ドクター塚本 白衣を着ない医者のひとり言 | ||||||
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時代は移り、今日では「外科崩壊」が着々と進行中なのです。厳しい労働環境や、それに見合わない安い給与を嫌い、若手医師の外科離れ、外科敬遠が起こっているからです。若手医師の意識が変わって、「当直がない」、「救急がない」、「がん治療がない」という、「3ない」の病院を選びたいという時代です(国際医療福祉大学三田病院・北島正樹院長)。日本外科学会も昨年、危機感の共有と外科医不足の解決策を議論する特別シンポジウムを開いたほどです(日経メディカル2009年4月号)。 ここで話をがんの放射線療法に戻します。塚本憲甫・がんセンター総長が戦後のわが国のがん放射線治療をリードされたことはすでにご紹介しました。塚本総長が2人の高名な放射線医、田崎瑛生(東京女子医大で子宮頸部がんの標準照射方式を確立)と梅垣洋一郎(癌研から放影研に移り、粒子線治療の草分け的存在)を初め多くの放射線治療医(放射線腫瘍医とも呼称します)の育成に努められたという功績も見逃せません。 その理由を同じ放射線治療医の名取春彦(独協医大病院・放射線科)は次のように説明しています。 1)外科手術の進歩 誰しもご存じのとおり、安全な全身麻酔法の確立、抗生物質の普及、それに大量の輸血、輸液が可能になり、外科手術のリスクは極端に減少したことが外科手術に飛躍的な進歩をもたらしました。戦争中の軍医養成は外科を急増させましたが、底辺の広がった外科医は、戦後、果敢に挑戦をして消化器がんや肺がんの手術に好成績を収めてゆきました。 2)線源輸入問題への対応 放射線治療の線源(放射性同位元素)として長く使われてきたラジウム(半減期が長いので半永久的に使用可能だが、密封が難しいという弱点もあり)に代わって半減期約5年のコバルトが登場しますが、カナダからの輸入に頼っていたところ、1990年代になって、理由も経緯もわからずに一方的に供給ストップになってしまいます。これに対して放射線治療医は成り行きを傍観していただけで適切な対応を怠ってきたのです。結果的に患者を見捨てることになり、人道上の問題ともいうべき怠慢だったと言えます。 3)経済波及効果 がんの外科手術の術前、術後の大量の器材や薬剤の消費と比較すれば一目瞭然、放射線医療には経済効果が大してありません。いったん治療機械が導入されると、10年間は新規に購入することはないし、治療のたびに治療機メーカーに治療代がゆくわけではないのです。そのうえ他科からの紹介患者を待つだけで自ら患者を集めることもしないので、病院経営に貢献することは少ないことになります。儲かる抗がん剤に押されっぱなしになってゆくのは自明のことでした。 かくして放射線治療医は「下請け」と化したのだと、名取医師は自嘲気味に語っています。もう少し解説を加えますと、もともと放射線科の存在意義は他科ではできない「治療」のはずでした。ところがCTが普及し始めたころから、病院内の放射線診断を中央で一括管理運営する「中央診断システム」(アメリカの病院での方式です)が導入されますと、放射線「診断医」の数が増えて、一大勢力となります。アメリカシステムを良しとする診断医たちは、アメリカと同じ考え方に立って、放射線科はほかの診療科にサービスをする部門なので、「病棟も外来も不要」だと主張するようになりました。 たしかに診断医にとって、病棟から得るものは何もなくて負担がのしかかるだけです。病棟を持たない放射線治療医は、病棟を運営する各科に依存する存在になり下がってしまいます。 <参考文献> 名取春彦:「こんな放射線科はもういらない」 洋泉社 2009年2月刊 (2009年5月13日) |
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