ドクター塚本  白衣を着ない医者のひとり言
No.132  「予防がん学」の伝統
Google検索にキーワードを入力すると関連するページを見ることができます。
Google
WWW を検索 ドクター塚本ページを検索
 丑年のお正月は穏やかな晴天つづきでした。元日と二日、孫たちの2家族と初詣に出かけて御神籤を引いたところ、連日の「大吉」、こりゃ春から縁起が良いぞと、「ひとり言」子はひとりで悦に入ったのでした。皆さんも輝かしい新年をお迎えのこととお慶び申し上げます。

 さて新年最初の話題はがん予防です。すでに50年も前に、私が疫学の手ほどきを受け、疫学への関心を深める契機となった恩人は、国立公衆衛生院在学中(1958〜59年)に薫陶を受けた平山雄先生(1923〜95)です。この先生については何回か取り上げましたし、知る人ぞ知る、疫学をわが国に定着、発展させた先駆者です。「疫学は流行の謎解きの学問である」とか「疫学は公衆衛生の診断学だ」など先生の歯切れの良い講義に魅せられ、その声は今も耳の底に残っています(bP4、bR9)。

 日本に疫学者・平山あり、と一躍世界的に有名にしたのは、何といってもたばことがんの関係を明らかにした業績です。国立がんセンター研究所・疫学部長時代に、先生のライフワークとも言うべきコホート研究(ご本人は「計画調査」と呼んでいます)に着手されました。6府県の29保健所管内の地域住民約26万5千人を対象にして、1966〜82年にわたる、スケールの大きい画期的な研究で、もちろん厚生省(当時)の指導のもと、地域担当保健所の全面的な協力による国家的なプロジェクト研究でした。その成績から、たばこが喉頭がん、肺がんをはじめがんの最大のリスク・ファクターであることを立証したのです。世界に先駆けて「副流煙」、受動喫煙が肺がん発症に関係していることもこの調査から明らかになりました(1981年)。

 一連の研究成果に基づいて、がんにとどまらず「たばこ病」というより広い疾病概念を提唱されました。このようながんの疫学と予防に関する優れた研究・啓蒙活動に対して、国の内外からその貢献を表彰して、保健文化賞、アメリカがん協会賞、ラマッチーニ賞など数多く受賞されました。

 今日では、対がん予防活動の真っ先に上げられる「禁煙」の科学的なエビデンスを確立した第一人者の地位は揺るがないでしょう。しかし、根強い喫煙擁護派からは平山研究に対して今も批判や中傷の声は絶えません。平山は学会発表の前に自説の正しさを誘導するためにマスコミを利用していた(事前のプレス発表)、「計画調査」の元データを独り占めして他の研究者との共同作業がなかった、データ計算の処理方法が間違っている、などの中傷的見解です。ここではその真偽のほどに決着をつけなくともこの先をお読みいただくことで氷解するでしょうが、どこかに内外のたばこ産業の巧妙な圧力を感じているのは私だけではないはずです。

 次にご登場願うのは、平山先生から2代あとの国立がんセンターがん予防・検診研究センター・津金昌一郎予防研究部長(2003年に就任)です。われわれ年代から言うと、疫学部長そのものです。1981年の慶大(医)卒のバリバリの現役疫学者で、ご面識はないものの、体重(BMI)別死亡率がU字型カーブを描いていて中庸の体重群の死亡率が最低だという、私と結論が一致する論文を発表された(2002年)ので、勝手に親近感をもっている方です。

 津金部長は、厚生労働省がん研究助成金による指定研究班「多目的コホートに基づくがん予防など健康維持・増進に役立つエビデンスの構築に関する研究」(「多目的コホート研究班」と略称)の主任研究者を務めておられます。研究方法は平山の「計画調査」のそれを基本的に踏襲しています。研究対象は、1990年スタートした特定の5保健所管内の地域住民約4万人(コホートT)と、1993年に追加された6保健所管内の約6万人(コホートU)、計約10万人から成ります。

 調査の入口で生活習慣(食物摂取頻度調査を含む)に関するアンケート、血液検査、検診結果などのベースライン調査と、開始して5年後調査、10年後調査と、さらに異動、死亡、疾病罹患などの追跡調査がいずれも保健所の全面的な協力によって実施されています。現在進行中のコホート研究として最大規模のものです(2013年末までの予定)。平山研究と同様、わが国を代表する疫学研究プロジェクトで、通称「JPHC−Study」と呼ばれるのは、保健所の英語読みを入れたPublic Health Center-based prospective studyに由来しています。

 平山研究との大きな違いは、国立がんセンターだけの研究ではなく、国内の疫学専門集団から研究班メンバーを集めた共同研究体制に特徴があります。またベースライン調査の段階から、専門家から提出された計画を班会議の検討を経た上で実施に移すという集団合議制をとっています。

 すでに発足以来18年にもなりますが、参加された研究者は、大学教授、当該保健所長はもちろん、数十人の専門家が参画しています。研究成果の論文は、2008年末までに国際的に評価の定まった医学専門誌に掲載されたものだけで128編(当然英文で)にも上りますので、スケールの大きさが窺い知れるでしょう。

 どのようなテーマで、新知見は何かを知りたければ、「多目的コホート研究事務局」からホームページで詳細に公表されていますので、研究としては大変フェアな印象を受けますし、いかにも国家的な事業だと実感させられます。同時にグローバル化の時代ゆえ英文で次々と発信される研究成果から、わが国の疫学の学問的レベルが国際的に高く評価されております。

 また研究のための研究ではない証拠に、調査に参加していただいた住民に対する健康教育にも力を入れています。資料配布を初め講演会なども開催しているのは、平山研究に比べて格段の進歩だと評価してよいでしょう。

 平山先生がややジャーナリスティックな公表の仕方をしたのに対して、津金部長は研究成果について、疫学研究の限界を説明しつつ慎重な姿勢を崩していません。食べ物と健康の関係について、一例を挙げますと次のとおりです。

 珈琲を1日3杯以上飲む女性は、結腸がんになるリスクがほとんど飲まない女性の半分だという結果が出ています。しかしこれが真実か否かの解明には、まず同様の研究があって、同じ結果かどうかの確認が必要であり、珈琲有効説が実は別の要因によるものではないことの証明も必要だとしています。また良いほうの効果だけでなく珈琲の悪影響も研究しておくべきだと言うのです。要するに、情報発信者と受け取り手、双方に冷静な対処を希望しておられます(2007年9月6日付産経新聞)。

 最後に、昨年1月に発表された冊子「多目的コホート研究の成果」の結びで、「現状で日本人に推奨できるがん予防法」として上げておられる次の6項目をご披露しておきます(当たり前のことにがっかりしないで下さい)。

 @たぼこは吸わない。A適度な飲酒。B食事は偏らずバランス良く。

 C定期的な運動の継続を。D成人期での体重を維持(太りすぎない、やせすぎない)

 E肝炎ウイルス感染の有無を知り、感染している場合はその治療措置をとる。

 いかがでしょう。国立がんセンターで脈々と受継がれている疫学の伝統を、また日本の疫学も随分大人になったものだと、お感じいただけたでしょうか。

 <参考文献>

 平山雄:「予防ガン学 その新しい展開」、メディサイエンス社、1987年

 津金昌一郎:「がんになる人ならない人 科学的根拠に基づくがん予防」

      講談社ブルーバックス 2004年

 多目的コホート研究事務局:ホームページ

           http://epi.ncc.go.jp/jphc/index.html

                        (2009年1月14日
ドクター塚本への連絡はここをクリックください。