ドクター塚本  白衣を着ない医者のひとり言
No.11 日本人の「寿命」を考える(その2)寿命学の大先達
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 今年のお正月、初詣に各地にある七福神めぐりをなさった方も多いのではないでしょうか。七福神信仰は古く室町時代からあって、人間の七福である「寿命、有福、人望、清廉、愛敬、威光、大量」をこの順に「寿老人、大黒天、福禄寿、恵比寿、弁財天、毘沙門、布袋」という七人の神に結びつけ、江戸末期からは信仰というよりも一種の行楽としてその巡行が盛んになったものだそうです(歴史探偵をもって任じている半藤一利の説)。

 さて、ここでお話する寿命は、「寿」という文字も入っていて長生きでお目出度いというニュアンスもあるのですが、七福のトップに上がっている寿命というよりは西洋からの輸入品の考え方です。その包括的な定義では、「生物の生存時間」のことを指します。さらに、これを生物の個々の種には最長どれだけの生存時間があるのかを論じる「天寿」あるいは「限界寿命」と、集団の平均的な生存時間の期待値である「平均余命」とに大別しますが、前回も生命表の話をしておりますので、0歳の平均余命である平均寿命のことであることは言うまでもありません。「平成14年簡易生命表」(もう一度検索してみてください)には、x歳の平均余命が男女別に記載されていますからご覧になれますが、平たく言うと、これはx歳の生存数から生命表の死亡秩序にしたがって順次減少して、最後は死に絶えるまでの延べ生存年数(数学的には生存数を積分したもので、Tとよびます)をx歳の生存数で割り算しています。(Tx÷lxですからすぐ確かめることができます)生命表は年齢別の死亡率なしには作成できないので、平均寿命もまさに年齢別死亡率の別表現ですから、寿命学者は死亡率の専門家その人ということになります。

 ここで日本を代表する二人の寿命学者にご登場願うことにいたします。渡辺 定(1891−1976)と菱沼従尹(1915−1995)です。ともに生命保険人でMA(医学とアクチャリー学)をそれぞれ代表する大先輩ですから、生前のお二人をご存知、あるいはお付き合いされた方もおられることと思います。前者は、戦前の元・安田生命医長を長く務められ、日本医師会専務理事を経て、戦後は厚生省嘱託で昭和29年に寿命学研究会を創設し、その初代理事長。後者は、元・第百生命専務取締役、元・日本アクチュアリー会理事長で、亡くなられるまでこの研究会の2代目の理事長を務められました。

 まず、安田生命医長時代における渡辺先生が果たされた保険医学への貢献は目覚しいものがあります。先生は、「弱体保険資料調査報告書」を初め今日「欠陥研究」と呼ばれる被保険者集団のコホート・スタディの方法論を確立されましたし、すでに昭和18年に「寿命予測と生命保険」と題する保険医学の教科書を著しておられ、保険医学の理論的な神髄は寿命学であると喝破されています。

 彼は「ダンディで新しもの好きだった(菱沼)」そうですが、まだわが国が世界の寿命中位国にとどまっていて、寿命学に対する認識や関心が少なかった1950年代当時から、一途に寿命学研究に没頭していかれ、さきの寿命学研究会の設立につづき「あなたの寿命革命−朗らかな老年−」(1959年、朝日新聞社)を刊行されて、世間に寿命革命という言葉を根付かせた功労者でもありました。

 余談ながら、世界に冠たる長寿国・日本になっている今日、この財団法人寿命学研究会が開店休業のままというのは何とも寂しいかぎりです。幸い、私は先生の晩年、一度だけ先生を囲む会に出席させていただき、「諸君は譬えると博徒の用心棒だから斬れ味の鋭い技を磨きなさい」と激励されたことを覚えています。ついでに「ひとり言」を申しますと、先生は日本における保険医学のお母さんでありながら、産み落とした子供を残して親戚の他家である寿命学へ再婚された方だったと言えそうです。

 閑話休題。渡辺先生は1965年に寿命学の樹立(ロンドンの動物寿命学の権威コンフォート博士と相談した英文名はBiotologyです)を提唱され、独立した科学としての寿命学の体系を組み上げられます。詳細は彼のオリジナル論文に譲ることにしますが、寿命予測論あり、寿命延長論あり寿命価値論(哲学的考察)ありで、今日でもいささかも色あせずにメイン・テーマを網羅した総括がなされています。そのなかから、日本人の寿命の将来予測についてだけご紹介しておきましょう。

 彼は1960年当時の世界の長寿国であったスェーデン、ノルウェー、オランダなどの各国の各年齢階級における最低死亡率だけを抜き取って組み合わせ(たとえば0歳はオランダ、1−4歳、4−9歳はスェーデン、10−14歳はニュージーランドを、というふうに)、新たな死亡秩序で構築されている「仮定の生命表」から、現代の人類が最良の条件下で到達し得る平均寿命は何歳になるかを計算した結果、いわゆる「世界最長平均寿命」は男性は72.2歳、女性は76.5歳であると発表されています。ちなみに当時のわが国の平均寿命は、男女それぞれ65.32歳と、70.19歳(1960年)で、将来、わが国は男女ともに6歳以上の寿命延長が期待できると予想されたのでした。

 もう一人の大先達は菱沼従尹です。彼は1976年の秋、東京でアジアで初めて開催された第20回国際アクチュアリー会議を見事に成功させた立役者のお一人でもありました。この会議において日本を代表しての招待講演「人類の寿命に関する歴史的考察」というレビューを報告され、大きな反響を呼んだのでした。

 その内容を中心に一般向けに分かりやすく纏められた著書「寿命の限界をさぐる 生命表にみるヒトの寿命史」(1978年、東洋経済新報社)は、この分野における数少ない名著となっています。原始人の寿命から説き起こし、もちろん、彼の分類では寿命のらん熟期とされる第二次大戦以降のわが国の寿命まで、人類の寿命の変遷史を克明に跡付けておられます。

 ここでは彼の提唱された「世界最良生命表」のことだけをご披露しておきましょう。作成の手法は、渡辺定と同様で、当時の世界中で性、年齢別にみて最低の死亡率を組み合わせて作成された生命表の平均寿命をもって到達可能な数値としたのであるが、さらに、@ 男女ともにすべての年齢を通じてがんの死亡率を2分の1にする、A 男女とも脳血管疾患、心疾患の死亡率を5歳高齢に平行移動させる、等の仮定を設けて作成した生命表から算出された平均寿命をもって人類の究極的な寿命の推定値とし、男性77.40歳、女性81.70歳をもって推定可能な平均寿命の限界であると結論付けられました。(1975年の日本人の平均寿命が、男女、それぞれ71.73歳、76.89歳だった当時のことです)

 次回は、わが国がいかにして世界の最長寿国になったか、そのプロセスや原因を追いかけてみることにし、また二人の大先達の予測が果たして的中したのかどうかも検証してみることにいたしましょう。


                                              (2004年1月21日)

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