ドクター塚本  白衣を着ない医者のひとり言
No.25 「健康病」という健康論
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写真は吉田基義さんの作品
 世はまさに「健康ブーム」のさなかです。新聞、放送などの巨大メディアには、健康、ヘルス(ヘルシー)という文字や言葉が溢れかえっています。健康・医療の常設記事のない新聞はありませんし、健康・医療番組のないテレビやラジオもありません。

 私は購読していませんが、「健康雑誌」も花盛りです。新聞の広告ページで見るだけでも、健康の保持・増進のためのさまざまな手法がこれでもかこれでもかと紹介されています。最近では下火になったジョギング熱に替わって、ウォーキング、筋肉トレーニング、健康器具、数えられないくらいのダイエット法、健康栄養食品、サプリメント、ドリンク剤、健康飲料等々のオンパレードです。なかには「飲尿法」というのもあって驚いたこともありました。

 当然のことながら、健康ブームを当て込んだ企業化も盛んです。先ごろ、高額納税者番付の上位にランクされたのが、健康食品会社の社長だったことも記憶に新たなところです。

 このように私たちは、毎日、「より健康に」、「もっと健康に」と急き立てられているのではないでしょうか。しかも、現在、世界最長寿国を誇るわが国にあってのことです。(先月、厚生労働省から発表された「平成15年簡易生命表」で、日本人の平均寿命は男女ともに過去最高を更新して、男78.36年、女85.33年でした。なお、男はアイスランド(78.7歳)、香港(78.6歳)に次いで3位にランクされていましたが、アイスランドの全人口は28万人に過ぎませんので、実質2位と見てよいでしょう)

 どこか変だとお気付きにはなりませんか。

 常軌を逸したこの健康ブームにいち早く取り組まれた上杉正幸・香川大学教育学部教授(「健康病 健康社会はわれわれを不幸にする」「新書y」洋泉社、2002年12月刊)と、医師出身(元・聖マリアンナ医大・神経内科助教授)の作家米山公啓(「健康という病」集英社新書、2000年6月刊)のお二人にご登場願うことにしましょう。

 まず上杉は、厚生省「平成8年保健福祉動向調査」のなかの健康意識の調査結果から、日本人が自分の健康状態をどのようにみているかに着目します。

 現在の健康状態が「よい」と思っている人は20%、「まあよい」と思っている人は18%、「ふつう」と思っている人は44%であり、合わせると82%の人が「自分は健康である」と思っていることになります。一方、「あまりよくない」と思っている人は14%、「よくない」と思っている人は3%に過ぎません。(このあとの厚生労働省「平成12年保健福祉動向調査」の結果でもこれらの数字は大きく変っていないことを付け加えておきます)

 自分は健康だと意識している人が8割以上もいるにもかかわらず、なぜ現代人は健康に大きな関心を持ち、また、経済的にも中進国でむしろ不健康な状態におかれていた戦前と比べて、いま人々の健康問題がこれほどまでに社会的な問題になるのだろうか、というのが上杉の健康論の糸口になっています。健康な人がこれほど多い社会では、一般には人々が健康に対して払う関心は低いのが普通のはずですが、現代社会の状況は逆になっています。彼は「健康社会のパラドックス」だと決め付けています。

 同じ意識調査の結果を引用して、性・年齢別にみた「自分は健康である」と思っている人の割合は、10歳代の93%から70歳以上の58%(男)、56%(女)まで加齢とともに減少してゆきますが、歳をとれば身体のあちこちに不具合が生じてきて、健康状態が悪くなるのは当然ですし、「ヒトはいつか老化して健康を害する」という自明のことを現代の日本人は忘れようとしているとも指摘しています。健康をもっとも大切と考え、健康に留意した生活を送ろうとする意識の背後に、加齢とともに身体が老化してゆくことへの不安が根強くあって、「ヒトはいつか老化し、健康を害する」という自明の身体的変化への果かない抵抗をしているのではないでしょうか。

 つづけて上杉は、現代人は病気も含めて異常のない状態を健康と考え、異常のない身体や精神を持ちたいと願うという健康観が一般的で、この健康観に基づいて健康を求めようとすると、たえず異常なものを消去しよういう意識が強くなると言います。

