ドクター塚本  白衣を着ない医者のひとり言
No.2 私流の「健康感」とは
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 残暑お見舞い申し上げます。

 明和会の皆さん、お元気ですか。おかげで私も元気です。

 この常套句のとおり私は、いまのところ元気に暮らしており、私流に自己診断して「健康」だと思っております。腺病質とかいわれた病弱な子供時代を振り返ると、大病で入院したり手術を受けたりすることもなく、よくぞ今まで生きてこられたものと信じられないほど幸せだと思っています。

 少し長距離ドライブして猛スピードで走行しているときなど、70歳を超した人間が自動車を運転するなど考えてもみなかったことだと妙に感心しています。70歳は古希どころか「近溢」(堺屋太一)になったいま、超元気なシニアが大勢おられますからこんな感じをもつのは私だけではないでしょう。

 さて、私にとっての健康とは、厳密な定義は教科書や辞書に譲ることにして、毎日、くよくよしないで楽しんで生きていることだと思っています。3食ともに(朝食抜きの健康法を提唱された元・労働科学研究所長の説には従っていません。)胃や腸のことを意識せずになんでも美味しく(中味についても何ら制限しないで)食べることができ、深酒は避けていますがお酒も毎晩かかさずに楽しみ、もともとタバコはやらず気管や肺のことを気にしないでイキをしており、排泄も小便はちょっと細くなったものの大便も一日一行キチンとあります。睡眠も十分とれています。腰痛はときどきおこりますが、まず体を動かすのに不自由はありませんし、肩こりや頭痛も知りません。つまり、快食、快便、快眠の毎日で、心も身体も「主観的」には苦痛知らずに、愉快に生きています。

 一方、客観的に科学的で測定可能とされる健康診断も定期的にキチンと受診し、これまた、いままでのところ、検査成績はほとんどが「A ランク」となっています。この「健康評価」が曲者で、一日一日、老化は進んでおりますし、不都合な自覚症状がないだけで、通り一遍の検査だけでは、身体のどこかに病的な異常が潜んでいないという保証は全くないので、「老、病、死」の不安がつきまといます。

 私は、客観的だという西洋医学的な健康よりも、主観的で明治以前からの「養生」の方を大事に思っています。健康というと、栄養、運動、休養の3つを抜きには語れないと言います。

 私は、このなかの運動が大の苦手です。体が硬くて胡座ひとつ上手に組むことができません。ましてスポーツと名のつくものは一切できませんし、やったことがありません。リタイア後、がんばって最寄りの体育館で少し指導を受けて筋力トレーニングをやってみました。しかし周りを見回して格好のよい筋骨隆々の方々を見るともうダメです。血圧が上がってしまうし(緊張するためです)、無理をするせいか筋肉痛が出てきたり、治まっていた腰痛が悪化するし、指導された運動メニューではあまり汗もかきません。

 いまは、体育館通いをやめにして市内の用事はできるだけ徒歩か自転車で行動する、屋内の掃除(電気掃除機と雑巾がけ)、自動車の洗車、ワックスかけで汗を流すという「運動」をすることにしています。ごく日常的な生活に使っている筋肉の老化防止には役立っているし、家族からも喜ばれ、一石二鳥の運動だと思っています。運動嫌いで長寿を達成できれば言うことなし、とひとり言しています。

 それにしても、健康に関する情報の氾濫ぶりはどうでしょう。健康雑誌、健康本は書店に山積みです(ダイエット本など何種類出たかわかりません)。テレビ、ラジオの健康番組からも、これでもかこれでもかというほど情報がたれ流しにされています。

 健康法も次々と現れては消えてゆくものがいかに多いか実感しておられると思います。「一億総白痴化」、「駅弁大学」で有名な社会評論家、大宅壮一が「こんにゃくダイエット」で死期を早めたという「伝説」があるくらいです。これが本当なら、まさに健康を追求するあまり、不健康になったということになります。万人に一律に効果のある健康法など、個々人のDNA(これも流行語になった感があります)が異なっている以上、理論的に有り得ないからです。

 では健康強迫症ともいえる現在の風潮にどう対処すればよいのか、ということになります。有名な300年前の儒者、貝原益軒は当時としては84歳までの長寿者でしたが、死の直前、83歳のときに著したベストセラー「養生訓」が参考になります。松田道雄によると、この本は自らの長年にわたる体験に根ざした幸福な老人の健康論であり、切り売り原稿の集積に過ぎず、何かあったら専門家に相談しろという、医者依存を説く現在の家庭医学書とは違って、自分のからだのことは自分で決めるという「自己決定権」を説いた信念で貫かれているといいます。

 私が、十人十色の健康法をお勧めする根拠がここにあります。

 次回は、氾濫する健康情報の見分け方を取り上げてみましょう。

                                                (2003年8月9日)

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