ドクター塚本  白衣を着ない医者のひとり言
No.10 日本人の「寿命」を考える(その1)生命表
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 21世紀に入って4回目のお正月は、厳しくてきな臭い内外情勢のわりには穏やかな三が日でした。凧揚げ、こま回し、追羽根、必ず1歳年を取った「数え年」のお正月は遠くなりにけり、です。年齢のとなえ方に関する法律の公布が昭和24(1949)年5月でしたから、すでに50歳半ば以下の世代には数え年と言ってもピンとこないはずです。

 「冥途の旅の一里塚(一休)」だった門松を飾るご家庭も少なくなってしまいました。でもやはり、お正月に年齢のことを意識しない方はおられないでしょう。とくに「日常生活のなかでちょくちょく老いと死を考える(曽野綾子)」われわれ年代にとって、アト何年生きられるかはかなり切実な問題のはずです。そこで皆さんには釈迦に説法ですが、年頭にあたって、寿命のことを取りあげてみたいと思います。

 その前に、社医として明治生命に入社した小生の体験から申しますと、最初に教わったのが「最近満年齢」の計算の仕方でした。ご契約時の保険料提示に必要なことはすぐわかりましたが、一瞬、保険会社はガメツイなとは思ったものの、なぜ普通の満年齢を使用しないのかをキチンと説明された記憶がありません。「生命表」が保険料計算の基礎になっているからだと知ったのはかなり後のことで、やはり相当な晩生だったようです。

 現在使われている生命表とほぼ同じものを作り出したのは、エドモンド・ハリー(英、1656−1742)です。この人は、ニュートンの親友で天文学者、数学者として有名なあのハレーその人です。社会生活にとって「無用なことで有名で、有用なことでは無名な人」と言われるのは、ハレー彗星の発見者であると同時に、生命保険・年金の計算になくてはならない生命表を今日のような形に仕上げた人だからです。

 彼の通称「ブレスラウ生命表」論文は、1693年に発表されましたが、「生命年金の価格を算定する一つの試みとしての、ブレスロウ市における出生と埋葬の綿密な目録から作成した人類の死亡率」という長ったらしいタイトルのわりには短い、わずか15ペ−ジの論文です。

 またまた私ごとですが、ロンドンの国際保険医学会議(1970年)に出席した際、会場正面ロビーにこの論文がガラスケースのなかに展示されていたのをまざまざと思い出します。

 17世紀当時のシレジアの首都はブレスラウ市(現在のポーランド)でした。その頃、人間には7年ごとに厄年があるという迷信があり、それが本当かどうかを確かめてもらうために学問の中心地ロンドンへわざわざこの市にあった一教区の出生と埋葬の記録が送り届けられたことが、この生命表誕生の端緒となります。

 ハレーはこの資料を基にして到達年齢1歳(ここは0歳スタートの現在のものと異なります)の1000人から7歳ごとに区切りをつけて84歳の20人に至るまで減少してゆく生命秩序を一表に纏めあげます。彼の天才たる所以は、人間の生死に関するプロセスを当時考えられていたいろいろなファクターを全て捨象し年齢だけの生命関数に抽象化して法則にしたことだと言われています。

 この生命関数はすべて数学でいう離散量で1歳ジャストの人1000人が一年間に143人死亡し、855人が2歳ジャストに到達するというふうにして、次々に年齢ごとに生存数を追っかけてゆきます。(小数点の入った生存者も死亡者もいるわけがないのです)

 生命保険会社にとって生存数が大事なのは、死亡者から保険料徴収はできないという自明の理からです。また「最近満年齢」にするのは、誕生日が一年を通じて満遍なく起こっているという仮定のもとに集団全体を平均するとジャスト年齢になるからです。

 生命表はジャスト年齢xとその生存数lを基本に構成されいて(生存数はオリジナルでアトミックです)、あとの関数である死亡数、生存率、死亡率、死力、平均余命などはすべてこれから導き出せます。

 ところが、実際の作成にあっては簡略化して言いますと、ある集団の、ある時期の年齢別人口(年央人口のことが多いのですが)とその1年間の年齢別死亡数を基礎にして、まず「年始死亡率q」を算出してから、生存数にこれを掛け算して死亡数d=l×qを求めて、次の1歳上の生存数l=l−dを導き、これの繰り返しを行ってゆきます。つまり、生命表は年齢別死亡率なしには実際に作成できませんので生命表の研究は死亡率の研究だと言ってもよいのです。

 もう一点大事なことがあります。生命表は社会生活にとって有用であるばかりでなく疫学研究でも威力を発揮する便利な道具と言えるのですが、実はいずれの生命表も発表された年代の対象集団の社会・経済状態はもちろん、公衆衛生・医療環境が「約100年間全く同じ状況にある」という大前提をもとに生命・死亡秩序を表している架空の抽象化された机上の産物であるということです。つまり、将来も同じ秩序だということの保証はまったくないのです。

 それではパソコン上で少し生命表と遊んでいただきましょう。
わが国が世界の最長寿国であることは先刻ご存知のはずですが、厚生労働省発表の「平成14年簡易生命表」をネット検索するとすぐ実物が出てきます。仮に、最近満年齢65歳(64歳0月0日から65歳5月31日)の男性の方なら、もし平成14年の国民全体と同じ生存・死亡秩序で生き延びるとしたらアト何年生きられるかというのが平均余命です。17.96年となり、ほぼ83歳ということになります。日本アクチュアリー会の保険数学の教科書のもっとも易しい練習問題の1つですが、この方が83歳、90歳、100歳まで生存する確率はというと、それぞれ、0.52(l83÷l65、以下同様)と0.22と0.0016になります。

 平均余命だけ生きる確立は大体、半々かと納得されましたでしょうか。

 しかし、俺は大病をしたこともないし、日常生活でも医者いらずで元気だから、もっと長生きできるはずと思われる方もおられるはずです。当然のことで、国民全体の資料から作成した「国民生命表」だからです。ここから先の予測は自分と同じような死亡の「危険要因」を持った集団の平均余命を試算し、その一員だからそれと同じだけの生存確率があると考えて暮らしていただくことになります。

 しかし、このような自分と同じ要因をもつ集団というのは厳密に考えれば考えるほど、容易に作れないうえにその集団は極めて小さなものとなり、65歳ジャストの男性の1年間死亡率qは、0.01356で、千人で13人半という低レベルのため、とても死亡率など計算できるものではなくなります。

 そこで白衣の医者流には、いわゆる「勘ピュータ」を使って、国民全体の何割増しの平均余命とか、何%大きい生存確率とかを勝手に考えて遊んでみたらいかがでしょうか。何しろお正月なのですから。


                                                (2004年1月7日)

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