ドクター塚本  白衣を着ない医者のひとり言
No.15 企業経営者の寿命と死因
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 前回は、新聞の死亡記事によって日本人の死因の流行を「研究」することができることをご紹介しました。これに関連して、30年以上も前のことを思い出すのですが、同じく死亡記事から当時の財界人や外交官には心臓病で亡くなられる方が多いのに着目して、食生活などの生活習慣が欧米化している人たちには虚血性心臓病が増えており、追っつけ国民全体もそうなるのではないかと警告された優れた循環器疾患の専門医がおられました。

 誰あろう、92歳になられる現在も現場の臨床医だけではなく、大病院の経営者として、講演、執筆活動はもちろん、矢継ぎ早に海外旅行(昨年末のボストン、今年2月のハワイなど)もこなし、まさに超人的なヴァイタリティをお持ちの日野原重明・聖路加国際病院理事長その人です。

 先生は、2000年から65歳以上を老人とする定義を75歳以上に引き上げ、75歳以上の老人を「新老人」と呼び、この人々に社会の力になってもらおうとする運動を実践しておられる、時の人でもあります。

 しかし、どんなエライ人でも将来予測をすることの難しさは変わらないと言ってもよいのです。当時、彼が主張された日本人の心臓病増加説はすでに結果論として間違いだったことが証明されています。

 一般的に新聞の死亡記事欄に掲載されるようないわゆる有名人の死因が一般国民を先取りすることは十分理解ができるところですし、それどころか私は、生命保険の被保険者集団も一般国民を先取りしていると考えている一人です。

 また、職業別の寿命(年齢別死亡率そのものであると繰り返しお話してきました)の研究資料(古典的な「職業研究」と呼ばれています)についても、以前は生命保険会社の独壇場だったのです。

 その代表はアメリカのメトロポリタン生命です。ついでに申しますと、私が明治生命に入社した頃には、この会社は名実ともに世界一の生命保険会社でしたが、1976年に私がニューヨークの本社を訪問したとき、当時のエントマーカー医長は日本の生命保険会社に保有契約高を追い越されたと知った時に自分は椅子から転げ落ちるほどのショックを受けたと、ジョークを飛ばしたくらいですから、すでに首位の座を落ちてからかなりの年月が経過しています。

 この会社が発行していた月刊の「Statistical Bulletin 統計紀要」は小冊子ながら学術的にも高い評価を受けていました。さすがに寿命学の泰斗、ダブリンを生んだ会社だけに息の長い寿命の研究資料が沢山掲載されていて随分参考にさせてもらいました。アメリカ大統領の寿命比較は有名ですし、その他にも国会議員、州知事、内閣閣僚、最高裁判事、ニューヨーク州議員、企業重役等々の寿命研究があって枚挙に暇がないほどです。これまた余談ですが、残念ながらこの雑誌は廃刊になってしまいました。

 さて、これらの研究に刺激されて三原通・取締役医務部長(当時)とご一緒に、1964(昭和39)年1月1日現在の三菱系企業の現職の取締役、監査役以上の役員を対象にして、その後ちょうど10年間の生死確認調査を行いました。

 調査方法の詳細は原著論文(日本保険医学雑誌73巻、1975年)に譲ることにして、観察開始時点の総調査数は66社の1001件(10年間の生死が確認できたものだけで判明率は89%です)で、生命表方式による延べ観察数は9405件、死亡数は160件でした。

 その死亡状況は、当時の第13回国民生命表(1970年)との対比で死亡指数58.2%と、一般国民の死亡率の6割にも達しないレベルだったので、予想通りかなり良好な死亡率でした。

 問題の死因については、1970年の人口動態統計の死因別死亡率対比で、がんと心臓病がそれぞれ91%、101%で国民とほぼ同程度であったのと対照的に、脳血管疾患や不慮の事故は、29%、28%といずれも大幅に低いレベルでした。心臓病死亡が決して多くなかったことにご注目願いたいのです。

 さらに、5歳階級別の死亡率を用いてこの集団の55歳、60歳、65歳の平均余命を計算してみると、それぞれ25.4年、21.1年、17.1年で、当時の国民生命表のそれと比較すると、それぞれ5.6年、5.2年、4.6年も延長していました。企業経営者が一般国民よりも長寿であることは言うまでもないのですが、死因分析の結果、脳血管疾患や不慮の事故の低死亡率が大いに貢献していることが明らかになりました。

 ちょうどわが国の経済が高度成長期にあたっていた時期のことですから、彼らが日常、相当の激務に従事していたことは想像に難くないのですが、それをカバーして余りある高水準の生活環境、ひいては食生活を含めた良好な健康管理の状況下にあったがために低死亡率、長寿命を示したものと考えられます。

 一方、メトロポリタン生命の企業役員研究では、死因分析が行われてはいないものの、一般国民と比較して、63%〜71%の死亡指数でやはり良好な死亡状況でした。その理由として、もともと彼らは責任ある地位に着くだけの身体的、精神的適応性がある(今風に言えば、良いDNAの持ち主でしょう)うえに、ストレスの多い状況下にあっても、つねに仕事への生き甲斐・満足感があるのでストレスを解消することができるのではないかと説明しています。

 生命保険の経営環境が一段と厳しさを増している現在、こんな暇な研究に付き合っておれないと批判の声も聞かれそうです。しかし、こんな時期だからこそ、カミとエンピツとパソコンを使って、何か疑問に思っていることの謎解きに挑戦しようとすれば、疫学的な研究材料はどこにでも転がっていることを強調したいためにご披露した次第です。と言っても、私たちの調査には、日野耕三・秘書課長(当時)、藤沢成昌・索引課長(当時)はじめ三菱系各社の秘書役各位のご協力なくしてはとても日の目を見ることはできなかったのです。改めて厚く感謝の意を表したいと思います。

                                          (2004年3月17日)

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