休暇中にEBMに関するワークショップを開催し、世界各国から医学教育関係の医師らがEBMの考え方や教育方法を実地に学んでいます。

 私とは同門の後輩にあたる岡本悦司・国立保健医療科学院・経営管理室長(研究情報センター併任)も、2001年にこのワークッショプに参加したお一人で、その体験を報告しています。小グループに分かれてEBMをディスカッションを主体に実習するのですが、彼のグループのチューターになったガイアットとも親しくなって、こんなことを書いています。

 マクマスター大学自体は100年を超す歴史を誇る大学なのですが、医学部の創設は1969年で、いわゆる「新設医大」にすぎず、その点ハーバード、オックスフォードといった世界の名門大学に比べるとプレステージの面では太刀打ちできませんでした。

 そのせいか、創設時からユニークな教育手法を取り入れて、それを世界に向けて積極的にPRしてきました。EBMも全く新しい発見や手法というものではなくて、一種の社会運動のようなもで、10年足らずのうちに世界中に広まったのは、この大学の優れたプロモーション力によるところ大なのだそうです。

 ガイアットとパーティの席で、EBMとかかわるきっかけを尋ねたところ、彼はこの医大の7回生で、意外にも入学前は心理学専攻で、俺を入学させてくれるところはマクマスター大学しかなかった(医大入学のための共通試験がカナダでは必須ではないらしい)と笑っていたと言います。サケット教授の指導を受けたこととともに、「人事は偶然により決まる」という、「ひとり言」子の持論そのもののようなお話です。

 さて、医師が患者を前にして患者の抱える診療上の問題点と同じような内容について、あらゆる研究論文を洗い出して吟味するなどということは、つい最近までそんなに簡単なことではなかったはずです。EBMの実践を可能にした理由として、福井先生は次の2つの条件を挙げておられます。

 @ 世界中で医学雑誌に発表される研究論文は、年間、何十万篇にも達しています

 が、これら膨大な論文がコンピュータ上のデータベースとして整備され、インターネットでアクセス可能となり、そして一般の医師が高性能のパソコンを駆使できるという、現在のような情報化社会になって、短時間のうちに検索して読むことができるようになったこと。

 A かつては実験室での動物実験レベルで、抗がん剤など数多くの新薬の開発研究が行われ、それらの論文数も枚挙に暇がないほどでした。しかし患者を対象にして投薬後の生存期間や生活の質QOLを調査研究する、「臨床研究」は必ずしも多くなかったのです。ようやくここ数十年間に(日本ではかなり遅れましたが)臨床研究の数は大幅に増えて、データが蓄積されるようになりました。そして患者を無作為(ランダム)に何群かに分けて、各群で異なる治療を行ってその効果を比較する、科学的でより厳密な研究法によって信頼性の高い結果が得られるようになり、この方が誤りが少ないことが明らかになってきました。

 一言で言うなら、患者にとってより正しい情報を提供する科学的な方法に基づく研究が多数行われ、その研究結果を医学情報として整備できるコンピュータ技術の発展に支えられて、初めてEBMの実践が可能になったと言えます。

 かつて高橋晄正先生が、当時の医学界の権威者に屈することなく鋭く批判された「三た論法」が、今ではとっくに幅を利かす時代ではなくなったのです。大変残念なことながら、前回高橋先生のことをご紹介した直後の今月初め、心筋梗塞でお亡くなったことを新聞の死亡記事欄で知りました。自転車で走っておられときに「発作」を起こされての急死だったと、仄聞しております。心から先生のご冥福をお祈りいたします。

 最後にもうひと言だけ追加しますと、世界中の各国政府の健康・医療政策に大きな影響を与えた考え方の発信基地も、やはりカナダだったことを記憶にとどめておいて欲しいのです。それは1970年代に、カナダのラロンド M.LaLondeという学者が、ライフスタイル(取りも直さず生活習慣のことを指します)は、遺伝子、環境の2つの要因と並んで、健康増進、ひいては長寿社会の実現に不可欠のものだと提唱したことです。今日厚生労働省が展開している「健康日本21」という政策も、EBMと同様その起源はカナダからなのです。

 次回からは、いよいよEBMについ実際の手順を解説してゆくことにいたします。

                                           (2004年11月17日)

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