ドクター塚本 白衣を着ない医者のひとり言 | ||||||
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紅葉前線が南下中で、めっきり秋も深まりました。運動・体育の秋、芸術・文化の秋、のはずですが、無趣味人間の私にとってはせいぜい食欲の秋と読書の秋を楽しむしか能がありません。 まず有難いことに食欲はあって、三度三度のめしは美味しいものの、年を追って食が細くなり、たくさん食べられなくなりました。アルコールの方も意地汚く、夕食にはまず欠かせないのですが、酒量は大幅にダウンしています。全身の新陳代謝が減少し、肝臓のアルコール処理能力の低下が原因でしょう。 でも昔ほど「人見知り」をしなくなり、お声を掛けて頂くと何処へでもノコノコ出掛けて行くくらいの元気さはあり、ほどほどの社交性は身につけています。先月もほぼ50年前の勤務地、山口市へ出向き、20人の昔のお仲間と旧交を温めたり、101歳になられる下宿先の奥さんをお訪ねして喜んでいただいたり、瀬戸内海の素晴らしい夕日を眺めながら「車海老」料理に舌鼓を打って、日本人でよかったと実感してきました。命の洗濯とはこのようなことだろうと一人で悦に入っています。 さて、今年になってから私が親しくしていただいていた方々が相次いで亡くなられました。会社の先輩、同僚あり、同窓同門の尊敬する研究者、高校の同期生、さらに血縁の最長老等々、例年にはない急増です。そのほか、身近かに老老介護の実例も見聞きするようになりました。先日も集まった10人の同期生のうち、すでに配偶者を亡くした人が3人、夫、妻をそれぞれ介護している人が2人、つまり夫婦揃って元気なのは半分でした。 もちろん、これまで死について何も考えなかったというのではありません。人間が必ず死ぬことは十分承知しています。しかし、直近の簡易生命表で自分の平均余命が10.1年だということも知っていて、今すぐ死が訪れるという差し迫った思いはありません。自分の葬式、墓のことなど考えるのを先送りしていますし、その証拠に遺言なども書いておりません。まあ遺産相続で揉めるほどの資産もない身だからかも知れません。それに何時、どのような死因で死ぬかは、私自身はもとより誰にも分からないからこそ先送りしてしまうのでしょう。 自分では白衣を着ない医者を自称して、臨床の現場を知らず、患者を診ないで手を汚さない医者を通して来ました。しかし疫学を少しは勉強し、予防医学を専門にしようと志した身です。毎年2回の健診を受け、日々の食事はもとより生活習慣には十分気を配っているつもりです。虚弱児童と言われたこともあったせいか、無理をしないという生活信条の持ち主でもあります。そうだからと言ってがんに罹らないわけではなく、脳卒中や心筋梗塞で倒れない、さらには難病にならないという保証もありません。リスクファクターの知識は持っていますが、発病するかどうかは確率的現象でしかありません。結果として平均余命まで生きられるか、もっと長寿者になれるのか、これまたまったくの確率で論じるしかない世界です。これが疫学のアキレス腱ではないでしょうか。 すでに一家を構える娘が二人おります。彼女らが誕生した際、男の子でないのでちょっとがっかりした鮮明な記憶があります。でも自分自身が親不幸でちゃんとした介護も看取りもしなかったことを後悔していますので、今では娘で良かったと心底思っています。これまた、彼女らが妻と一緒に自分の老後の面倒は見てくれるという思い込みがあってのことです。「終の住処」をどうするかも決めていません。しかも元々優柔不断な性格のうえ、年々判断力も決断力も鈍る一方です。二人の娘からは元気のうちに「老後の備え」はちゃんとやっておかないと、要介護になってからでは遅いですよと、釘をさされています。予防屋を自認する身にとっては耳が痛い話なのです。 具体的には戸建の家に住んでいますが寒さ対策をしたり、段差なしにリフォームしようか、日常生活はもちろん医療機関へのアクセスも便利な都心のマンションに住み替えるべきか、迷ってしまいます。ちょっと遅すぎるかも知れませんが、私にとっての喜寿は、老後の備えに真剣に取りくむ格好の契機になるかも知れません。 「ひとり言」の連載も切り目よく今回で150回となりました。マンネリ傾向打破のためにもしばらくお休みをいただいて、少し形を替えて再開できる日をご期待下さい。編集委員各位はもとよりお付き合いいただいた皆さんに心からお礼を申し上げます。 (2009年10月14日) |
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