ドクター塚本  白衣を着ない医者のひとり言
No.123 産科医無罪判決の教訓
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アカンサス
  野球、マラソンなど期待はずれも多かった北京オリンピックが終わると、猛暑の夏も急に凌ぎ易くなりました。ちょうど野球の対韓国戦が行われた8月20日、医療関係者がかたずをのんで見守っていた「福島県立大野病院事件」裁判の判決が出ました。この事件が全国的な産科医不足に拍車をかけ、産科診療を休診する病院が増え、さらに病院閉鎖に追い込まれるという「医療崩壊」の引き金になったことはすでにこの「ひとり言」bP12でもご紹介しました。

 今回の福島地裁の判決は、業務上過失致死罪などに問われた産婦人科医に無罪が言い渡され、被告側の完全勝訴という結果でした。当然のことながら、日本産婦人科学会、日本医師会、さらには勤務医中心の新組織「全国医師連盟」など医療団体が「妥当な判決」として評価し、控訴手続きを断念するよう要望しています。朝日新聞も社説(8月21日付)で、納得できる判決であり控訴すべきではないと判決を支持しています。福島地裁は「仙台高検などと協議して対応したい」と述べるにとどまり、控訴するかどうかは不明のままです。

  しかしこの無罪判決で医療界にひとまず「ほっと」した空気が流れたものの、そうだからと言って急に「産科医療の未来」が明るくなったわけではありません(8月21日付毎日新聞)。むしろこの事件を教訓に、患者に信頼される安全な医療をいかに再生してゆくか、国も医療側も数々の課題に直面しているのです。

  さて、この裁判の争点は次の2点です。@執刀医である被告が患者の癒着胎盤を認識した時点での処置に過失はなかったか、A医師法21条(異状死の届け出義務)違反にあたるか。

 判決は、事実経過についてはほぼ検察側の主張通りに認定しています。すなわち、死因が胎盤をはがしたことによる失血死であること、無理に胎盤をはがすと大量出血を起こして患者が死亡する危険が予測されたこと、胎盤をはがすことをやめて子宮摘出術に移ることで大量失血を防ぐことができる可能性があったとしています。

  しかし、それが「標準的な医療」であるとする検察側の根拠は一部の医学書だけで、検察側鑑定医も裏づけとなる臨床症例を提示できなかったと指摘しています(たしかに極めて稀な臨床例です)。結論として、執刀医には胎盤剥離を中止する義務はなく業務上過失致死罪には当らないと判断したのです。
  また異状死かどうかについては、「診療を受けている当該疾病によって死亡したような場合には、異状の要件を欠いている」との見解を示したのです。

  私がいつも読んでいる「よっしいの独り言」という医師向けのブログがあります( http://blog.m3.com/yosshi/ )。判決前日の8月19日のブログでは、医療の持つ特性とその怖さを例示しながら次のように端的に解説しています(「医療行為と犯罪」)。

  手術は合法的に人の体を傷つけますので、医療行為でなければ傷害罪になるはずです。採血も同じです。聴診や触診などはわいせつ行為と勘違いされる場合があるし、セクハラと言われることもあります。きちんとした問診も医療行為でなければ明らかにプライバシーの侵害です。つまり、医療行為は「合法的な犯罪」だと言えないことはありません。だからと言って医療行為のすべてが刑事罰にならないと短絡できません。患者を慣れない手術の練習台のように使ったり、カルテの改竄を行ったり、故意に間違った処方をしたりする悪質な行為については、当然、従来通り刑事責任が問われるべきです。

  もともと日本は世界一お産が安全な国で、1960年に2千人を超えていた妊産婦の死亡は、2006年には54人にまで減少しています。周産期医療と医療スタッフの努力の成果なのですが、皮肉にも安全が確率されたことで返って医療訴訟が増加し、医師千人当りの訴訟の提訴件数(04年)は産科が診療科のなかでトップ(12.4件)になっています(8月21日付日経新聞)。

  こうした流れのなかで起こった事件をきっかけに、臨床現場の経験から「医療には不確実性があり100%の安全はありえない」という論理を身につけている医療側が、患者に良かれと思って真剣に治療に当っても、「結果が悪い方に転べば、刑事罰に処される」という恐怖心を抱いたのは致し方なかったとも言えます。産科医療がいわゆる「萎縮医療」に陥ったのは大変不幸なことでした。もしも有罪判決で医療側が敗訴していたら、この萎縮医療に歯止めがかかるどころか、さらにその傾向が強まったのではないかと想像されます。医療側がほっと安堵の胸をなでおろした事情をご理解いただきたいのです。

  昭和大学産婦人科・岡井崇教授(日本産婦人科学会常務理事)もこの点に言及して次のように述べています(日経メディカルオンライン、8月25日付)。

  「実地医療においては、結果から遡及的に過失を探ればほとんどの症例で、患者さんの死亡と治療の因果関係を予見する可能性や、死亡を回避する可能性が医師にあったという結論になってしまう。今回の判決はこうした結果論に基づく医療内容の評価を否定し、『刑罰を科す基準となり得る医学的準則はほとんどの医師がその基準に従った医療措置を講じているといえる程度の、一般性あるいは通有性を具備したものでなければならない』として無罪とした点を高く評価しています」

http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/report/t020/200808/507609.html

 さはさりながら、この事件の起訴後大野病院の産婦人科は休診となったため、町内に分娩施設がなくなり、出産のために25キロ離れた公立病院へ行くしかないのです。福島県では06年に31箇所あった分娩施設が21箇所に激減しています。日本産婦人科医会によると、全国的にも出産を扱う施設が06年には2983あったのが、08年には2788施設(6.5%減)になっているのです。

 それだけではありません。大野病院でもそうでしたが、分娩を扱う常勤医が1人しかいない、いわゆる「一人医長」の問題もあります。この事件当時、福島県立医大・産婦人科医局から大野病院へ派遣する際にも不明瞭な経緯があったと週刊朝日の最新号は報じています(9月5日号)。病院側から小児科医も一緒に来るから出して欲しい」言われたので派遣したのに、実際には産婦人科医だけだったとか、そもそも警察の捜査のきっかけとなった「事故調査報告書」は、患者の遺族へ保険金を支払うため医療側にミスがあるように書き直したものだったと言うのです。偶然にも不幸の上に不幸が重なったとしか言いようのない事件でした。

 医療事故に警察の捜査や介入を避けるべきであるとか、刑事裁判はそぐわない、と言うだけでは何ら解決にはなっていません。今回の事件を契機に、厚生労働省では、医療事故が起きた際、いきなり警察ではなく、第三者委員会で調査する制度「医療安全調査委員会」(仮称)を創設する法案の準備を急いでいます。一方で、単純なミスを繰返すような著しく能力の低い医師に対する、ペナルティと教育システムの導入も検討が必要です。いずれにせよ、患者側の信頼をかち得て、医師も安心して医療に従事できる制度を一日でも早く構築することが急務となっています。

  (2008年8月27日)                           

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