ドクター塚本  白衣を着ない医者のひとり言
No.20 コレステロールと上手に付き合う法(5)
「フラミンガム・スタディ」の強烈なインパクト
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 今回は、コレステロール悪役説の決定的な根拠となった「フラミンガム・スタディ」のことをお話しましょう。小町チームの研究成果も、当初は、日本の医学界で受け入れられなかったと前回申しましたが、実は、小町らの研究には立派なお手本がありました。それがアメリカで開発されたフラミンガム・スタディだったのです。また、以前取り上げたことのある、勝木らの「久山町研究」のお手本でもあったのです。

 フラミンガム Framingham というのは、米国マサチューセッツ州ボストンの都心から30数キロ西にあるベッドタウンで、元を質せば17世紀末に英国サフォーク郡 Framlingham から入植した先祖に因んで命名された由緒ある町です(よく似ていますがエルが取れていることにご注目ください)。私は、1970年に初めてアメリカ出張をさせてもらったとき、マサチューセッツ・ターンパイク(有料高速道路)を通ってタングルウッド音楽会へ行く途中のバスの車窓からこの町を眺めて、何とも特徴のない平凡な住宅地だなという印象をもったことを思い出します。疫学者に圧倒的インパクトを与えたフラミンガム・スタディのことが頭から離れずにいて、拍子抜けしたせいかも知れません。

 フラミンガム(ハート)スタディは、1948年に米国立心臓研究所(現在の国立心臓、肺、血液研究所の前身)の指導により着手された国家的プロジェクトで、20世紀の初頭から着実に増加しつづけ、当時のトップ死因であった循環器疾患、なかでも虚血性心疾患の発症因子を明らかにし、その予防対策を確立することを目的にしたものです。プロジェクトのスタート以来、すでに56年を経過する現在でもなお研究は継続中であり(1971年以降はボストン大学との共同研究の形をとるようになり、子の世代、孫の世代を対象に加えながらですが)、主要な医学雑誌に発表された論文数は何と1200編にも達しています。毎年新たな研究成果が公表されてきましたので、今年はどんなトピックスが飛び出すかと世界中が関心を持つようになったくらいです。大変息の長い、アメリカの実力を如何なく発揮してきた、まさに世界的な大プロジェクト研究と言っても過言ではありません。

 言うまでもなく、この研究が循環器疾患、とくに虚血性心疾患の疫学研究に与えた影響は計り知れないくらい大きいものです。アメリカはもちろん、それ以後の世界中の循環器疾患の疫学調査のモデルとなっただけでなく、研究成果がその後の循環器疾患の予防対策の新たな指針として重要視されるようになります。しかし、行き過ぎはどんなことにでも起こります。今ではこの研究だけが唯一の真実だとしたり、有名になり過ぎた研究成果の呪縛から開放されずに、「祭り上げ」られているのではないかと危惧しているのは私だけではないはずです。

 こんな大研究をひと言で説明することは至難のわざですが、幸い、古川俊之・国立大阪病院名誉院長(元東大教授)らが、研究の特徴点を4点にしぼって解説されていますので、それをご紹介することにします。

(1)第1点は、この研究が虚血性心疾患について事実上最初に着手された、大規模な「前向き」のコホート調査であるという点です。それまでの心疾患疫学調査は、「後ろ向き」調査か横断的な調査方法がほとんどで、対象者もごく限定されたものでした。本研究では、フラミンガム在住の30〜59歳の男女白人のうち5127人(住民の約3分の2に当たる)の健常者を無作為に選び出し、これらの対象者について、2年に1回の割合で血圧、血清総コレステロール、心電図などの検査を実施して(町なかのユニオン病院の一角に専用の検査施設を付設して受診の便を図ったうえで)、その後の虚血性心疾患の発症を追跡フォローアップするという調査方法を採用しています。

 今でこそ当たり前になったこの大規模な前向き調査(コホート調査、追跡調査はいずれも同義語です)も、当時としては画期的なものでした。この方法を採用することによって、初めて虚血性心疾患の発症率を高める個体要因、すなわち危険因子 risk factor を厳密な手法で分析可能にしたのでした。

(2)第2点は、得られた調査データから虚血性心疾患の危険因子を検出し、その寄与度合いを定量的に把握するために「多変量解析」の手法が考案され、それが初めて適用されたことです。コンピュータ時代になっていたからこそできたと言ってもよいでしょう。それまでは、疾患発症についての危険因子を評価するには、重分割表による検定法を用いるのが普通だったのですが、これでは循環器疾患のように多数の要因が複雑に関与している場合には、分割すべき細目(マスメ)数が極めて多くなってしまって(例えば、性別、年齢別、血圧値別、コレステロール値別、心電図所見別の5項目だけを考えても、それぞれの項目ごとに同じデータを揃えたグループを作るために大変な数のマスメを用意しなくてはなりません)、危険因子の検出力を保証するには、標本数がいくらあっても足りなくなります。

 多変量解析の手法(フラミンガム・スタディでは、最初、多重ロジスティック分析が用いられました)は、比較的少数の標本で多数の要因の危険因子としての重要性を同時に定量的に評価できるという利点があります。

 この研究技法の与えた波及効果はきわめて大きく、以後の循環器疾患の疫学的調査のほとんどがこれに右へ倣えをすることになります。小町らの秋田研究、勝木らの久山町研究も例外ではなかったのです。

(3)第3点は、虚血性心疾患の発症危険因子としての血清総コレステロール値の評価を決定付けるのに果たした大きな役割です。スタートから7年後から始まった多変量解析の結果、まず、喫煙習慣が、ついで1961年には血圧値、心電図所見とともにコレステロールが危険因子として確定される論文が、当時のカネル研究局長らによって発表されました。つづいて、1986年からはHDLコレステロールの測定法が開発され、従来の総コレステロール値から一歩進んで、リポたんぱくの表現形での危険因子の評価が行われ、HDLコレステロールが虚血性心疾患の防御因子であることも明らかにされました(1988年)ので、この研究プロジェクトはますます声価を高めることになります。

(4)第4点は、フラミンガム・スタディが与えた虚血性心疾患の予防活動に与えた影響の大きさです。米国では地域、職域において、この研究成果に基づき高脂肪食の制限はもちろん、血圧スクリーン、禁煙キャンペーンなど、虚血性心疾患の一次予防の運動が国民的規模で展開されるようになったことです。

 実際、その後の米国民のコレステロール値レベルは1970年代、80年代、90年代と年を追って低下して行きますし、虚血性心疾患死亡率は減少の一途を辿っています(もちろん、わが国のそれとは比較にならぬほど高いのですが)。

 これら4つの特徴点のなかでも、「危険因子」という非感染性慢性疾患に対する当時としては画期的な新しい病因論を提案した功績は極めて大きいのです。つまり、感染症のように病因と発症を単純な因果関係として捉えるのではなく、「健常人」と「患者」という二元論から脱却して、健常人を疾病発症に連なる連続量のリスクを抱えた集団として捉えることによって、感染症とは違った予防対策を提案することができたのです。

 しかし良いことづくめではないのです。コレステロールに関して言うならば、米国はもとより世界中の製薬会社は、血清コレステロール低下剤の開発に鎬を削るのですが、それは「失敗の歴史」だったとも言えるくらいですし、栄養指導も必ずしも成功を収めてはいないというのが現状なのです。

                                          (2004年6月2日)

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