ドクター塚本  白衣を着ない医者のひとり言
No.12 日本人の「寿命」を考える(その3)世界最長寿国への歩み
Google検索にキーワードを入力すると関連するページを見ることができます。
Google
WWW を検索 ドクター塚本ページを検索
 
 芥川賞作家であり、かつ内科臨床医を続けている南木桂士が、エッセイのなかでこんなことを言っています。「病院の外来で90歳を超えた人が口にするのは『若い頃はこんなに長生きするとは思わなかったですよ』という気負わない台詞だ。長寿というのはあくまでも結果であって目的にするものではないということだろう」。日本人つまり国民全体の寿命 ― 統計的な平均寿命のことです ― も、何時の間にか世界一になっていたという結果論だと言うしかないのかも知れません。ここでは、政府発表による明治以降の日本人の寿命の変遷を振り返ってみましょう。

 平均寿命が初めて公表されたのは内閣統計局第1回生命表(1891−1898 以後簡単に局○表と呼びますが、局10表はお馴染みでしょう。)です。その後、第2回生命表(1899−1903)、第3回生命表(1909−1913)までは、人口統計、死亡統計ともに正確でなく、そのため平均寿命は過大に評価されていたとされ、いずれも専門家によって修正を余儀なくされています。いずれにせよ明治時代の日本人の平均寿命は30歳代後半を低迷していたのです。

 政府統計が正確になったとされる第4回生命表(1921−1925)では、男42.06歳、女43.20歳となっていますので、大正時代になってからようやく40歳代に入ったと考えられています。

 つづいて昭和の初めに45歳を超えるのですが、戦前で最後の第6回生命表(1935−1936)では、男46.92歳、女49.63歳だったのです。

 織田信長が口ずさんだという幸若舞の謡の一節「人間50年、下天の内をくらぶれば夢まぼろしのごとくなり、一度生をうけ滅せぬもののあるべきか」には、せめて50歳まで生きられたらという、400年以上も昔の人々の願望がこもっていますが、その50歳の関門を戦前にはついに破れませんでした。当時の寿命先進国・スェーデンと比べると約20歳もの開きがあって、工業国のなかでは最低水準にとどまっていたのでした。

 第二次大戦の終結後、食糧難の続くなか、アメリカ占領軍からの放出や外国からの輸入で使用できるようになった抗生物質によって多くの感染症が克服され、その死亡率は急激に減少します。なかでも最も劇的な減少を示したのは青年層の結核死でした。こうして渡辺定の言う日本人の「寿命革命」が始まります。また、戦後は国勢調査の行われた年には完全生命表が、それ以外の年には推計人口を使った簡易生命表が発表されることになり、毎年の寿命の変化がより詳細に観察できるようなったのです。(例によって「平成14年簡易生命表」参考資料2「年次推移」をネット検索して見てください)

 以下、平均寿命の変化の節目の年次を記して解説も加えてみます。

 1947年 男女ともに初めて平均寿命は念願の50歳を超えます(第8回生命表で、それぞれ50.06歳、53.96歳)。

 1950年 女の平均寿命が60歳を超えます(61.5歳)。

 1951年 男の平均寿命も60歳を超えます(60.8歳)。

 僅か数年で男女ともに10歳以上も平均寿命が延長したというのは世界の歴史にもかつて見られなかったことで、世界の七不思議と言われるまさに革命的な出来事でした。

 1960年 女の平均寿命が70歳を超えます(70.19歳)。

 1971年 男の平均寿命が70歳を超え(70.17歳)、女のそれは75歳を超えます(75.58歳)。男は平均寿命が60歳から70歳まで10歳伸びるのに20年もかかっていますが、寿命の延長のスピードは男女ともに鈍化しているものの、この時点で世界の長寿国の仲間入りを果たします。すでに30年以上前のことです。

