ドクター塚本  白衣を着ない医者のひとり言
No.105 「メタボ」再訪(その1)
「診断基準」は大丈夫ですか?
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 「メタボ」がすっかりおなじみの和製英語になりました。一言でいうと内臓脂肪の代謝(メタボリック)異常のはずですが(bV4、bV5ご参照)、メタボと聞いてまず目に浮かぶのは「腹囲」のはずです。ウエスト周囲径が男性85cm、女性90cmという数字もすっかり定着した感じです。このメタボ・ブームを健康ビジネスが見逃すはずはありません。「メタボ特需」とばかり官製市場への参入に躍起だそうです。三菱UFJリサーチ&コンサルティングの試算によると、2010年度の市場規模は、4兆2000億円に上ると予測しています。その内訳は、「健康診断」1兆5000億円、「フィットネス」9500億円、「健康機器」4500億円、「健康食品・大衆薬」1兆3000億円と言いますから、5年前の2005年度に比べると7割増加の急成長産業ということになります(日経ビジネス・12月3日号)。

さすがに、行き過ぎではないかという声も次第に大きくなっています。当初から心配していたとおり、メタボの「診断基準」の科学的な根拠が不十分なのではという疑問が残ったまま、来年度から厚生労働省は、メタボを柱にした生活習慣病対策を強引に推進しようとしています。毎日新聞は「メタボ再考・揺らぐ診断基準」と題する連載を行って、この問題に一石を投じています(12月2日〜6日付)。取材した記者も意外だったのは、メタボ研究の第一人者、松沢佑次・日本肥満学会理事長(メタボ診断基準検討委員会の委員長でした)が「基準を健診に使うことは考えていなかった」と語ったことです。医学研究と健康政策とは別次元のことと言わんばかりです。これでは腹囲を必須とするメタボ健診を強制される国民はたまったものではありません。大規模な公的メタボ健診を実施しようとしているのは、世界中で日本だけなのですからなおさらです。毎日新聞は世界の孤児だと断じています。

もともと診断基準発表の当時から異論続出でした。週刊朝日が何回か特集を組んで指摘してきましたが、その後も批判的な研究が続いています。最近発表のいくつかをご紹介してみましょう。

 1)腹囲径は日本基準よりIDF(国際糖尿病連合)基準が適切

 今年の10月の日本肥満学会(東京)では、メタボに関する研究発表が花盛りでした。男性の腹囲基準の方が女性よりも小さいというのも日本だけ(これまた世界の孤児)という問題について、九州大学の清原裕教授(環境医学分野)は教育講演のなかで次のように報告しています。福岡県久山町の40歳以上の住民を対象に、14年間、心血管病をエンドポイントにした前向き調査の結果、日本の基準による該当者と非該当者で、心血管病の発症率に有意差は認められなかったが、腹囲だけIDFのアジア人向け基準(男性90cm以上、女性80cm以上)を当てはめてみると、該当者は、男女それぞれ非該当者の2.6倍、2.4倍の相対危険度で、ともに有意差が認められました。清原教授は、現在の日本の基準では将来の心血管病の発症を予測するには必ずしも適切とは言えず、腹囲の基準値を変更した形で考えていくべきだと結論しています。

 2)脳卒中予防にメタボ対策の効果は必ずしも大きくはない

 愛媛県O市の基本健康診査受診者のうち、脳卒中の既往者を除く4627人を平均5.7年間追跡した前向きコホート研究が小西正光・愛媛大学教授らによって今年の10月に発表されました(日本公衆衛生雑誌 54巻10号)。その研究結果は、内臓肥満の有無にかかわらず、メタボのリスク数が増えるにしたがって危険度は増大するのですが、全体としてみると、メタボ基準該当者の脳卒中相対危険度は、非該当者の0.82倍でかえって低くなっていて、メタボ対策が重要だとする厚生労働省の大前提を覆すような成績でした。

 3)メタボによって死亡率に差なし

 自治医科大学の石川鎮清講師らのグループによる男女計2176人(平均年齢56歳)を対象にした約10年間の死亡率調査で、メタボ基準の該当者と非該当者の間に死亡率の差は認められないことが分かりました(近く専門誌に公表予定)。石川講師は「メタボになると心臓病になり、やがて死亡するというシナリオに多くの人が飛びついたが、過剰に心配する風潮は行き過ぎ。誤ったメッセージが国民を混乱させている」とコメントしています(毎日新聞12月3日付)。

 いずれも前向きコホート研究の成績ですから、エビデンスとしてはしっかりしています。このように続々と出てくると、メタボ診断基準に異論あり、も無視できなくなること必定です。

 12月6日付の毎日新聞は、日本人間ドック学会(奈良昌治理事長)が独自のメタボ・「受診基準」(診断基準でないことにご注意)を近く公表すると報じて、厚生労働省に反旗をひるがえし、来年度からの大規模な公的健診の開始前に、学会が別の基準を決めるのは異例の事態だとしています。新聞には独自基準の根拠までは明らかにされておらず、関連学会の治療指針などを参考にして設定したとされています。人間ドック学会が定めた主な「受診勧奨判定値」は、次のとおりです(カッコ内は厚生労働省の判定値)。

 血圧(収縮期):160(140)mmHg、(拡張期):100(90)mmHg

 中性脂肪:400(300)mgdl

  HGLコレステロール:29(34)mgdl

 LDLコレステロール:180(140)mgdl

 空腹時血糖:140(126)mgdl

 ご覧のとおり国の判定値よりかなり緩和した数値になっています。つまり健診結果が国の判定値を超えていても、学会の判定値よりも低い場合は、程度に応じて3〜6か月の経過観察期間を設けて生活改善を指導し、ただちに医療機関を受診するよう勧奨はしないというのです。数値だけで機械的に受診を勧めて、投薬を開始する医師が急増する可能性に歯止めをかえようという意図がありありです。メタボ基準への不信感を率直に表しているのです。

松沢佑次理事長らが世界に先駆け内臓脂肪に着目して「メタボ概念」の普及に大きな貢献をされたことを否定するものではありません。たとえ世界の孤児と言われようがきちんとした科学的なエビデンスを基にしたメタボ診断基準なら、これからもウエスト周囲径はじめ基準値を変える必要は全くないはずです。しかし疫学をかじった私としては、やはり松沢理事長をトップにする阪大・研究グループには、疫学的な専門性が弱かったのではないかと勘ぐってしまうくらいです。

厚生労働省も、メタボ概念が揺らいでいるとは思っていない、新年度からの健診制度スタートに何ら問題はない、と強弁しています(生活習慣病対策室)。その一方で、メタボ診断基準を見直すための大規模調査の研究班(主任研究者=門脇孝・東大教授)がすでに作業を開始しています。全国2万4千人を対象にして、ウエスト周囲径の数値を中心に、将来の心筋梗塞や脳卒中のリスクを予測するのにもっともふさわしい基準値の設定を狙ったものですが、新しい基準値がまとまるのは2年後だそうです(朝日新聞11月9日付夕刊)。また、また別の2千人を対象にメタボの主な原因が内臓脂肪なのか、それ以外なのかの分析もするとも報じられました(毎日新聞12月6日付)。

いずれにせよ、しっかりし科学的な根拠に基づく真に日本人の予防医学に役立つ診断基準の設定が一日も早くできることを期待しています。 

    (2007年12月12日)


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