ドクター塚本  白衣を着ない医者のひとり言
No.146 自殺予防対策を考える(1)
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 「年間の自殺者数が過去最悪のペース」という見出しで7月28日付朝刊各紙が報じたのは、警察庁が公表した今年1月〜6月まで半年間の「自殺統計」のことです。この半年間の自殺者数は1万7076人で、前年同期よりも768人(+4.7%)も増えています。すでに1998(平成10)年以降昨年まで連続して毎年3万人を超えていますので、この分だと「12年間連続」という芳しくない新記録になることが確実です。
 この報道の直後の8月1日、秋田市で記者会見した社民党の福島瑞穂党首がTPOよろしく「自殺対策の提言」を発表しました。自殺多発県の秋田ですし(bW7ご参照)、8月総選挙のマニフェストとも関連があるからです。テーマが暗くて地味なだけにとても選挙のキャッチフレーズにはならないのではと要らざる心配をしています。しかしわが国の自殺対策は、ヨーロッパ先進国に比べると大きく後れていますので間違いなく喫緊の重要課題なのです。

 まずは、対策に入る前に自殺の実態把握のために自殺の記述疫学から始めることにしましょう。
  毎年発表される自殺の全国統計には2種類あります。@ 厚生労働省「人口動態統計」と A 警察庁「自殺統計」です。よく知られていることですが、@ の数字のほうが、A のそれよりも、例年1000〜2000人ほど少ないのです。この違いを、「自殺対策白書 平成20年版」(内閣府)は次のように説明しています。

ア. @ は日本人だけを対象にしているのに、A は日本における外国人も含む(調査対象の差異)、イ. @ が住所地であるのに対して、A は発見地を基にしている、ウ. @ は死亡診断書で自殺、他殺あるいは事故死のいずれか不明のときは自殺と計上しないが、A は警察の捜査等によって死亡した理由が自殺と判明した時点で自殺統計原票を作成して計上している。

お役所の説明より、精神科医で自殺問題の専門家、高橋祥友教授(防衛医科大学校・行動科学部門)の方がよほど分かりやすくその違いを説明しています。
 つまり、家族をよく知っているかかりつけの医師が、死亡診断書に「自殺」と明記するのを避けようとする傾向があるからだろうと言うのです。たとえば、実際には高所からの飛び降り自殺を「頭部外傷」による死亡、あるいは薬物の多量服用による自殺を「急性薬物中毒」死などと記載して、「自殺」とは記載しないことがままあるのです。一方警察も交通事故に偽装した自殺はなかなか正確に把握できずに、「事故死」として処理しているために警察庁の報告数字でも、実数よりも少ないと推測されています。

 ここで戦後の男女を合算した全体の自殺死亡率(人口10万人対)の推移を概観すると、次の3つの山が形成されていることが分かります。

 第1の山は、昭和30〜33年の4年間(人口10万対25前後)、第2の山は、昭和58〜61年の4年間(同21前後)、最後の山は、平成10年からで高原状に高い水準(同25前後)のまま現在に至っています。山と山の間は概ね15〜18の水準で落ち着いています。
 男女別では、男性では全体で見たのと同じ時期に3つの山を形成していますが、死亡率はそれぞれ、30、28、35前後で一段と高くなっています。対する女性の方は、昭和33年をピーク(20.8)とする山を形成した後はほぼ横ばいで推移していて対照的です。
 この間の人口の年齢構成の変化を考慮した例の年齢調整死亡率(基準人口は昭和60年人口モデル)でみると、3つの山は同じ時期に形成されていますが、男女ともに昭和60年を境に、自殺の粗死亡率と年齢調整死亡率の逆転が起こっています。つまり昭和60年以降は少子高齢化の進展によって見かけ上粗死亡率の方が年齢調整死亡率より高くなっているのです。年齢調整死亡率でみるかぎり、現在の山も昭和30年前半の水準より低いというのは、意外に思われるかもしれません。

 年齢別の自殺死亡率には世界的に共通した傾向があって、社会変動の激しい地域では若年層の男性と、先進国では高齢者が高い死亡率を示すことが分かっています。戦後から昭和30年代までは、わが国でも20歳代の若者と高齢者の自殺死亡率が高かったのですが、最近では、若者の自殺率のピークがはっきりしなくなり、年齢とともにゆるやかな上昇を示すに留まっているのに対して、働き盛りの男性中高年層(40〜50歳代)で大きなピークを認めるパターンに変わってきています。これが現在のわが国の自殺の特徴にもなっています。その原因について、高橋教授は、@ 長期にわたる不況の影響、A 中年危機の世代(うつ病の好発年齢でもあります)を不況が直撃した、B 組織に自己を同一化させる最後の世代、C 他の年代に比して精神的な問題を相談することや、精神科受診に対する抵抗感が強い、などが複雑に絡み合って、自殺が急増したと説明しています。また彼は、総務省統計局や警察庁の統計から自殺死亡率と完全失業率の年次推移がキレイに相関していることも明らかにしています。

 すでに見てきたように自殺の性差は歴然としていて、2007年の人口動態統計では、自殺の男女比は2.7対1となっています。これまた世界的な傾向なのです。うつ病が自殺と密接に関連していることはよく知られていますし、うつ病の有病率は女性の方が高いので、自殺死亡率も女性が高くてよいはずなのに実際にははるかに男性の方が高いのです。この理由については次のような仮説があるそうです(高橋教授による)。

  @ 問題解決の場面で男性は敵対的、衝動的、行動的な行動に及ぶ傾向が強いのに対して、女性は衝動性をコントロールする能力に優れている。
 A 自殺を図ろうとする際、男性はより危険な手段を取る傾向が強い。
 B 問題を抱えたときに女性の方が他者に相談するといった行動に対して抵抗感が少なく、柔軟な態度を取ることができる。

 自殺と並んで交通事故死も社会的な影響をもろに受ける死因です。戦後の急速なモータリゼーションの進展によって交通事故死はウナギ登りに増加し、最悪時の昭和45年には死亡者数が16,765人に達しました(「交通統計・平成20年版」)。偶然ですが、この年の自殺者数は15,728人、翌年は16,239人(人口動態統計)でしたからほぼ同レベルの死亡数でした。その後はどうでしょう。交通法規の改正、事故予防教育、自動車の性能向上などが功を奏して、40年後の平成20年には5,155人にまで減少させたのです。何とその年の自殺者数の6分の1でしかありません。総合的な交通事故対策を立てて、長期にわたる粘り強い努力の積み重ねが実を結んだのです。このことは自殺予防対策を考える上で貴重な先例モデルになるに違いありません。
                                                    (つづく)

 <参考文献>

 高橋祥友:「自殺予防」岩波新書 2006年7月刊

                          (2009年8月12日)

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