 ところが異常とは何ぞやとなると、実は普遍的な基準はなく、「絶対的な異常」は存在しないことから、必ず恣意的で気まぐれな価値判断が必要となるとも言うのです。正常か異常かが恣意的にしか決められないとなると、なぜそれが異常なのかを考えることよりも、誰がそれを異常と考えるのかという問題が生じているのです。皆さんは「コレステロールの基準値」がどんどん変っていること、しかも権威ある学会の専門家によって作成されたガイドラインなるものが一人歩きしてきたことは、先刻ご存じのはずです(コレステロールと上手に付き合う法(7)、(8)をご参照)。

 米山も、われわれは「早期発見、早期治療」がもっとも重要であると、長年教育されてきたし、そのような医療システムや流れが完全に出来上がってしまった今、ともすれば冷静で科学的な目が失われているのではないか、と疑問を投げかけている一人です。

 彼は、医学上は65歳以上の血液検査の正常値は存在しない(したがって異常値も決まらないことになります)し、20歳から60歳くらいまでの「健康」な人から得られた正常値と高齢者とを比較しているのが現状であると指摘しています。

 米山が前記の著書のなかで、読者に問いかけている次の5つの、どれが正解かを選べという質問に皆さんは正解が出せますか。一見、すべて本当らしく思えるので、トライしてみてください。

 (1)人間ドック受診者は長生きしている。

 (2)肺がん検診は、肺がん予防に役立つ。

 (3)検診によって病気の早期発見ができ、医療費を軽減できる。

 (4)人間ドック受診者の8割以上になんらかの異常が見つかる。

 (5)検診により生活習慣病(成人病)が減っている。

 米山の正解を種明かしする前に、「早期発見、早期治療」が正しいという考え方が普及してしまった結果、早く悪いところを見つけなければ不安で仕方がないというのが現状ではないでしょうか。自覚症状が出たときにはすでに治療は困難で、手遅れになることが多いと考えるのですから不安が増すのが当然です。早期発見のための検査は、自覚症状のない、つまり健康だと思っている人を対象にしなければならないし、その健康と思っている人の体内で徐々に進行中の異常が潜んでいることを前提に行われているのです。

 しかも、医学の進歩によって、より精度の高い検査機器が次々に開発され、ますます検査は綿密に行われるようになって、今まで発見が容易でなかった所見も見つかるようになります。「早期発見、早期治療」対策の行き着くところ、健康な人のなかにどんどん病気や異常が見つかるので、ついには健康な人は一人もいなくなってしまうという逆説的な状況を招いてしまいます。

 この春以来、平素の運動不足のツケが廻ってきて老化現象としか言いようのないアキレス腱滑液包炎に悩まされた私は、友人の所長がいるというご縁で、有名な某人間ドックを受診して、初めて胸部と腹部の「ヘリカルCT」の検査を受けました。結果説明のときに、彼いわく、「この画像診断の検査では、何でもキレイに見えすぎて困ってしまいます。」と苦笑いされたのが印象的でした。

 こうなると人間ドックも、上杉の言う、「健康不安再生装置」になってしまいます。人々は健康への不安を払いのけるために健康の証明を求めて人間ドックを受診したはずです。しかし、人間ドックでは決して「健康である」という証明を出してくれないどころか、むしろ、人間ドックは人々が自分が健康かどうかわからないことを再認識させられ、受診することによって逆に不安を助長するきらいさえあります。 そして、人間ドックや健康診断は、人々を健康づくりへと突き動かす装置にもなっていて、受診しても健康かどうかわからないとなると、受診した人々はいっそう健康に気をつけて暮さねばならなくなります。ここにも上杉の言うパラドックスがあります。

 さて、最後に米山の質問の正解は、(4)だけでした。私流に簡単に解説しますと、(1)についてのキチンとしたデータがありません。むしろ、健康に大きな問題を抱えていない人の方が、沢山受診しているとも考えられますので、調査をすると結果的に受診者集団の方が長生きしているかも知れません。(2)の肺がん検診については、米国のメイヨークリニックでの「無作為割付比較RCT」研究により、その有効性が否定されています。(3)の医療費削減については、むしろ異常発見率が上がると、直ちに患者として治療へ持って行きたがる医療機関の方が多く、病院の収入増加に直結することになります。(5)の生活習慣病は、老化そのものである動脈硬化による病気が減少するとは到底考えられないし、早期発見が進むほど病気は増えてしまいます。したがって、(4)だけが正解ということになります。皆さんはいかがでしたか。

 ここにご紹介した「健康病」とか「健康という病」という新たな健康論も、なかなか奥が深くて、イマイチあきたらない向きには、ぜひともお二人の原著書をお読みくださるようお勧めします。

                                           (2004年8月18日)

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