ドクター塚本  白衣を着ない医者のひとり言
No.14 新聞の死亡記事と「心不全」の流行
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 完全リタイアして自由気ままな毎日のせいか、曜日の感覚が鈍ってしまいました。旧制中学の同期生に話すと、自分は新聞をスミからスミまで読んでいるので、日付はもちろん曜日もキチンと自覚した上で毎日の生活を送っていると自慢されてしまいました。

 ところで、新聞の読者がもっともよく読んでいるのはテレビの番組欄がダントツなんだそうです。

 かく申す小生も、現役時代から朝日、日経2紙の購読者で、年金生活に入ったらどちらか1紙にしようと思っていたのですが、いまも2紙を続けて読んでいます。何しろ時間がたっぷりあるからです。出勤前の慌しい時間には余り読めなかった社説ですら最近はきちんと読んでいます。番組欄はもちろんですが、「死亡記事」欄の方も若い頃から欠かさず読む習慣がついています。

 元毎日新聞記者で死亡記事アナリストを自称している諸岡達一によると、新聞各社の死亡記事は「定型基本フォーム」と彼が呼んでいる、次のような基本構成から成り立っているそうです(「死亡記事を読む」新潮新書)。

 氏名(ゴチック体)/読み仮名/死亡時の主な肩書き、縁故関係、専門、専攻科目など/死亡日時分/年齢/自宅住所/葬儀、告別式の日取りと場所/喪主/本人でない場合、ニュースの対象者の親や配偶者の死亡記事は項目をしぼって、死亡時刻や死因の記載はなし、の順です。

 これらのうち、自宅住所を公表していない人、葬儀、告別式を行わない人などが最近では目立つようになりました。また少し前までは掲載されていた病院名を含めた死亡場所も今では全く報道されなくなりました。このように死亡記事だけからもわが国の社会や文化に変化が起こっていることが感じられます。

 すでに前回まで「日本人の寿命」にお付き合いいただいた皆さんには、平均寿命が年齢別の死亡率そのものであることや、世界最長寿国になった要因を死亡原因で説明させてもらいましたので、死亡記事のなかでも私の関心がとくに高いのは死因だということは先刻おわかりでしょう。

 実は、死因にもちゃんと流行があるのです。「疫学は流行の謎解きのための学問である」と言ったのは、わが国の疫学の発展に大きく貢献された平山雄・元国立がんセンター疫学部長でした。ここで言う流行は伝染病など病気の流行だけではなく、ほとんどすべての社会現象の流行と考えてもよいと私は思っています。

 またまた昔話で恐縮ですが、私が医学生だったころ(かれこれ50年も前のことです)には、医学校の教室で教授から諸君は死亡診断書の死因欄に「老衰」とだけは書かないようにとひつこいほど何度も教えられたものでした。当時の欧米先進国では老衰は使用されることの少ない死因だったのに対し、わが国では1947年の統計で60歳以上の総死亡数の2割近くもが老衰だったのです。このように老衰という死因が多用された背景には高齢者が死亡した際、その「死の美しさ」を正当化するための文化的要因があったと言われていますが、われわれが受けた教育のせいか今日では激減しています。

 これにとって替わって登場した「心不全」の流行についてみてみましょう。もともと心不全というのは心臓のポンプ作用が低下して、肺や全身に必要とする血液を送り出せなくなった状態のことで、循環器系の病気はもちろん、すべての病気の末期には心不全を起していると言ってよいのです。極論すると誰しも死の直前には心不全の状態になっているはずなのです。死亡診断書を作成する主治医も、本当の死因を公にしたくない遺族から頼まれれば、安易に心不全と記載していたと考えられています。主治医当人もあながち「嘘」を書かされたとは思っていなかったフシもないわけではありません。

 では、どれくらいの流行だったかというと、1970年頃から急に増加してピーク時である1993年には、心不全の粗死亡率は1950年と比べて約16倍にも達し、心疾患のなかに占める心不全の割合も1950年の8.6%から60%を超えるまでに増加していました。したがって、わが国の死亡統計に現れる心疾患死亡率は、心不全の動向によって大きく左右されていたということになります。

 1995年1月1日から実施された国際疾病障害死因分類の第10回修正(普通ICD−10と呼んでいます)にともなって、わが国の死亡診断書の様式も大幅に改定されました。そのなかには「疾患の終末期の状態としての心不全、呼吸不全等は書かないでください」と明記されていました。当時の厚生省、日本医師会がその前年頃から現場の医師に対して熱心に指導の広報を行ったことは言うまでもないし、マスコミも周知徹底の報道に協力してくれたのでした。

 その結果、1993年をピークに翌年から心不全は見事に減少に転じ始め、1995年には約3分の1にまで激減して、以後はほぼ横ばいないし漸減状態がつづいています。

 このことをいち早く想定して、1950年から1994年までの朝日新聞の死亡記事から死亡年齢と死因動向の調査に着手したのが、当時の明治生命厚生事業団・体力医学研究所の須山靖男疫学研究室長だったのです。調査結果は、私との連名で「死因の変遷に関する社会学的背景−新聞に掲載された『心不全』の流行?」と題して「厚生の指標」(1995年7月号)に発表されました。

 その詳細は割愛しますが、われわれは死因にも一種の社会・文化的流行があって、しかも新聞の死亡記事が人口動態統計の動向を先取りしていることを明らかにすることができたのでした。いつもの「ひとり言」を付け加えると、この論文は運良く、この雑誌を発行している厚生統計協会から年間最優秀論文として表彰されることにもなったのです。

 といっても病理解剖や司法解剖により死因探求を行っても、どうしても真の死因が不明のままの「突然死」は厳として存在しています。したがって今後とも「急性」心不全がゼロになることはありません。

 また、すでにドイツで行われているように、主治医が遺族に死亡診断書を手渡すとき、氏名、年齢、生年月日等は表書きしてあっても、その他の項目については用紙の内側に記載され、封をして他人から見られないように用紙を工夫することが望ましいとはお考えになりませんか。

                                          (2004年3月3日)

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