ドクター塚本  白衣を着ない医者のひとり言
No.117 「死因不明社会」の処方箋
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 医者出身の作家を何人くらいご存知でしょうか。数えたことはありませんが、明治・大正の文豪、鴎外森林太郎を筆頭にかなりの人数がいるはずです。医籍に登録されているというご縁しかないのに、私も本籍が同じなんだという親近感のせいか、彼らの作品は割りに沢山読んでいるほうです。今売り出し中の現役の勤務医兼業作家、海堂尊(かいどうたける、ペンネームで本名は非公表)もその一人です。

2006年2月に処女作「チーム・バチスタの栄光」(宝島社)を発表するやいきなり、その年の第4回「このミステリーがすごい!」大賞を受賞されます。それ以来、業界でも有名な速筆作家として矢継ぎ早に新しい作品を発表して、ベストセラー作家に躍り出た方です。彼は1961年生れ、千葉大学医学部卒、外科医を経て現在は病理専門医として研究系病院に勤務をしておられるそうです。

 海堂尊の最大の特徴は、病理専門医の立場から「死亡時画像診断」Autopsy imaging 以下略してAi(エーアイ)を、日本の医療社会に定着させるという提言をしたいがために作家活動をなさっている点にあります。専門医としてAiのことを進言されると、多くの医療関係者から即座に賛同を得るのですが、行政の方は一向に動こうとはしません。Aiの普及活動に限界を覚えたときに、ふと思いついて謎解きにAiを使って書き上げたのが「チーム・バチスタの栄光」というデビュー作(今年2月には映画化されています)でした。つづく3作「ナイチンゲールの沈黙」、「ジェネラル・ルージュの凱旋」(ともに宝島社)と「螺鈿迷宮」(角川書店)もAiをモチーフとした医療ミステリーで、小説として成功しただけでなくAiを普及させるのに一役買っています。

 専門医としての提言と作家活動とがこの人ほど見事にマッチした例を私は知りません。昨年12月には、「科学もの」新書として定評のある講談社・ブルーバックスから「死因不明社会 Aiが拓く新しい医療」を上梓され、「Aiを社会制度に組み込むべし」というメッセージをダイレクトに発信して一気に正面突破を図ろうとしておられます。これまた「科学ジャーナリスト賞2008」を受賞されることとなり、5月30日には東京・内幸町、プレスセンターで授賞式が行われる予定です。海堂尊の多才で精力的な活躍ぶりには全く目を瞠るばかりです。

 ところで、Aiとは何ぞや?の前に、「解剖」のことに触れてから私流に解説することにいたしましょう。以前、解剖実習をしない医学生はいないことを話したはずです。これは「系統解剖」と呼ばれ医師養成のため教育目的で行われるので、Aiとは関係ありません。

 そのほかにわが国の制度して、次の3つの解剖があります。

@   病理解剖(医療関係者は「剖検」と呼んでいます)、A司法解剖と B行政解剖です。縦割り行政の典型でそれぞれ管轄が異なり、@は厚生労働省、Aは法務省・警察庁、Bは地方自治体ですが、解剖件数は年間概数で、@2万体、A5千体、B1万体です。年間で総死亡者数約110万人のうち3%未満の解剖実施率しかありませんが、それも年々減少傾向にあります。

 それぞれの目的は、@病理解剖が病気の原因や治療効果の診断のため、A司法解剖は犯罪関連の遺体に裁判所命令で執行され、Bは病理、司法の中間的な性質を持ち、明らかな犯罪関連死体とは確定できないが、死因が不明の「異状死」を対象にしているのです。

社会的に解剖が必要とされる理由を要約すると、@死因の確定、A医療の監査、B公衆衛生学的なデータの集積ということになります。いずれも医療の根幹をなす極めて重要な要素であることは言うまでもありません。

 病理解剖を例に、なぜ減少傾向にあるのか、海堂尊は臨床医が解剖を毛嫌いする理由を具体的に次のように列挙しています。

1)遺族の了承を取り難い(解剖は遺体の損壊を伴うので遺族が拒否するのは自然の感情)。

2)手間がかかる(それでなくとも日常業務で繁忙を極める臨床医は、忌避したいのが心情)。

3) 結果報告が遅い(通常、報告が臨床医に戻るのに1か月以上かかる)。

4) 画像診断の進歩が著しい(解剖せずに状況把握できると臨床医が過信)。

5) 医療の高度化による分業体制(特化した専門病院へ紹介するので、委託した病院は治療に携わらず、死因追求の意欲欠如)。

6) 高額の費用がかかる(1体につき25万円〜50万円)。

7) 費用拠出が行われていない(医療費抑制政策のつけ)。

8) マンパワーの減少(2006年現在で、病理専門医は1928名、司法・行政解剖担当の法医学専門家は119名)。

 これではわが国が「死因不明社会」になっても仕方ないと言わざるを得ません。そこで問題解決の切り札として登場するのが、「死亡時画像診断、Ai」です。先月も読売新聞の医療ルネサンス欄に「死因の画像診断」が連載(4月21日〜25日)され、膠原病治療中の老婦人の急死や、自動車運転中に電柱に激突した事故死が、解剖しないでAiによって死因が解明されて遺族が納得した事例が紹介されていました。

 「Aiとは、患者の死亡後にCT、MRI、超音波検査などの画像診断を行い、結果を正確な剖検につなげ、死因解明に役立てるシステムである」という概念が提唱されたのは2000年のことでしたが、すでに2004年には「Ai学会」が設立され、2007年からは千葉大学付属病院に最初の「Aiセンター」もオープンしています。

 ここで、従来の解剖とAiの優劣を比較してみますと、圧倒的にAiの方が優れているのです。その項目を列挙しますと、@検査のしやすさ、A遺族の承諾の得やすさ、B費用(コスト)、Cスピード、D設備設置率(わが国のCT装置の導入率はOECD平均の4.1倍と断トツ)、Eマンパワー(画像診断医だけでなく一般臨床医も可能)、F労力、Gエシックス倫理(遺体の損壊を伴わない)、と8項目にものぼります。診断の確定については、「解剖検索の行われる領域」だけはという付帯条件つきで解剖の方がが優れているだけです。

このように良いことばかりのようですが、通常の患者を検査する器械に遺体を載せることへの抵抗感があるという医療者側からの反論もあります。しかしAi検査では、遺体を使い捨てのディスポシーツにくるんで汚染しないように検査しています。死亡者が出たあとのベッドに新たな患者が平気で寝ているのが病院での現状ですから問題はありません。

 国が費用拠出することを条件に、すべての死亡者にAi実施を義務付けようとするのが海堂尊の提言なのですが、その費用はざっと500億円、国民医療費の1%、3000億円を医療監査費用に充てるという基本原則さえ確立すれば、現在ある救急医療センターに「Aiセンター」を併設するにしても十分お釣りが来る額だと推算しています。最大の難問と考えられるAiの費用も、行政にやる気さえあれば解決すると海堂尊は言い切っています。本当に彼が提唱するとおり、わが国にAi制度が確立する日は来るのでしょうか。注目して見守ろうではありませんか。

                           (2008年5月28日
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