ドクター塚本  白衣を着ない医者のひとり言
No.119 立花隆の膀胱がん闘病記
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 明治時代の作家、風刺評論家として有名な斎藤緑雨(1867−1904)が遺した警句にこんなのがあります。「筆は一本也。箸は二本也。衆寡敵せずと知るべし」。江戸文学の流れをくむ精緻な文章技巧と辛辣な皮肉に特色があった人物です(日本近現代人名辞典、吉川弘文堂刊)。彼の生活は随分苦しかったようですが、文筆業だけで独立独歩の人生を送ることは並大抵なことではありません。若い頃このことを知って以来、文筆をもって生業にしている人には今も尊敬の念から先生呼称をすることにしています。

さて政治やサイエンスの分野で評論活動を続け、その業績によって菊池寛賞(1983年)、司馬遼太郎賞(1998年)を受賞され、今も現役大学教授(東大・教養学部、立教大学21世紀社会デザイン学科)として、週に3コマの授業を担当している立花隆(68歳)も正真正銘の先生です。その彼が、「文藝春秋」の4月号から7月号に4回にわたって、「同時進行ドキュメント 『僕はがんを手術した』」を連載しました。ご自分の膀胱がんの闘病体験をそのままノンフィクションの作品に仕上げたのです。ジャーナリスト精神の鑑だなどと敬服しているだけではありません。前立腺症状のある私にとって泌尿器科のことは他人事とは思えないのです。

さすがに、プロのジャーナリストで、宇宙、サル学、脳研究などサイエンスものにも強い先生だけあって、ご自分の病気について私など足元にも及ばないほどたくさんの専門書を読破して、人類最大の謎「がん」に正面から向き合ってその正体に迫っています。もちろん、膀胱の解剖、生理から膀胱がんの原因、進行度や、その源にある腎臓機能についてまで薀蓄を傾けておられます。さらには、同じ膀胱がんで倒れた俳優、故松田優作の人生に残された時間の選択のこと、離婚された元夫人が、がんと闘うよりも治療医との闘いに熱中して不幸な転帰をとられたことにも言及されます。

ここでは、この連載から私にとって大変参考になったことだけを抜粋して、皆さんにもご紹介することにいたしましょう。

まず驚いたのは、彼と主治医との「医師・患者関係」の素晴らしさです。

もともと彼は、膀胱がんと診断される前に8年間も、東大病院の循環器内科・永井良三教授(2003年4月〜2007年3月の病院長)に診てもらっていた、「全身『生活習慣病』」患者でした。しかも2002年暮には健康チェック時の検便で何度か潜血反応が陽性となり、永井教授の強い勧めで内視鏡検査を受けて大腸ポリープ切除を施行されています。今回は、その5年後、2007年11月、人間ドックを受診した際の「腹部超音波検査で膀胱内に隆起性病変、尿潜血反応陽性のため泌尿器科で要精査」という結果報告が事前に永井主治医のもとへ入っていたのです。直後の12月3日深夜、徹夜の仕事中トイレで、突然大量の血尿(無症候性血尿)に気付いたことが発端でした。翌4日の昼過ぎに起きて、もう一回の血尿を見てこれはヤバイと感じ、主治医の永井教授に連絡したところ、「もう外科の受付は終わっている時間だから、裏口の救急外来受付へすぐ行きなさい」との指示を受けました。

駆けつけた東大病院・救急外来の泌尿器科では、北村唯一教授(天皇の前立腺がんの主治医として有名)が待ち構えていて、直ちに膀胱の内視鏡検査が実施されます。ペニスの先端にちょっとさわったと感じたときには、局所麻酔剤のゼリーが押し込まれていて、数秒後にはモニター画面に膀胱内が映し出されたのです。患者本人にも膀胱の内壁にカリフラワーのような形の腫瘍を見せられ、「これは立派ながんです」と宣告されました。しかもその日のうちに手術予定日が決められ、年末ギリギリの12月27日に膀胱がんの内視鏡手術が施行されます。

執筆、講演、授業など超過密なスケジュールを縫っての入院・手術です。有名ジャーナリストで度々取材で顔見知りだったとはいえ、やはり立花先生の人徳と日頃の医師・患者関係あってこその離れ業だったのではないでしょうか。

手術前日には、主治医による概念図入りの懇切丁寧なインフォームド・コンセントを受けたことは言うまでもありません。自分の病気のことをよく勉強している患者と、技術力に自信のある臨床医との信頼関係が生れていたことを羨ましく読みました。

次は、手術当日の完璧な除痛処置と内視鏡施術者の見事な腕前にも感心しました。術前の処置の1つに「コンプリネット」という弾性ストッキングを着用させられた上、数分おきに脚全体に空気圧をかける装置を使って、脚部にうっ血が起きて血栓が飛ぶことを防止する処置も受けています。もちろん、麻酔医から「くも膜下」に麻酔薬ブピカイン3mlを注入する「脊髄麻酔」をされます。不思議なくらい軽い痛みを感じただけでみるみるうちに下半身の感覚が失われてしまい、まずは体内に内視鏡が入ってくるわけですが、実感的には何も感じません。まるで下半身がなくなったみたいだと思ったそうです。

肝心の多発性(彼の場合3個)膀胱がんの手術は、TUR−BT(経尿道的膀胱腫瘍切除術)と呼ばれる内視鏡手術です。今日では内視鏡が完全電子化されていて、肉眼で見るという行為はどこにもなく、カメラがとらえた対象の映像をみんなで共有するのです。施術者(東大・泌尿器科でも手術の腕がピカ一といわれる西松寛明医師)が見ている映像は、患者やその他の関係者全員が見ている映像とすべて同じなのです。

問題の内視鏡(オリンパス社のチューリスという器械)は、診断用のプラスチックの軟性鏡(6mm)とは違って、金属製の何と9mmの太さで、術後、こんなに太いものが尿道の中に本当に入っていたのと目を疑ったと言います。 西松医師から、人間の適応力はすごいもので、局所麻酔剤と潤滑剤があればコツとワザを習得することで入るのだ、と説明を受けて納得しています。精巧な三重構造になっている一番外側は灌流管で、手術中の出血のため視界が曇るのを水で洗い流す仕組みになっています。その中に通っている特殊な電気メスは、ループ状の電極部に高周波電流が通電すると火花放電を起こすことによりメスとしての働きをして、主要部分を削ってゆくのだそうです。手の操作でメスを目的の位置へ導き、足でフットスイッチを押して通電すると一瞬のうちに切れます。この手と足とが一体となって連動するのが名人芸の操作です。彼の場合、手術の正味時間は50分で済みました。

手術そのものは麻酔の下で行われるので、別に痛くもないし、苦しくもないのです。手術のあとに第二ステージの治療が始まり、そちらの方が大変だった言いますが、具体的な体験談は書かれていないので大したことはなかったのでしょう。こうして粘膜下層にとどまって筋層には達していない、彼の「中期」表在性多発性膀胱がん切除は見事に成功したのでした。

 また、昔から東大病院の先生方の取材を重ねてきた彼にとって、東大病院が現代の最先端のモダンな大病院に変身しているのを体験したのも大きな驚きだったとも言っています。私も、60歳代までは慢性の重篤な病気に侵されたら同級生のいる母校の大学病院で治療を受けたいと思っていました。でもこの連載を読んでからは、東大病院も悪くないなと宗旨替えをするに至りました。でも立花隆先生だからではなく、一般の誰でも同じ治療が受けられることが前提であることは言うまでもありません。

 
                           (2008年6月25日
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