 1984年 女の平均寿命が80歳を超えます(80.18歳)。

 1986年 男も平均寿命が75歳を超えます(75.23歳)。

 2002年 男女の平均寿命は、それぞれ78.32歳、85.23歳で、女は初めて85歳を超え、現時点でも男女ともに世界最長寿国の地位をキープし続けています。

 渡辺、菱沼両先輩の「世界最良(最長)寿命」の予測はどうなったでしょうか。両予測ともにかなり大胆な仮定を設けた当時としては思い切り楽観的なものでしたが、渡辺の1960年予測は、1975年に女、続いて1977年に男、菱沼の1975年予測の方も1989年に女、かなり遅れはしましたが、2000年に男が、それぞれ予測を上回って「限界」を突破して最長寿国を実現してしまいます。

 この間一時的に平均寿命が前年のそれを僅かに下回ることを何回か経験します。しかし全体のトレンドとして寿命の伸びが続くのですが、一時、寿命停滞説、寿命後退説が盛んになったこともあります。有名なのは食物生態研究家・探検家の石丸震也の「41歳寿命説」(1990年、情報出版センター)で、刊行されるやいきなりベストセラーになりましたが、いまでは事実の重みの前に全く影をひそめてしまいました。

 では、日本人の寿命がきわめて短期間のうちに何故世界一になったのかは、大変興味深い世界的な重要課題なのです。この謎解きには、医学・生物学だけでは不十分で、社会学、心理学をはじめ多くの内外の専門学者を総動員した学際的一大プロジェクト研究がどうしても必要でしょう。

 何よりもわが国の戸籍制度は整備されていて、とくに1898年に戸籍法(法律第12号)が制定され、同年の「人口動態統計材料小票取扱手続」(内閣訓令第1号)が定められてからは、死亡率研究には必須の年齢別人口と年齢別死亡統計の正確さで、まさに世界に冠たる国なのです。菱沼従尹、松崎俊久(元都老研疫学部長、元琉球大学教授)の両氏は、口を揃えて、長寿研究のメッカは日本を措いて他にはないと断言しておられました。

 複雑多岐にわたる長寿の要因のうちの死因分析だけをご説明しましょう。戦後すぐからの結核を筆頭にする感染症死亡率の激減がまず原因のトップに挙げられます。このことは青年層だけではなく、同時に乳児死亡率の減少にも直結しています。これまた世界に例をみない急速な低下で、出生・千対乳児死亡率は戦前の10分の1以下にまで低下し、1970年代にはスウェーデンと並ぶレベルに達し、その後もその水準を堅持しています。

 つぎは熟年層の死亡原因の動向です。渡辺定は、早くから当時世界の先進工業国中最高だった脳卒中の死亡率を減少させることが寿命延長の鍵だと予言した上で、同時に国民の食生活をはじめとするライフスタイルの欧米化が虚血性心疾患(狭心症、心筋梗塞)の死亡率を上昇させる恐れありと懸念していたのです。しかし幸いなことに、脳卒中死亡率は順調に減少を続け、虚血性心疾患死亡も、老齢人口の増加に伴い、見かけの死亡数・死亡率は増加していますが、年齢構成を揃えた年齢調整死亡率は横ばいのままで増加傾向を示していません。死亡の前に起こる病気の罹患率も増えていないのです。食生活の欧米化がもたらした血清コレステロールの上昇が現実のものとなった今もそうですから、一見矛盾しているように感じられるかも知れません。やはり日米で疾患の動向が異なることにご注目いただかねばならず、アメリカ追随だけの研究ではことの本質に迫れないということがはっきりしているのではないでしょうか。

 要するに死因分析の結果、寿命革命が始まってからはかつて猛威を振るった脳卒中死亡は克服されつつあり、心配された心筋梗塞に代表される虚血性心疾患死亡率を増加させなかったことが、わが国を世界一の長寿国に押し上げた原因だと結論してよいと思います。


                                          (2004年2月4日)

ドクター塚本への連絡はここをクリックください。