ドクター塚本  白衣を着ない医者のひとり言
No.143
帽子着用の習慣
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 何時の頃からか帽子かキャップを被って外出するのが習慣になっています。時には夕方や雨降りでも着用することがあって家人に笑われています。ふさふさした黒髪への憧れや、少しでも若く見られたいという願望があるからです。帽子は私にとって「ハゲ隠し」の道具なのです。見事に禿げ上がった、素晴らしい貫録十分な禿頭なら、むしろ帽子なしで堂々と闊歩するところでしょう。

 今年になって、二人のハゲの専門医が相次いで新書版の一般向け啓蒙書を刊行されました。佐藤明男・東京メモリアルクリニック院長(横浜市立大学・形成外科非常勤講師)と板見智・大阪大学皮膚・毛髪再生医学(アデランス)寄附講座教授の両先生です。

 まず私のハゲは、「男性型脱毛症」Androgenetic Alopecia と診断されます。原語を忠実に翻訳するなら、「男性ホルモン」型脱毛症となるでしょうか(因みに Androgen は男性ホルモンの総称です)。立派な病名で呼ばれますが、男性が思春期を経て成人に達すると抜け毛が増えて髪の毛が薄くなる現象なので、病気というよりは体質と言った方がよいでしょう。

 「薄毛の父」とまで言われ、この現象の進行度分類(H−N・7段階)を初めて提唱したエール大学の解剖学者 J.B.ハミルトンが、1942年に着手した研究で次のことを実証したのです。つまり、思春期前後に去勢手術を受けた男性にテストステロンを投与して発毛のパターンを観察すると、家系に男性型脱毛症がいる人では脱毛が始まり、また去勢時点ですでに脱毛が始っていた人の場合、去勢によって脱毛の進行はいったん止まりますが、テストステロン投与で再び毛が抜けることがわかったのです。今日では考えられないような人体実験によって、薄毛「男性ホルモン説」の常識が作り上げられたと言ってもよいでしょう。1960年代以降、より詳細な脱毛のメカニズムが解明され、治療薬の開発にまで発展することになります。

 そのメカニズムを出来るだけ単純化して説明しますと、次のとおりです。

 男性ホルモンを代表するテストステロンは、成人男性では主として睾丸から分泌されて全身の血中を流れます。その作用は、@ 筋肉・骨格の成長と維持、A 大脳皮質の発達と維持、B 性欲・性衝動の亢進、C 精子の形成、など男らしさそのものを作り出す機能をもっているので、「善玉男性ホルモン」と言われています。

 しかし、テストステロンが多く分泌されると、余分なものは5α‐還元酵素(5α‐リダクターゼ)によってジヒドロテストステロン(DHT)に変換されます。この酵素には2タイプあって、T型は全身に分布し、変換されたT型DHTは毛根の最下部にある毛乳頭の細胞核にあるレセプターと結合して生物学的作用を起こし、@ 体毛やひげの増加に、一方、U型の方は前頭部から頭頂により多く分布し、U型DHTはレセプターと結合して、脱毛たんぱく質と考えられる物質を産生してA 男性型脱毛症の発症に関係します(思春期以降、ひげが濃くなると同時に頭髪が薄くなるというパラドックスは、DHTにT型、U型があることで理解されたでしょう)。このほか、B ニキビの増加、C 皮脂産生の増加、D 前立腺肥大(中高年)、などの働きをしますので「悪玉男性ホルモン」と呼ばれます。

 いずれにせよ、善玉のテストステロンから悪玉のDHTへの変換が起こるので、薄毛になる男性には、循環する血中にテストステロンの量が通常よりも多いはずです。つまり、薄毛の男性は、筋肉、骨格がしっかりした力強くたくましい肉体を持ち、大脳皮質が発達していて知能に優れ、性欲が強く生殖能力が高い、優秀な人間である傾向が強いと言えそうです。また精神面では、攻撃性や競争心、支配欲が強く、怒りっぽく短気であるとされます。高学歴、スポーツ選手、社会的地位の高い人たちに、意外なほど髪の毛の薄い人が多いのはこういった理由からです。佐藤院長がグリーン車に乗って調べた(疫学的には少数例だし、判定基準にも疑問も残しながら)ところ、指定席に比べてグリーン車の方が3倍も高い薄毛率(彼の著書の題名もこのことに由来します)でした。

さらに、歴史上に名を残した偉人たちの中に薄毛だった人が少なくないことを挙げて自説を補強しています。 こう言われますと、コンプレックスどころか勇気が出てきて、「ポジティブ・ハゲ」をライフ・スタイルにしたくなるではありませんか。

 ヘア・ケア市場は拡大傾向にあり、マスメディアの広告も随分派手です。アデランスの(疫学)調査(2007年)では、日本人成人男性の平均薄毛率は27.8%ですから、4人に1人以上(推定人口1342万人)が薄毛という計算になり、巨大産業になる可能性大だと言えます。

 多くのハゲ男性にとって、数年前からようやく確実な治療法が登場するという朗報がもたらされました。@ 内服薬「フィナステリド」(商品名:プロペシア)と A 外用薬「ミノキシジル」(商品名:リアップ)の併用が、世界的な治療ガイドラインとして承認されているからです。

 興味深いのはいずれも、別の疾患の治療薬として登場しながら、偶々その「副作用」の方が注目されて主役に躍り出たという経緯があります。@ はネイティブ・アメリカンが強壮薬として使用していた「ノコギリヤシ」の抽出物を化学合成した薬剤(メルク社)で、当初は前立腺肥大症の治療薬として認可されたのですが、U型の5α‐リダクターゼの作用を妨げてDHTの産生を抑えることがわかって、「飲む発毛薬」として再登場することになりました。板見教授は自ら服用していると言いますし、佐藤院長は自験例で服用者の「改善率」は90.7%、脱毛の進行をくい止める成功率は、何と99.7%という信じられない効果です。

 A も血管拡張作用による降圧剤として開発されながら、副作用に多毛が認められたのを契機に研究されて、毛乳頭細胞でアデノシンを分泌して細胞増殖因子の産生を促す作用がわかったのです。

 @、Aともに副作用の心配はまずないのですが、健康保険の適用が受けられないこと、医師の診察、処方が必要なこと、長期(ふつう1年以上)に使用しなければならないことから、経済的な負担が大きいのが難点です。

さらに、治療の対象になるのは50歳代まで、進行度がH−N分類のW〜Xまでに限られています。私にはとっくに手遅れですし、帽子やヘルメット着用は、ハゲの進行を助長しないと両先生が保証しておられますので、帽子を被る私の習慣は続けて行くつもりでおります。

<参考文献>

 佐藤明男「なぜグリーン車にはハゲが多いか」 幻冬舎新書 2009年1月刊

 板見 智「専門医が語る毛髪科学最前線」 集英社新書 2009年5月刊

                         (2009年6月24日)

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