ドクター塚本  白衣を着ない医者のひとり言
No.130  物理学者のがん患者(その2)
― 戸塚教授の提言をめぐって ―
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 承前

 前回は、著名な物理学者・戸塚洋二のがん闘病記のあらましを紹介しました(文藝春秋2008年8月号)。これぞ科学者だと言わんばかりに、壮絶なはずの自らのがん体験を冷静に観察しておられる戸塚教授の闘病姿勢にはまったく敬服してしまいます。とはいえ、あと何年、いや「あと18ヶ月長生きしていたら(ノーベル賞受賞に間に合った)」と恩師・小柴昌俊が弔辞のなかで述べた(同誌9月号)ほどですから、ご本人の無念さ、悔しさは測り知れないものがあったとお察しできます。

 彼が凄いのは、自分の闘病記録を次の人に繋ごうとして「死への準備日記」の形でブログを公開されたことです。スタートは本格的な抗がん剤治療が始まって1年4ヶ月後の2007年8月4日から、死亡される8日前の2008年7月2日まで続きました(同誌9月号)。しかも、このブログは闘病記録だけではなかったのです。若い人が「科学はこんなに面白い」と考えるきっかけになれば、と書き残したのが「戸塚教授の『科学入門』」という本の内容にもなっているのです(講談社 2008年10月刊)。

 ここで、取り上げたいのは、戸塚教授が立花との対談のなかで述べている次のような提言です。

 「もう一つ医療界にお願いがあります。がんのデータベースが是非必要だと思うんです。・・・そのために何が必要かといえば、がん患者の体験談を整理して収集することです。例数が増えれば増えるほど学術的に貴重なデータになることは間違いありません。大学病院の先生方が細々と調査を行っているようですが、全国的に体系が取れたデータでないとあまり役にたたない。
・・・私がつけているがんの記録も、いわばがん観察のログブック(科学者が行う年月日入りの実験記録や計算記録のノートのこと)なんですよ」

 また最期を看取られた裕子夫人の手記でも、「夫の提唱した患者の疑問に答える『がんのデータベース』を整備して、がん患者を持つ家族にも頼れる情報が行き渡るようになれば、看病の際、誰もが持つ不安も軽くなるのではないかと思います。全国の病院に統一様式のがんデータ用フォーマットが配備されたり、データをサポートするボランティアを募るなど、今後動きが進むよう願ってやみません」と結んでおられます。

 もちろん白衣を着ない医者の私もこの提言には諸手を上げて大賛成です。がんのデータベースの必要性を知らない医者や医療関係者は一人もいません。また、ただ細々とした調査だけで事足れりと満足している大学の先生もいないのです。「生還記」としてくくられるがん患者の体験談の出版も花盛りですし、たしかに体験談は貴重で役に立つことも事実です。私なども少し親しい人なら、その方の病気についての経験を参考にさせてくださいと、熱心にお聞きすることにしています。

 ところが残念なことに、個人的な体験データをいくら積み上げても、現段階ではがん全体の発生率や死亡率を減少させることに成功していません。

 ちょっと突飛だと思われるかも知れませんが、この種の問題に直面すると何時も思い出すことがあります。生命保険の仕事に携わった人なら聞いたことがおありでしょう、我々が「保険医学の父」と仰ぐオスカー・ロジャース O.Rogers (ニューヨーク生命医長)のことです。彼は19世紀末に、当時、保険会社の医長が臨床経験に基づいて保険契約を謝絶した申込者が一向に死なないという営業サイドからの不満に答えようとして、最初は死亡請求事例の収集から研究に着手しました。しかし何らの成果も得られずに2年間が経ってしまいます。ここで研究の方向転換を図り、アクチュアリーのアーサー・ハンター A.Hunter の協力も得ながら、生きている被保険者集団の死亡率を、欠陥別に長期間にわたって追跡する「欠陥研究」(今風に言うならリスクファクター別の「コホート・スタディ」)という手法を開発したのでした。百年以上前の1903年のことでした。

 私の言いたいのは、保険加入者の死亡率、がん患者の発生率など、千人当り何人というレベルで起こる事象の場合、分子に当る死亡者やがん患者だけを集めたのでは限界があり、発生する前から「研究計画」に基づいて登録しておいた、分母に相当する集団を長期にフォローアップして始めて真の原因解明ができるということです。もちろんこの手法でも、個々人の死亡やがんの発生、さらには再発を間違いなく言い当てることはできません。それが出来るのは「易者」であって「疫学者」の仕事ではないのです。

 津金昌一郎・国立がんセンター予防研究部長を班長として現在も進行中の厚生労働省の研究班による「多目的コホート研究」(通称JPHC Study)は、わが国で行われているもっとも大規模ながんのリスクファクターを追求するための研究です。1990年にスタートしていて、約10万人の一般住民を対象にした長期にわたる追跡調査は今も継続中です。ベースラインで調査されたリスクファクターについて、このところ年に何回も、次々とがん患者発症についての新たな「エビデンス」が発表されています。津金らはHPでもその概要を公表していますので、ここではその詳細は割愛することにします。

 一方、戸塚教授や裕子夫人の提言される「がんデータベース」が構築されたなら、一気にがん対策が伸展する、と思って私は賛成しているのではないのです。がんの検査法、診断技術が日進月歩の進歩をしていて、がん遺伝子の研究や分子標的抗がん剤も進んでいるはずだから、と大きな期待をお持ちの方も大勢おられることでしょうが、それほど甘くはないことを申し上げたいのです。

 実は「戸塚提言」より遥か昔、40数年も前の1962年から、すでに「地域がん登録」というがんのデータベースが先駆的な研究者のご努力でスタートしているのです。この事業計画の中心人物は、藤本伊三郎・大阪府立成人病センター調査課長(当時)です。彼はその後、調査部長を経て1992年に発足した「地域がん登録全国協議会」の初代理事長にも就任され、長年にわたる功績が評価されて1998年には第50回保健文化賞も受賞されています。

 言うまでもありませんが、的確な対がん活動のためには、地域集団のがん死亡率だけでは不十分で、がんの罹患率、受療状況、生存率などを長期間観察して、その変化を把握する必要があります。地域がん登録事業によって初めてこれらの統計資料が得られ、対がん活動の評価も可能になります。要するに、地域におけるがんの発生、受療、生存、死亡の全体像を明らかにするのが目的です。大阪府のがん登録事業も、行政、医師会、成人病センター、つまり産官学の専門家と患者の協力なしには実現不可能な事業です。

 当時、いずれも阪大出身の関悌四郎・阪大教授(公衆衛生学)、中谷肇・大阪府副知事(医師)、佐谷春隆・大阪府医師会理事(公衆衛生担当)の大物トリオ(いずれも故人)が藤本先生らのがん登録計画を支持、支援したからこそできた、大阪府が誇る一大事業のだったのではないかと懐かしく思い出しています。大袈裟に言っているのではなく、がん登録事業は決して生易しい事業ではないのです。次回、その難しさ加減を解説してみましょう。  

                         (2008年12月10日)
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