ドクター塚本  白衣を着ない医者のひとり言
No.116 「貧困が生み出した肥満大国」
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 私は、年金生活者にとってはインフレが一番怖いという程度の知識しかない、まったくの経済音痴です。アメリカでの「サブプライムローン」問題が世界経済に与えた影響についても、自分には関係のない別世界の他人事でした。たまたま堤 未果「ルポ 貧困大国アメリカ」(岩波新書 2008年1月刊)を読んで、この問題が単なる金融の話ではなく、過激な市場原理が、経済的「弱者」を食いものにした「貧困ビジネス」そのものだったことを知って愕然としました。極端な民営化の果てに貧困大国になったアメリカの現状をみるにつけ、わが国にとっても対岸の火事視できないと思い知らされたのです。

 この著書の第1章「貧困が生み出す肥満国民」を見て、このことなら私も知っていると40年以上も前の昔話を思い出しました。

 明治生命の診査医を経て本社の査定課に転勤して来た当時のことです。直属上司の三原通先生(故人)から肥満のことを勉強してみたらと言われたのがきっかけとなり、医学図書館で肥満文献を調べ始めました。そのなかに、アメリカ医師会雑誌に掲載された ムーアM.E.Moore(1962年)やゴールドブラット P.B.Goldblatt(1965年)の肥満と社会的要因に関する論文がありました。マンハッタンでの精神障害者罹患率を調査した疫学的研究(Midtown Manhattan Study)では、性別、年齢別にみて、社会・経済階層が高くなるにつれて、肥満者の出現頻度が明らかに低下しているという研究データに衝撃を受けました。当時の日本人は、経済的に恵まれた階層ほど肥満者が多いというのが常識だったからです。さらに、肥満の発生は社会現象の一部とみなすべきで、とくに経済的要因よりむしろ、職業、社会的地位、教養などの方がより決定的役割を果たしているというゴールドブラットの結論に興味を引かれました。

 これらの論文に触発されて、明治生命の昭和43年度の新契約・有診査契約者を対象にして、職業別、平均保険金別の体格(丹治指数による)分布を調査しました(保険医学雑誌、68巻、1970年)。その成績は加入時の平均保険金額の高い職業ほど、肥満の発生頻度が高く、当時の日本人の常識と一致していて、アメリカとは逆の結果でした。小さな論文ですが、日本人について肥満の社会的背景を追及した先駆的な論文だと今でも自画自賛しております。

 その後、アメリカでは年を追うごとに肥満者が着実に増加の一途をたどり、南太平洋の一部の島を除いて文句なく世界一の「肥満大国」になったし、国民保健上の最大の問題になっているのはご存知のとおりです。ノンフィクション作家クライツァー Greg Critser が著した「デブの帝国」 FAT LAND(竹迫仁子訳 バジリコ(株)2003年6月刊)は、いかにしてアメリカは肥満大国になったのか、を多方面から追求した出色の全米ベストセラーです。

 その中から2つの側面についてご紹介してみましょう。

1)高果糖コーンシロップとパーム油の普及
 ニクソン、フォード両大統領の農務長官、アール・バッツの行った農業政策が発端です。もちろん農民票の掘り起こしに起用された農業経済学博士のバッツ長官は、生産者の市場拡大を狙った食糧の輸出規制を撤廃することにより、「柵から柵まで」トウモロコシの苗の植え付けを奨励し、70年代半ばにはトウモロコシの生産量がつねに前年を上回るまでに増産され、農民の収入も同じように脹らんだのです。インスタント食品会社に幸いしたのは、過剰に出回ったトウモロコシを原料にした「高果糖コーンシロップHFCS」が蔗糖よりも6倍も甘い上にコストが安く、冷凍焼けを防止する科学的特質も持っていたことです。困ったことに果糖は分解過程を経ずに肝臓に達するという「代謝の短絡」のため、肥満の原因を作ることになります。

 もう一つ、バッツ長官がやった政策にパーム油の輸入自由化があります。マレーシアなどに生育するアブラヤシから取れるパーム油は、安くて、豊富で美味しいスナック菓子など高カロリー食品の製造に欠かせないものですが、これまた困ったことに悪名高い飽和脂肪酸の含有量がラード(豚脂)よりも高いので、脂肪蓄積の犯人になってしまいます。

 農業におけるバッツの改革は見事にアメリカ人の食習慣を根本から変えてしまい、肥満の大敵である不健康な高カロリー食を蔓延させたのです。肥満は政治が作ったと言ってもよいでしょう。1970年代のことです。

2)「ライフスタイル革命」と食文化の変化
 女性解放運動が象徴する個人の自由の追求や企業家の進取の精神が、80年代のアメリカの一般家庭に大きな変化をもたらし、際限のない食品消費の文化を根付かしてしまいます。家庭での自由とひきかえに時間が犠牲となり、子どもの世話にかかる時間が削られ、家族揃って食卓を囲むという時間にいたってはますます希少価値になります。外食が増えるにしたがって総摂取カロリーが増加してゆき、アメリカ人は栄養の調整と自制心を放棄してしまうのです。

 これにつけ込んで外食産業が急成長します。これでもかこれでもかというジャンボサイズの食品が普及すると同時に、間食のスナック食品が品数豊富に大量に販売され、おやつ好きの子ども達が手を出すようになります。

 基本的に高カロリーをどんどん受け入れてきた80年代の親達は、思わぬところで肥満の共犯者を得ることになります。公立学校制度がそうです。

 子どもの世話を学校まかせにし始めたころから、生徒を肉体的にも精神的にも鍛錬するはずの教師の権限が制限されるようになり、とどめを刺したのは学校予算の削減でした。まずは学生食堂のアウトソーシングも上手くいかなくなると、外食産業は学校昼食プログラムの枠内で売るのではなく、規制外の学生食堂の外での販売を開始し、ついには学校給食という巨大マーケットを狙ってファーストフード・チェーンが自社の昼食メニューのブランド商品を提供するに至ります。コカコーラなどのソフトドリンクの販売も過剰なカロリー摂取に追い討ちをかけることになりました。外食産業の急成長の結果、総摂取カロリーに占める外食の割合も増加して、1977年には18%だったのが、1995年には35%へと倍増したのでした。

 こうしてひたすら肥満大国への道を突っ走ってきたのがアメリカですが、堤 未果は「貧困大国ルポ」のなかで、ますます肥満が増えている現状をつぶさに描き出しています。ニューヨークでは、児童の4分の1が貧困児童であり、その3分の2が学校の「無料‐割引給食制度」に登録していて、学校のカフェテリアでジャンクフードのオンパレード(ハンバーガーにピザ、マカロニ&チーズにフライドチキン、ホットドッグなど)を食べています。とても子ども達の健康を考えて作り出したものとは思えないのです。それもそのはず、現実に学校を販売促進センター化したマクドナルドやピザハットなどの大手ファ−ストフード企業が、学校と契約を結んだ結果だからです。

 彼らの親も多くは、貧困ライン以下の家庭に配給される食料交換クーポン、フードスタンプ、つまり食料配給切符に頼っています。フードスタンプを握り締めてスーパーへ買出しに行くとき、調理器具も調味料も要らないでお腹がいっぱいになる食品、とりもなおさずジャンクフードのコーナーへ行くのです。肥満大国にならないはずがありません。

 40年前には肥満の社会的要因が日本と全く逆方向にであったのに驚いた私ですが、現在は貧困が原因で肥満大国にのし上がってしまったアメリカを知って、何とか日本も同じ轍を踏まないで済むよう願わずにはおられません。

                           (2008年5月14日
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