ドクター塚本  白衣を着ない医者のひとり言
No.101 あなたはたくあんが噛めますか
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 先月の敬老の日、厚生労働省から百歳以上の高齢者数は3万2295人(9月末推計)になると発表されました。統計を取り始めて(1963年)から37年、連続して記録更新を続けていますので、掛け値なしの「超高齢社会」が進行中です。今回は歯と寿命の関係を疫学的に実証した研究を紹介しましょう。

日本大学松戸歯学部・那須郁夫准教授(社会口腔保健学教室)らのチームが、日大・プロジェクト研究「健康と生活に関する調査」という全国の65歳以上の高齢者を対象にした大規模パネル聞き取り調査(縦断調査です)の資料を用いて、高齢者の咀嚼能力別にみた平均余命と健康状態別余命(いわゆる「健康寿命」)を研究した成績です。

ふつうの平均余命が生存数と死亡数から計算できるのに対して、健康寿命は、「健康」、「不健康」、「死亡」の状態間移動確率をもとに、多相生命表の手法によって計算します。那須准教授らの研究方法の詳細は割愛しますが、健康か不健康かをいかに判定するかだけを説明しますと、「日常生活動作ADL」7項目(入浴、着替え、食事、起床、歩行、外出、排泄)と手段的日常生活動作7項目(食事の準備、買い物、金銭管理、電話、軽い家事、交通機関の利用、服薬管理)を合わせた14項目中、いずれか1項目以上に「非常に難しい」あるいは「できない」と回答した場合を「不健康な状態」とし、それ以外を「健康な状態」としています。

これだけでも大変面倒な聞き取りが必要だということがおわかりでしょう。1999年から2年ごとに3回、縦断的に調査した回答者とこの間の死亡者の合計4323人を対象にしています。

咀嚼能力は、次の質問票の回答から5段階の自己評価をしてもらいます。

「ふだんの食事で噛み切れる食品のうち、もっともかたいものはどれですか」

  噛め方        食 品 群

 咀嚼能力 5  さきいか・たくあん

 咀嚼能力 4  豚ももゆで・生にんじん・セロリ

 咀嚼能力 3  油揚げ・酢だこ・白菜の漬物・干ぶどう

 咀嚼能力 2  ご飯・りんご・つみれ・茹でアスパラガス

 咀嚼能力 1  バナナ・煮豆・コンビーフ・ウェハース

調査の結果、さきいか・たくあんが噛めると答えた咀嚼能力5が高齢者全体の3分の2強、咀嚼能力4以下が約3分の1でした。なおこの調査では、自分の歯(天然歯)だけか義歯を使っているかの区別はしていません。

そこで、「咀嚼能力5」と「咀嚼能力4以下」の2群に分けて、それぞれの群の平均余命と健康寿命を計算した結果は、次のとおりでした。

1)      平均余命 (年)

        65歳*  70歳   75歳   80歳  85歳  

咀嚼能力5  21.6   17.6   13.9   10.5  7.5

 〃 4以下 19.4   15.7   12.3    9.2  6.7

2)      健康寿命 (年)

        65歳*  70歳*  75歳*  80歳* 85歳*  

咀嚼能力5  18.0   14.0   10.2   6.9   4.1

 〃 4以下 15.2   11.4    8.0   5.0   2.7

予想したとおりの結果で、優れた咀嚼能力をもつ高齢者の方が、各年齢の平均余命、健康寿命が伸展していることがわかります。とくに、*印がついているのは、統計学的に「有意差」があることを示していて、さきいかやたくあんが噛めるくらい十分な咀嚼能力があると、平均余命は多少長くなる程度です(65歳だけに有意差あり)が、健康寿命の方は、いずれの年齢でも有意差が認められますので明らかに延長することが実証されたことになります。健康寿命の延伸を実現するためには、十分な咀嚼能力を維持し、回復することが、具体的で効果的な手段だという結論になります。大規模な縦断調査によって、咀嚼能力と健康寿命の関係を明らかにしたわが国最初の研究ですが、国際的にも高い評価を得ているのです。

一方、臨床歯科学の分野にも、那須准教授の成績を裏付ける、歯と全身の健康について興味深い研究があります。いくつかご披露してみましょう。

ア)噛む力(咬合力)と運動機能の関係

新潟大学の行った高齢者419名の調査で、最大咬合力の数値によって、人数がほぼ同じになるように3群(咬合力小、中、大)に分け、それぞれの群の高齢者の運動能力を比較すると、握力や片足立ち、脚力、素早い足の動き(ステッピング)、ジャンプ力(脚伸展パワー)など、それぞれの運動項目で咬合力との相関関係が認められています。すなわち、咬合力を維持している人は敏捷性やバランス感覚などの運動機能が優れています。高齢者に多い転倒のリスクを減らすのに噛む力が役立っているというわけです。

 イ)      咀嚼と認知症の関係

  名古屋大学の研究で、入院中の認知症患者75名と老人ホーム入居の健康な高齢者78名(両者の平均年齢はほぼ同じ)との比較で、残っている歯(天然歯)の数は、健康な高齢者で9本、脳血管性患者で5.9本、アルツハイマー病患者では3.1本と大きな差がありました。また残っている歯の数が増えるにしたがって、アルツハイマー病の発症リスクは減少していました。

 東大、都老研などの共同研究で、ポジトロン断層撮影(PET)装置を使って脳の血流を調べると、咀嚼中は咀嚼していない安静時に比べて脳の各部位における血流分布が、部位によって11〜25%も増加していることがわかっています。咀嚼しているとき、脳の広い領域が活性化されていることは明らかで、噛むという行為によって脳が刺激されていることを示唆しています。よく噛むことが認知症予防につながると考えられています。

 ウ) 咀嚼と生活の質QOL

 歯が抜けていたり、義歯を入れてもその具合が悪いと、美味しいものが食べられず、文字とおり毎日が味気ないものになってしまいます。「食べること」は「見ること」とともに、高齢者の生き甲斐という観点から極めて大切な意義を持っています。食べたいものが食べられ、十分に咀嚼できるということは身体の健康に欠かせないだけではなく、精神的な老化防止にも大変重要です。

咬合力・小、中、大3群別に、3年後の「都老研式活動能力指標(ADLスコア)」の減少を調査すると、男女ともに咬合力が大の群では減少が少なく、とくに男性でその傾向が顕著でした(新潟大学)。若いときから歯の健康を維持することが元気な高齢者の秘訣ということになります。

「8020運動」が1989年に提唱されてからすでに18年になります。国民の平均寿命80歳に20本の歯を保つことを目標にしていますが、ようやく国民各層に浸透してきました。来月75歳を迎える私も、現在26本自分の歯が残っていて、少なくとも日に2回の歯磨きは励行していますので何とか8020を実現したいと切に願っています。

<参考文献>

那須郁夫ほか:「全国高齢者における健康状態別余命の推計、とくに咀嚼能力との関連につ
       いて」 日本公衆衛生雑誌、53(6)411、平成18年6月

那須郁夫:「介護予防 健康長寿の第一歩」都老研・公開講座、平成19年9月

江藤一洋編:「歯の健康」 岩波新書、2004年9月刊

                             (2007年10月10日)


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