ドクター塚本  白衣を着ない医者のひとり言
No.111 「医療費亡国論」は本当か(その3)
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 前回も申しましたが、医療費が年々高騰するのは当然のことなのです。昭和一桁世代の私が医学校を卒業した当時の医療内容は、今と比べると質量ともに雲泥の差があります。お医者さんのシンボルは白衣と聴診器だと言われていますが、当時の診察室では聴診器のほかは素手で行う視診、聴診、打診、触診などが重視されていました。「まず検査しましょう」から始まるのが現在の診察風景です。しかも検査の種類は増える一方のうえ、日進月歩の医療技術の進展によって高度な検査が次々に導入されています。治療のことは言うに及ばず、患者が欲する「良い医療」を受けるためにコストがかかるのは当たり前のことなのです。無駄遣いや不正請求を排除するための抑制ならいざ知らず、もともと政策としての医療費抑制には無理があります。国際的にみても医療費が高騰していない国はどこにもありません。

 まずはわが国の医療費がどのようなレベルにあるのかみてみましょう。OECD(経済協力開発機構)は、1960年から医療に関する各国のデータを収載した「OECDヘルスデータ」(2007年版が最新のもの)を公表しています。数あるOECDの公表資料のなかでももっとも利用価値の高いデータベースとされています。この中から医療費に関連した主な内容を紹介しますと次のとおりです。(「OECD日本政府代表部」HP、「社会実情データ図録」ご参照)

@     医療費のGDP比率

 国によって医療制度、保険制度が異なり、比較のための補正が必要なので、厳密には「国民医療費」と同じ数字ではありませんが、国際比較をする際には「医療費のGDP(国内総生産)比率」が良く使われます。日本は、8.0%、OECD30か国の平均値は9.0%で、30か国中22番目です。先進G7のなかでは言うまでもなくアメリカ(15.3%)は断トツのトップですが、わが国は最下位となっています。また医療費に占める公的支出をみますと6.5%で、OECDの平均 7.4%を1%近くも下回っていて、先進国のなかでは最低です(こちらはフランスの8.9%が最高となっています)。

A     一人当たりの医療費

 一方一人当たりの医療費は、OECD平均が2,759ドルに対して、日本は2,358ドルで、30か国中19番目となっています。一人当たり医師診察回数はというと、平均6.8回に対して日本は13.8回と平均の2倍以上の断トツです。したがって、「国民」一人当たりではなく、「患者」一人当りの医療費は文句なく最低レベルということになります。

B     医師数(人口千人対)

 医療従事者の代表とも言うべき医師数は、平均が3.0人なのに対して日本は2.0人で、3分の2と少ないのです(米、独、仏、スウェーデンはいずれも3.4人)。

 数字の羅列はこの辺で止めますが、要するに国際的にみてわが国の医療は低コストの模範生だというのが世界の常識になっているのです。日本医療経済学会会長である日野秀逸・東北大学経済学研究科長・学部長は、OECDのデータを基に日本の経済力を考慮して、OECD上位10か国の平均値と等しくする、つまり先進国並みの医療費をわが国が支出するという仮定に立つならば、約10兆円の医療財源を投入して然るべきであると試算しています。具体的には、現行の国民医療費約33兆円を約43兆円程度に増額してようやく先進国平均に到達できるという提言をしています(「世界」2008年2月号)。また彼は、現在26万人の医師数は絶対不足の状況で、OECD平均の医師数にまで追いつくためには約13万人も増やさねばならないとも言っています。

 ここで、イギリスの体験から学ぶべきだとする、医療経済の専門家の見解もお聞きしてみましょう(川渕孝一・東京医科歯科大学教授「医療費抑制が病院を殺す」、中央公論2008年1月号)。

 ご存知のサッチャー首相時代に医療費抑制政策を断行した結果、イギリスの医療費はGDP比率で2000年に7.3%(日本は7.9%)と先進国中最低だったのですが、ブレア政権になってから行った「医療改革」で、まず医療費を増額しました。2002〜07年の間に医療費の年伸び率は約11%(金額にして約10兆円)に達して、あっという間に日本を追い越して最低国から脱却したのです。財源が潤ったことで、医療資源も緩やかに増加に転じ、専門医・研修医数や看護師数の伸び率がそれぞれ6.3%、4.3%(2000〜04年)と増加した結果、イギリス最大の懸案だった「長い入院待ち」も短縮傾向にあります。これまで「格下」だったはずのイギリスに、わが国は医療費のみならず医療へのアクセスでも後れをとるようになっています。

こうした量的確保(ステージ1)につづいて、医療の質と安全の改善も行われました(ステージ2)し、さらに「医療の可視化」(短絡して言うと評価システムの導入です)と報奨の供与も実施しています(ステージ3)。

川渕教授は、わが国もこのような「政府が医療費を増やして医療の質を底上げする英国モデル」を選択したいところだが、残念ながら日本にはトニー・ブレアがいないと、慨嘆しておられます。

足元の日本の現状を見直してみましょう。吉村局長の「医療費亡国論」(1983年)の頃からOECDヘルスデータは分かっていたはずです。それにもかかわらずと言いたいのですが、1997年には、国民医療費が2000年には38兆円、さらに2010年には68兆円に達するという予測値を厚生省は公表したのです。この予測値に踊らされて医療費亡国論の宣伝に一役買ったのは当時のマスコミでした。前回ご紹介したとおり、2005年が33兆円でしたから、まさに国民医療費を抑制するための厚生省による情報操作としか言いようがありません。鈴木厚・川崎市立川崎病院地域医療部長は、このようなウソのデータを示し、国民の将来不安をあおって、医療費抑制政策を遂行しようとした政府を怒りをこめて糾弾しています(鈴木厚:「崩壊する日本の医療」(株)秀和システム 2006年11月刊)。

このような流れのなかで登場したのが小泉首相でした(2001年4月)。5年半の小泉政権のもと、歴代の自民党政権と比較してもはるかに厳しい医療費抑制・患者負担拡大政策が強行されたのです。

「改革は痛みを伴う」というのが彼の謳い文句だったことを思い出してください。医療費抑制政策の中心は、2002年の健康保険法改正による健保本人の自己負担率の引き上げ(2割→3割)と、診療報酬の史上初の引き下げ、追い討ちをかける2006年の史上最大の診療報酬引き下げと医療制度改革関連法の成立でした。これらが1980年代以降、四半世紀も継続された世界一厳しい医療費抑制政策の「最後の一撃」となって、現今の医療崩壊・危機を招くことになったことは明らかだ、と批判を強めているのは、二木 立・日本福祉大学教授です(「医療改革 危機から希望へ」勁草書房 2007年11月刊)。

 小泉元首相のあの政治手法には根強い人気があって、今も一部で彼の再登場説すら囁かれているそうです。でも私は結果論ながら、事「医療政策」に関する限り、「小泉失政論」に加担したいと思います。さて皆さんはどのようにお感じでしょうか。                                               
                                (つづく)
 

                               (2008年2月27日) 


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