ドクター塚本  白衣を着ない医者のひとり言
No.110 「医療費亡国論」は本当か(その2)
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 1983年当時、吉村仁局長の医療費亡国論がまかり通ったのにも、それなりの社会的な素地があったと思います。国民皆保険の導入(1961年)によって、自己負担ゼロの健保・本人はもちろんのこと、患者数の増加に伴って医師の収入が増えたのは当然の結果でした。武見太郎・日本医師会長をして、医師集団の3分の1は「欲張り村の村長さんだ」と嘆かせたほど金儲けに走った医師がいたのも事実でした。銀座で遊んでいるのは医者ばかりとか、高い入学金を支払って新設医大へ外車で通学するのは医者の息子だけ、とか言われたのも昭和40年代のことでした。たしかに日本の医療が医師会主導の時代は、医者の驕りが目立った時代だったのです。奢れる者久しからず、医師会主導にとって変わる厚生省主導時代の政策キャッチフレーズこそ医療費亡国論でした。

 しかし医者すべてが金持ちだったというわけではありません。私のようなマイノリティは例外としても、昭和32年卒業の同級生のなかで、「高額納税者番付」に載ったのはたった一人(T県で親の代からの病院経営者)だけでした。その同級生に聞いてみました。彼は、近所に腕の良い医者がいなかったせいもあって、外科医として脂の乗り切った時期、体力に任せて切りまくったし、幸い見事に治癒させた実績が高収入を齎したと思う、と述懐していました。でも同級生の大部分は病院の勤務医でしたから、世間で言う金持ちにはとても見えない連中ばかりです。

 行過ぎた金権主義に走った奢れる医者に対する世間の目は厳しく、マスコミもこぞって医師バッシングの報道を展開するようになり、厚生省の医療費抑制政策に賛成する世論を作り上げて行ったのです。それもそのはず、「国民医療費」は経済の高度成長、国民の高齢化と歩調を合わせて年々高騰をつづけ、財政を圧迫していることが誰の目にもはっきりしていたからです。

 もともと医療費は複雑な仕組みにより構成されています。
 ここでいう「国民医療費」は、医療機関などにおける「傷病の治療に要する費用の推計値」で、毎年厚生労働省が発表しているマクロ経済の数字です。その範囲を治療費に限定しているために、@正常妊娠や分娩、A健康診断(人間ドックを含む)や予防接種、B固定した身体障害のための義眼、義肢、などに要した費用は除外されています。さらに患者負担の入院時室料差額分、歯科差額分などの費用も計上されていません。

 ざっと国民医療費の動向を追ってみますと、最初に発表された昭和29(1954)年度には2152億円だった推計額は増加の一途をたどり、国民皆保険達成の昭和36年度以降は増加が一段と加速して、40年度に1兆円、53年度には10兆円を超えました。その後も、治療費を「介護保険」に移行させた平成12年度とか、診療報酬本体で初めてマイナス改定をした平成14年度などの例外を除いて、国民医療費の増加に歯止めはかかりません。平成17年度は、前年より約1兆円増加して33兆1289億円と、過去最高水準に達しています。当然ながら国民一人当たりの医療費も増加の一途で、2400円だった昭和29年度から、1万円台(40年度)、10万円台(55年度)と上昇をつづけ、平成17年度には25万9300円に達しています(数字の詳細は厚生労働省のHPから「国民医療費」を検索してご覧ください)。

 この年間約33兆円が高いのか安いのか、が問題です。前回ご紹介した本田宏医師はこんな比較をしています。ガソリン税で有名になった道路整備のための公共事業に充てている予算は、何と約50兆円であるのに、国民医療費のうち国庫からの支出は約12兆円(全体の36.4%)で、公共事業費に比べてはるかに小さい額だ、と言うのです。これでも医療費を削らないといけないのか、と怒りをこめて疑問をぶっつけています。

 もっと分かりやすく、高速道路に設置されている緊急電話の値段は、1台につき250万円もかかっています。外科医の本田先生が、二人の胃がん患者を手術し、それぞれ1ヶ月間、検査・治療をつづけながら入院してもらって、病院に入る診療報酬はやっと240万円でしかないそうです。胃がんの手術を一人でこなすようになるまで10年近くもかかることを考えるとため息が出てしまうと嘆くことしきりです。

 またこんな比較もあります。平成16年度の数字ですが、国民医療費31兆円に対して、パチンコ産業が同水準の31兆円、葬式産業は半分の15兆円だそうです(鈴木厚「崩壊する日本の医療」秀和システム 06年11月刊)。いずれの数字もこれではマクロでみると医療費が高いとは言えそうにありません。

 それでも医者は儲かっているから医療費を上げる必要なし、という議論もありそうです。実際には、病院に勤務する医師の給与は一般の人が考えているほど高くありません。厚生労働省の2005年賃金構造基本統計調査によると、勤務医(39.9歳)の平均年収が1047万円に対して、医師同様、高度で特殊な技術が求められる専門職の所得と比べてみると、パイロット(39.0歳)の年収は1323万円、弁護士(40.5歳)のそれは1171万円と、いずれも勤務医の給与を上回っています。週刊東洋経済の調査でも、ほぼ同年齢の、フジテレビ、三菱商事、電通、三菱UFJ、野村HD、新日本石油、三井不動産など大企業サラリーマンの平均年収の方が高くなっています(2006年10月7日号)。医師が給与を貰い過ぎだというのは退職金が極めて少ないことも考えあわせると完全な誤解だと、本田医師は断言しています。

 勤務医の待遇は給与だけではないのです。その過酷な労働条件は無視できません。1ヶ月間休みを取らずに働いた勤務医は全国に3割近くおり、7割以上の医師が宿直明けの日もそのまま連続勤務をしています。1ヶ月の残業時間が「月80時間以上」の勤務医が3割を超えています(日本医師労働組合連合会のアンケート調査)。

 一方開業医の方は、患者が軽症で訴訟リスクが少なく、仕事が楽な割に所得は高いのです。医療経済実態調査(2005年6月時点)によると、介護事業を行わない一般開業医(無床診療所)の平均年収は2724万円となっています。これではたくさん働いても報われない勤務医が、開業医へ移動するのは当然の現象で、病院は崩壊寸前だと指摘しているのは、川渕孝一・東京医科歯科大学教授です(中央公論、2007年6月号)。

 もともと国民医療費は、これまでも、さらに今後も上がっていって当然なのです。大きな要因の1つが人口の高齢化にあることは誰しも指摘するところです。平成17年度の年齢別国民医療費をみても、65歳以上の医療費は16.8兆円で全体の半分以上(51%)となっています。1人当りの医療費も64歳未満が15.92万円であるのに対して、65歳以上では65.57万円と4倍以上です。さらに75歳以上では81.91万円と5倍を超えています。

 もう一つ、医療経済の特殊性があります。ふつう技術革新は生産の効率化を促進して生産コストを下げることができます。日常使っている家庭電気製品などその好例です。一方、医療技術の進歩は診断、治療に大きな貢献はするものの、効率化どころかコスト削減とは逆の人件費を初め経費増になります。患者満足度は上がるがコストも上がるのが特徴です。マクロ経済的にみて、医療費は抑制できない宿命をもっていると申せましょう。 

                             (2008年2月13日) 


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