ドクター塚本  白衣を着ない医者のひとり言
No.107 痛みが消えた!(その1)
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 平成も成人となる2008年のお正月は穏やかな好天つづきで明けました。元日、二日はまさに初詣日和でした。新年の挨拶に来た二人の娘一家と小学生の孫らを連れて、それぞれ谷中七福神と日枝神社へ参詣して来ました。歩行数はラウンドで1万7千歩、1万歩でした。無事歩き通すことができたうえ、慢性化していた左アキレス腱の痛みは出ないままです。まずは幸先のよい新春だと一人で悦に入っています。

 たしかにこの痛みは年季が入っていて、50歳ころ(ちゃんと日記で確認できますが)始まりましたので、かれこれ4分の1世紀ものお付き合いです。仕事の出張から帰ったあと、さしたる原因も覚えずに発症したのです。アキレス腱の発赤、腫張、熱感、それに疼痛という4徴候が揃っていました。間違いなく「炎症」による痛みです。近所の整形外科で治療を受けました。それ以来、アキレス腱「滑液包炎」とか「周囲炎」とかの病名で数年に一度の頻度で起こります。直近では2005年の春、オランダ・ベルギーへのパック旅行中に発症して、折角の楽しい思い出が吹っ飛ぶ体験もしています。このときは、どうやら連日の疲れと、昼食、夕食のたびに濃厚でもったりしたトラピスト・ビールの飲み過ぎが原因だったろうと自己診断しています。

 有名病院の副院長を務める整形外科の専門医にも診ていただきましたが、本当の原因は不明のままです。当初から痛風が疑われたにもかかわらず、尿酸値は基準値以下で否定されました。西洋医学のほか、鍼灸、電気治療、低周波、指圧、マッサージ等々、いろいろ試してみました。経験上、炎症の盛んな時期の痛みには、非ステロイド性抗炎症薬(私の場合には、ボルタレン)が有効でした。しかし薬の服用を漫然と続けるのが嫌で、ほかの療法にもトライしてみたのです。結局、何時の間にか痛みは消えてゆきましたので、「日にち薬」がもっとも有効だったということになります。おかげで昨秋、2年半ぶりに海外旅行もできるまでになりました。それまでは、重いスーツケースを引っ張って広い空港内を通り抜けることが出来なかったのです。

 しかし原因不明だけに、またいつ発症するかという不安は拭いきれません。私の住むU市の図書館サービスはかなり充実していて、図書館へ足を運ばずとも、家にいたまま図書の検索、リクエストがオンラインでできます。図書館の新着図書案内を開くことが毎朝の日課の一つになっています。もちろん私の場合は医学関係の図書ですが。

そこで見つけた2つの痛みの本は大変参考になり、最新の「痛み学」の新知識を得ていろいろと思い当たることがありました。まさに「目からうろこ」の体験です。早速ご紹介することにしましょう。

 まずは、「痛み」とは何ぞや、の定義です。国際疼痛学会(IASP)は次のように定義しています。「痛みは、組織の実質的または潜在的な障害(damage)を伴う不快な感覚と情動体験、あるいはこのような障害を言い表す言葉を使って述べられる同様な体験である」。学問的とはいえ、まどろっこしい、スッキリしない定義のようにお感じでしょう。でもギリシャ時代からの痛みに関する論争の歴史をよく反映しているし、最近の研究成果から科学的に裏づけされた定義だそうです。感覚とは外界からの刺激を感じ取る働きのことですが、痛みにはそれだけとは言い切れない部分があります。痛みを受けたとき、怒りが湧き上がったり、泣き出したりという情動反応を伴いますし、呼吸や脈拍なども影響を受けます。単に感覚にとどまらず、感情やからだ全体の機能に関る現象を伴う複雑な性格を持っているのが痛みです。

 臨床の現場では、痛みがあるからこそ受診するという大勢の患者がいます。なかでも私のような運動器の痛みは、腰痛と手足の関節の痛みだけでも有訴者(病気やけがなどで自覚症状のある者)の割合は65歳以上で33、4%、つまり3人に1人もいるという多さです(平成16年「国民生活基礎調査」)。

 さて、痛みの最も手っ取り早い分類に、「急性痛」と「慢性痛」があります。急性痛は、身体のどこかが傷つくと、どの部位にも存在する痛みのセンサーである「痛覚受容器」(よく知られているのは皮膚にある「痛点」です)が反応して、そこからの信号が脳へ伝えられて生じる痛みのことです。これは身体の異常を知らせる警告信号で、身体を守るためになくてはならない基本的な機能です。

 一方、3か月〜半年も続くのが慢性痛ですが、従来は急性痛が長引いているものと考えられてきました。ところが原因となる傷や病気は治っているにもかかわらず長期にわたって痛みが続くという、急性痛の仕組みだけでは説明のつかない不思議な痛みであることが分かってきました。このような痛みは、「慢性痛症」と呼ぶ新たな病気によるものだという理解が必要なのです。短絡して説明すると、@痛みの程度に相応する障害なし、A神経系の歪みから痛みが起こる(痛覚受容器の興奮なし)、B警告信号としての意義なし、Cモルヒネ系の薬物が無効なことが多い、などの特徴的な痛みの病気が慢性痛症です。

 恐れられているがん性疼痛は、がんの進行により周囲の組織を破壊して行きますので、痛みのセンサーがずっと働きつづけます。痛みが長続きしていても原理的には急性痛の仕組みによるものです。

 次に痛みの役割と性質を考えてみます。痛みの刺激から身を遠ざけようとする反応は、すべての生物にとって自分の身を守るための生命維持の根源とも言うべき大切な機能です。ヒトをはじめ脊椎動物の先祖にあたる原始的な動物であるナメクジウオにも、棒でつつくと体を丸めて刺激の源から体をできるだけ遠くへもっていく反射を起こします。「侵害逃避反射」と呼びますが、痛み反射そのもので、脊椎動物における最も古い神経反射です。生物の進化とともに、原始的な痛み反射を土台にして考えることのできる脳に至るまで、高次神経系が構築されるのです。

 つまり痛みには、「原始的である」という特徴があります。発生的に古く、原始的であるということは、他の形に変り得るという性質も持っています(昨年のビッグニュース、人工万能幹細胞iPcellのことを思い出して下さい)。この性質を「可塑性が高い」と言います。粘土の塊を押し込んだところが凹んで、その形が元に戻らなくなりますが、これが可塑性(もともと物理学用語)です。正常な時の痛みの系では、刺激に応じて痛覚受容器は興奮して信号を出して痛むのですが、刺激がなくなると興奮は収まります。ゴムボールのように弾性のある状態です。

 しかし、強い痛みが長く続いたり、神経そのものが傷ついてしまうと、痛み系そのものが、粘土の塊同様、元に戻らなくなります。可塑性によって歪みができてしまうと、もともと独立していた痛み系が、触覚や交感神経などの他の神経系との間に連絡が出来て、神経系のネットワークに混線状態を起こしてしまいます。こうして慢性痛症が起こるのです。

 もう一点、痛みの経路についても説明しておきます。例えばすねをぶっつけた時に、まず最初に感じる鋭い痛みが起こります。これが「一次痛」で、少し遅れておこるズーンとした鈍い痛みが「二次痛」です。一次痛の役割は、「どこ」が「いつ」痛み刺激を受けたのかその正確な情報を痛覚受容器からいち早く大脳に知らせることにあります。つまり「時間的、空間的に識別性の高い痛み感覚」です。

 一方、二次痛の方は、どの部位が痛いのかあまりはっきりしないような、識別性の低い痛みです。しかも、皮膚、筋肉、関節から内臓まで全身のあちこちに分布している「ポリモダール受容器」で感じられるのです。文字通り、多くの(ポリ)様式(モード)、つまり、機械的、物理的な刺激、化学的な刺激、また熱による刺激など、のいずれにも反応する感覚受容器のことです。おそらく初めて聞いた医学用語だと仰る方が多いのではないでしょうか。

 ここまで読んでいただいてもなぜ「目からうろこ」なのかサッパリ分からんと言われそうです。もう少しご辛抱いただき、次回もどうぞ。

                                (2008年1月9日)


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